あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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バリ島残留日本兵の階級

バリ島の残留日本兵を知るために、
軍隊での彼らの階級を見ながら考えてみたい。

まずは、一覧表である。
出身別に海軍と陸軍とその他に分けてみた。
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   (註)海軍と陸軍は階級の呼び名が違う。
      で、比較のため、
      海軍の階級については、
      もし陸軍相当の階級も書いておいた

   (註)松井久年は、上官の月森省三のメモでは、
      「上等兵曹(曹長)」となっているが、
      残留日本兵の集まりである、福祉友の会では、
      「兵曹長(准士官)」と、書かれており、
      ここでは上級で記述された方を採用した。

さて、上表を見て解ることは.....


1、全員が下士官以上の階級である。

入隊すると、まずは二等兵になる。
それから、一等兵、上等兵、兵長と昇進するが、
ここまでを兵卒という。
兵卒を終え、下士官になるが、最初は伍長である。
伍長になるまでは、最短で4年(戦時中)かかる。
伍長ともなると、4~6人の兵卒を率いる班長になれる。
伍長を約2年勤めると、軍曹になる。
軍曹になると、8~12人の兵卒を率いる分隊長になれる。
軍曹を約2年勤めると、曹長になれるが全員ではない。
優秀で選ばれた者のみ、曹長になれた。
曹長になると、30~60人の兵卒を率いる小隊長になれる。

さて、ということで、
残留日本兵を見てみると、兵卒が誰もいない。
少なくとも、4年以上の軍人歴がある者ばかりだ。
戦闘のプロばかりと言ってもいいだろう。
インドネシア軍に入った、残留日本兵の多くが、
インドネシア兵に戦闘を教える教官になっているのは、
こうした理由による。

特に、海軍出身の残留日本兵を見て欲しい。
7人もの兵曹長がいる。
兵曹長は、下士官(曹長、軍曹、伍長)の上の階級であり、
すでに下士官ではなく、准士官である。
陸軍で言えば、少尉の下の准尉に相当する。
兵卒ではなく、将兵、あるいは、将士と呼ばれることになる。
現場のたたき上げの最上位であり、
戦いのプロ中のプロと言っていいだろう。
海軍残留日本兵の多くがこうしたプロ集団であった。

何故に、そうなったのか。
当時を知る稲川義郎さんは、
日本から兵の補充がなかったから....という。

満州や支那のように、日本から近いところは、
次から次と新兵の補充があったのだろう。

それに比べて、南方戦線は日本から遠い。
さらに戦争終盤は、制海権、制空権とも敵に握られていた。
新兵の補充は、したくてもできない状況にあったのだろう。


2、大尉であった堀内秀雄

中曽根元首相と同じく海軍経理学校出身の堀内秀雄は、
インドネシア軍に入った時点、主計大尉であった。

大尉は、勿論、士官であるが、
ここで、士官についてちょっと勉強しておきたい。

士官(元帥を除き)とは、何か、
将官、左官、尉官の三つがあるが、それぞれに次の中身がある。

将官.....上級大将・大将・中将・少将・准将
佐官......代将・上級大佐・大佐・中佐・少佐
尉官......上級大尉・大尉・中尉・少尉

    (註)代将という聞きなれない言葉だが、
       艦隊には、必ず中心となる旗艦が要る。
       旗艦の長は、必ず、将官でなければならない。
       が、将官への昇進直前の大佐であれば、旗艦に乗れた。
       この場合、将官待遇であることを示す代将が使われた。

さて、こんな士官の中の「大尉」という階級であるが、
インドネシアの残留日本兵の内訳を見てみると、解りやすい。

インドネシアの残留日本兵の総数は、903名である。
そのうち、一般人(かどうかの不明者も合わせ)が、334名いた。
残り、569名が軍人であった。

その569名のうち、59名は軍人であることが判明するも、
その階級が何であったかは、わからない者達であった。
残りの510名の軍人が、その階級も解っている。
その510名の階級は、次のとおりである。
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510名の中で尉官は、14名しかいない。
14名のトップが大尉であり、一名しかいない。
その一名が堀内秀雄である。

そんな堀内秀雄であるが、
当時、日本兵がインドネシア軍に入隊する場合、
そうした者を募る意味もあって、
日本時代より、2階級昇進して入隊することになっていた。
大尉が2階級昇進すれば、中佐である。
従って、堀内秀雄は、ングラライ軍では、中佐であった。
階級からだけ言えば、総大将のングラライ中佐と同じであった。


3、海軍と陸軍の階級比較

海軍と陸軍の階級比較は、少し難しい。
何故なら、陸軍は、兵から試験を受けて士官になる道がある。
が、海軍は学閥で決められていて、兵は例外を除き士官になれなかった。
陸軍が民主的であったのに比べ、海軍が閉鎖的であったのだ。

     (註)例外と書いたが、どういうことかというと、
        准士官(兵曹長)のことを特務士官ともいうが.....
        特務士官は、さらに幅広い教育を受けるための、
        専修科への受験資格があった。
        試験に受かり、専修科を卒業した特務士官は、
        一般の特務士官が配置されない職にも、
        正規士官に準じて、配置されることになった。
        が、この専修科も1943年に廃止されている。
        で、海軍では兵は士官になれない.....
        と言いきっても良いだろう。


4、インドネシア兵としての残留日本兵

日本兵がインドネシア軍に入隊すると2階級特進すると書いた。
まあ、それはそうであるが、実際としては、それほど正確ではなかった。
一般人であった吉住留五郎は中佐であり、市来龍夫は少佐であった。
何も日本軍時代の階級を引き継いでいない。

この話で思いだすのは、ルバング島の小野田少尉のことである。
自伝が発表された当時、私はすぐに買い求め読んだ。
厳しい軍隊の階級制度の中で、
最後に残った小塚金七上等兵との二人の関係がどうだったのだろう。
誰かが同じ質問をして、小野田少尉のその答えが書いてあった。

少尉と上等兵....
そんな上下関係は全くなかった。
命を分けた戦友である、ただそれだけだ。

これが答えであった、今でもよく覚えている。
そんなものなのだろう。

だから、バリ島で戦った残留日本兵達も
日本人どおしの間では、昔の階級に関係なしの付き合いだっただろう。

が、バリ人の間では、どう思われていたのだろうか。
独立義勇軍で日本軍から教育を受けたバリ兵も多かった。
当然に、日本軍の階級の示す意味も知っている。
そこで、参考になるのが、
マルガラナで戦死した日本兵5名の次の階級記載である。
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5名のうち、4名がPeldaと書かれている。
peldaとは、まさに特務士官(准尉)の意味である。
堀内を除き(中佐)、下士官は、士官待遇で、
バリ軍に迎えられたということであろう。

     (註)スラマットは、
        インドネシア海軍のMarkadi大尉と一緒に、
        ジャワ島からバリ島に来た人物である。
        一行の中で、もっとも齢をとっていたとの証言があるので、
        海軍、年配....
        ということで、兵曹長ではなかろうかと予測する。
        が、ングラライ軍は、スラマットについては、よくわからない。
        で、Pratu ;民兵 と書いたのではなかろうか。
by yosaku60 | 2015-12-31 12:40 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

香港料理店「Kemangi」オープン

Simpang Siur に近い、バイパス沿いに、
Kemangi という名の香港料理店がオープンした。
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正面玄関.....広い!
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座席数も多い。
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個室もいくつかある。
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奥に見えるのが、舞台。
夕方は2回、レゴンダンスが上演されるそうな。
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で、お料理のお値段だが.....
知人におごっていただいたので分からない....ごめんね。
by yosaku60 | 2015-12-30 11:17 | バリ島=レストラン | Comments(0)

サヌールの海岸からバトゥカル山が見えた。

バリには2000mを超える山が7つあります。
神の住むアグン山、
と、キンタマニー高原の外輪山のアバン山、
と、ブドゥグルに固まって4つある、ブドゥグル4山。
それに、タバナンにあるバトゥカル山です。
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この中でもっともきれいな形をしているのがバトゥカル山です。
私だけですが、ひそかに「バリ富士」と呼んでいます(笑)。
ただ、残念ながら、サヌールのビーチからは、
林や市街地のビルに隠れてみることができません。
......
と、思っていたのですが、
サヌールのビーチからも見えるんです。
この左側の山がバトゥカル山です。
写真は雲で左のすそ野が欠けているように見えますが、
実際は、きれいな三角形をしています。
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見えるポイントは、ムルタサリビーチの先の埋め立て地の最南端です。
マングローブ越しにバトゥカル山が見えます。
行ってみて下さい。
by yosaku60 | 2015-12-29 10:42 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

Diamond Bay(1月オープン)

店の名前は、Diamond Bay.......という予定である。
というのは、1月20日オープンで、現在まだ建設途中だからだ。
オーナーは、この人(右)、名前が 「カデ」。
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その店、サヌールの南のムルタサリビーチのさらに南。
そうサヌールの南の果てのマングローブの際にある。
こういう橋を渡らないと店に辿り着かない。
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オーナーが変わり者だからだろうか。
店のコンセプトがちょっと掴めない。
子供の遊び場があったり、ビーチバレーのネットがあったり。
家族の遊び場なのか、若者の遊び場なのか....
挙句の果ては....
人が入ってはならない、こんな看板もある。
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kuda 及び Unta 専用 という意味の看板です。
Kuda は、馬、Unta とは、ラクダです。
そう、ラクダが4匹、いるんです。
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まだ営業してませんが、無理を言って、ビールを飲ませてもらいました。
店内に二人見えるのは、左が、森崎さん、右がカミさん。
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店の雰囲気....
まだオープンしてないので、良くわかりません。
situationは、十分です。
後は、料金、スタッフ次第でしょうね。

最後のおまけに、ラクダのアップ写真をば....
オレは、像とか馬とか牛とか、大きい動物が好きなんです。
ラクダって、近くでみると、とても大きいのです。
馬以上に大きいのです。
足の甲なんて、人間の大人の顔ほどあるんですヨ。
この店、ラクダと触れ合えるのが面白いかも....
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by yosaku60 | 2015-12-28 09:44 | バリ島=レストラン | Comments(0)

12月13日の日本軍への暴動は何だったのか(その2)

(ピンダ少尉証言)

デンパサールの日本軍襲撃失敗に終わる....


報告が入って来た。
日本側は我々より先に準備しているとのことが知らされた。
そうなのだ、この襲撃計画は日本軍にばれていたのだ。
それが解っておりながらの決行ではあったが....

日本軍は宿舎を出て、
デンパサールのAlun-Alun に布陣していた。
夜中の一時頃、この日本軍を襲おうとした直前に、
日本軍の方から攻撃してきた。
一斉射撃であった。
すごい爆発音であった。
恐らく全武器を一斉に射撃したのだと思うが、
わざと空に向けて撃っているように思えた。
とにかく、すごい射撃音が響き渡った。

日本軍の一斉射撃は二つの意味があった。
ひとつは、あんたらの計画は知っているよ、との通知。
もうひとつは、馬鹿なことを止めなさい、との
軍隊経験のない民兵の攻撃意欲を削ぐ、忠告。

そのとおりになった。
バリの民兵は、木製の船型をした米つき器を叩いて騒げば、
日本軍が恐れをなして逃げるだろうと思って集まっていたが、
一斉射撃が始まると、その者たちは全員その場から逃げ出した。

日本軍は、我々が集まる、kesiman寺を取り囲んだ。
夕方が近づくと、その囲みの輪をせばめてきた。

準備を整えている日本軍にとてもかないそうにもない。
われわれはどうしたら良いのだろう。
ングラライはどう思っているのだろう。
私は、指導者が集まるMerajianに行ってみた。
Merajianに着いたところ、沢山の人が集まっていた。
こんなに人が集まっているのに、話声一つ聞こえない。
皆が頭を垂れて黙りっこくいた。

なんだ、これは墓場みたいじゃないか!
私は、パ・ライ(ングラライ)の前に進み提案した。

パ・ライ、どうしたのですか.....
日本軍は、目前まで来ています....
早く、逃げましょう.....
と、パ・ライが応えた。

「いや我々はここでププタン(玉砕)だ」

何故そうなんですか....
誰がそういってるのですか....

「チョコルダなんだ」
「彼はここからこ逃げようと言わない」

私は、チョコルダの前に進みでて言った。
ラツ・チョコルダ、さあ早くここから脱出しましょう....

と、チョコルダは、
「ピンダ、あなたが行きたいのなら行きなさい」
「行きたい者は誰でも行きなさい」
「わたしはここに残ります」
「死ぬのが嫌なら初めから反乱など起こすべきではない」
「逃げ出すなんて、祖先の名を汚すようなものだ」

誠にそのとおりだ。
が、今、ププタンをする必要が何処にあるのだ。
私は、チョコルダに、ゆっくりゆっくり語りかけてみた。

みんながここに居る間は、私だけここを去るわけにはいきません.....
行くなら全員一緒だし、行かないのなら全員一緒です....
だけど、ここでププタンをするのは無駄だと思います...
何故なら、日本軍は本当の敵ではありません....
我々の本当の敵は、これからやってくるオランダです....
我々は、日本に対し反乱を起こしました.....
しかし、それは武器が欲しかったからです....
でも、それは失敗しました......
かと言って、日本軍と戦って犠牲を出す意味がありません....
日本はすでに戦争に負けました...
その負けた日本軍と戦って犠牲者を増やすなんておかしいです....

ここまで話し、チョコルダの反応をみると、
彼は黙ったままだったので、私は更に続けて言った。

ここで死んでしまったらどうなるのですか....
また、生きたまま捕えられて住民の前にさらされたら恥ずかしいことです...
だから私はここから脱出しようと言っているのです....
日本軍は、逃げる我々を撃ってくることはしません....
わたしはそれを確信をもって言えます.....
彼らは連合軍が到着するまで、
この地の保安を確保せよと命ぜられているだけです....
彼らは自己保全のためにやっているのだから、撃ってきません....
さっきの一斉攻撃も空に向かって撃っていました....
日本軍が本気なら、我々はすでに殺されております....
そうではないのです......

チョコルダは、長いこと黙って考えていたが、
ゆっくり話し出した。

「ライ(ングラライのこと)に聞いてみてくれ」
「ライが脱出しようというなら......」

私は、急いでングラライのところに行き、この話を伝えると、
「本当にチョコルダが一緒に行くというのか」
と、半信半疑だったので、ングラライをチョコルダの前に案内した。

チョコルダは、ングラライの前で私に訊ねた。
「本当に抜け出せるのか」
私は、応えた。
できますとも、私は抜け出す道を知っています....

逃げだすことが決定した。
ププタンは取り止めだ、早く逃げよう.....
そう叫びながら、私は走りだした。

間もなく、日本軍は南と東の方向から射撃を開始した。
その数分前に脱出できたことは我々にとって僥倖だった。

私はクロスカントリーの如く走りつづけ、
Tapian川のほとの水田に到着、そこから、さらに4キロ走り、
Tainsiatの北の椰子畑に到着した。
月がかげって暗くなってから、チョコルダと、
「お互いに独立闘争を戦い抜こう」と誓い合い、別れた。
by yosaku60 | 2015-12-27 08:47 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

アナがアナッを連れて帰って来た。

カミさんが抱いているのは、ファジャル君、生後5か月。
おばあちゃん(と私たちが呼ぶ)のお孫さんである。
ファジャールは、今朝方5時にバリに戻ったばかり....
ママは7か月前に里帰りし、そこでファジャールを産み、
5か月育てて、バリに戻って来た。
お里は、ジャワ島のジンベル。
ジンベルよりサヌールは、車で10時間。
乳飲み子を抱いての長旅は大変だったと思います。
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ファジャルのママの名はアナ(写真中央)。
インドネシア語で子供のことをアナッと言いいます。
ということは、
アナがアナッを連れて帰って来たということになる。
ややこしい....
もうひとつ、ややこしいことがある。
ファジャールの兄は、右のアディ(小学2年生)です。
インドネシア語で弟のことをアデといいます。
アディに聞いてみた。
アディ、アデがいて嬉しいか.....
通じたようです。
アディ.....ウンと頷き、本当に嬉しそうでした。
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by yosaku60 | 2015-12-26 10:15 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

クリスマス・イブとやらを......

クリスマス・イブは、一緒に.....
とのエヴィからの嬉しい申し出を受けて、
夕べは、ホテルでの会食を楽しみました。
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ホテルは、プリ・サントリアン....
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のシーサイド。
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エヴィの服、彼女のオリジナル・デザインだそうな。
なかなかセンスがいい。
オレも負けじとちょっと派手めの帽子で頑張る。
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by yosaku60 | 2015-12-25 08:16 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

12月13日の日本軍への暴動は何だったのか(その1)

1945年12月13日、日本人がバリ人に襲われた。
一カ所ではない。
バリ島全域一斉に襲われたのだ。

1、ジェンブラナのチャナンサリでは11名の日本兵が殺された。
    2015年10月31日の弊ブログ;
    ジュンブラナ県、日本兵11名の墓の真相(その4)参照
2、シンガラジャの駐屯地も襲われた(未遂)
3、ムグイ集結所も襲われた。
4、デンパサールにあった日本軍宿舎も襲われた。
多分、バリ島の他の地でもあったに違いない。

この暴動は何を意味するか。

まずは、全島一斉に事が起こされたことに注目したい。

もしかすると、
これはバリの特殊性からかも知れない。
インドネシア独立戦争.....
他の島では、インドネシア人の中で勢力争いを
交えながら、オランダと戦った。
敵は、外にもあり内にもある状態で戦ったのだ。
が、バリ島は違う。
ングラライの元に結集した。
ングラライの後は、パ・ジョコの元に結集した。
常にリーダーは一人だったのだ。
理由はともかく、まずは、このまとまり方に注目したい。

この暴動は何を意味するか。

もうひとつは、
終戦からたった4か月という「時期」に注目したい。

こんなに短期間に事を起こせるなんて!
随分と前から地下運動が始まっていたに違いない。
日本軍統治時代から始まっていたのだ。
その背景には、
日本の統治による税制の重さ....
日本軍の横暴さ....
があったのでは、なかろうか。
三浦襄が、自決の理由の3点目にあげている言葉(一昨日のブログ掲載)...

       戦時中、そして戦後のバリ島における、
       日本人の行動は全く話にならない。 
       自分の自決が日本人に反省の機会を与えるだろう。

がそれを物語る。

この暴動は何を意味するか、

さらに、感じ取って頂きたいものがある。
その時とった日本人の行動である。

シンガラジャの空砲もそうだし、
デンパサールの鉄砲を上に向けて撃つ行為もそうである。
日本人は、バリ人の暴動を半ば受け入れていた。
そして、暴動を起こしたバリ人の方だが、
日本人は暴動を受け入れるはずと承知していた風がある。

日本人とバリ人....
少々複雑なそれぞれへの思い。
こうした思いも感じ取っていただきたいのです。

さて、暴動を書きます。
1945年12月13日の暴動....

襲ったのは、バリ青年部隊である。
目的は、日本軍の武器を奪うためであった。

まずは、
シンガラジャの駐屯地への暴動からです。

昭和20年に入り、チムール島にいた陸軍の46、48師団は、
スンバワ島に集結し、さらにマレー半島に転進を開始していた。
その転進は、ロンボク島、バリ島を経由して行われた。
が、終戦となった8月15日以降は、
転進途中にバリ島に寄った部隊がそのままバリにとどまることになった。
陸軍の阿南部隊の一部もそうであった。
大隊長の阿南少佐がシンガラジャにあった。
今後どのようにすべきか、その情報を集めるため、
阿南少佐は、情報を知るバリ島の民政部に協力を依頼した。
民政部から阿南部隊に情報班が派遣された。
その情報班の一員が稲川義郎さんであった。
ということで、12月13日当日は、稲川さんはシンガラジャにいた。
その稲川さんの話である。

襲撃があることは事前にわかっていた....d0083068_10153648.jpg
いよいよ、襲撃団が近づと...
擲弾筒(右写真)の空砲を発射した.....
すごい音であった.....
襲撃団は迎え撃つ日本側の準備を知った..
恐れをなしたようである.....
襲撃が中止された.....

稲川さんは、この話につづき、
信じがたいことを言う。

次の日、何事もなかったように....
バリ人は私たちに挨拶する。.....
私たちも解ってはいたが.....
夕べのことは触れないようにした....
で、翌日からは、普段通りの日が戻った....

この話、面白いですよね。
なんとか解るような気がします。
デンパサールの襲撃も同じようだったのです。
でも、デンパサールの襲撃は、
バリ側の詳しい話が残っています。
次回にまわします。

その先にムグイの日本人集結所について触れましょう。
ムグイ集結所がバリ人からどのように襲われたか解っていません。
襲撃は失敗したとの記録だけが残っております。
ただ、当時、ムグイ集結所にいた高木米治は、特警隊という立場から、
襲撃のあった翌日の12月14日から首謀者の調査を始め、
バリ人数人を逮捕した話が語られています。
相当に過酷な取り調べだったようで、
襲撃もそれなりに激しいものがあったのではなかろうか。

さて、明日は、デンパサールの襲撃です。
これには、ングラライも参加しているんですよ。
by yosaku60 | 2015-12-24 10:13 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

お手伝いさんのカデの働きぶり

我が家を看てくれる、二人の青年の働きぶりを書いた。
最後はいよいよ真打登場.....
お手伝いさんのカデである。
カデは、毎朝6時半に家に来る。
で、9時までの2時間半、掃除、洗濯をする。
6時半の一分前に来て、9時3分まで働く。
時間の守り方は日本人以上だ。
有給休暇は年に10日間あるがそれ以外は休まない。
無駄口をきかず、黙々と働く。
もう2年になるが、来た頃も今も全く同じである。
カミさんも勿論オレも、
彼女の仕事ぶりに不満を抱いたことが一度もない。
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庭師のワヤン、大工のヤンディー、お手伝いのカデ.....
バリの生活が快適なのは、3人のおかげである。
半端者のオレが、こんなにあたわるなんて、
ついているとしか言いようがない。
by yosaku60 | 2015-12-23 09:48 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

大工のヤンディーの働きぶり

バリ人は大雑把であるが建物も大雑把である。
すぐにあちこちがダメになる。

水道管が漏れた....
ドアーの建てつけが悪く戸が閉まらない....
窓枠がシロアリに喰われてボロボロになった....
水はけが悪く流れない......。
タイルが割れた.....
などなど、いろいろある。

が、オレはこういうの気にならない。
電話一本でヤンデーが来てくれるからだ。

(椅子の足を修理するヤンディー)
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ヤンディーの本職は大工さん。
バリの大工さんは、日本と違う。
木工事だけはない。
基礎工事もセメント工事も配管工事もみんなできる。
ヤンディーはこれら全てに精通している。
加えて、仕事のキメが細かく仕上がりがきれいだ。
d0083068_10179100.jpg

そんなヤンディーに一つだけ欠点がある。
高所恐怖症のようなのだ。
それが本当かどうか、聞いたことはないが、
仕事ぶりを見ていると、そのように思えるのだ。
思えるだけで、聞かないことにしている。
聞いたら、高いところの仕事を頼めなくなるからだ。
頼りにしてるヨ! ヤンディー。
by yosaku60 | 2015-12-22 10:23 | バリ島=人物往来 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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