あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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ワジャのお墓が顔を出しました

d0083068_1093376.jpgワジャのお墓の整備状況を
見に行ってきました。

朝の5時から、
5人がかりで、
工事にかかったそうで、
右の写真が
私が訪れた12時の状態。

もう、完全に「お墓」が
丸見えになっていました。

お墓の右に見えるのは、カミさん。

まだ、工事は途中です。

この日は、
村人のお葬式(ふたつ)が、ある日で、
お葬式中は、工事がストップするのです。

お葬式が終わったら、また工事再開するそうですが、
大体の整備状況が見え、発注者としては満足できる内容でした。

思ったよりも広い敷地でした。
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工事の責任者である、
バンジャール会長とプラガ村の村長さん。
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お墓のすぐ傍の道、
お葬式に集まる村人たち。
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集まった村人に、ワジャのお墓の存在があらわになりました。
今後はワジャも寂しくないでしょう。 嬉しいことです。
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by yosaku60 | 2014-11-30 10:31 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

この時期だけの光景

夜中に雨が降って、朝方の空気が澄む、この時期....
通常は見えないアグン山の麓の山のシルエットが見える。
この時期だけ、見ることができる光景だ。
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麓の山は、どの山なのだろう。
地図とにらめっこするも、山を特定できない。
眼下のクルンクン地方とチャンヂダサ地方の枠割りが判るくらいだ。
d0083068_9232164.jpg

朝のスロージョギング....
最近は、ほとんど歩くほどの速さである。
空気が澄んでいるので.....
なんて理由にもならない理由をつけて、ゆっくり歩いている。
d0083068_9292958.jpg

by yosaku60 | 2014-11-29 09:30 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

カタツムリ(蝸牛)は「ぶきっちょ」です。

d0083068_1031713.jpgバリ島の蝸牛は、
日本のものと比べて、
大きめです。

バリ島の蝸牛は、
「ぶきっちょ」です。

歩くのが不器用なのでは、
ありません。

蝸牛をインドネシア語で
ブキッチョと言うのです。
by yosaku60 | 2014-11-28 10:06 | バリ島=その日のできごと | Comments(3)

ワジャのお墓の整備が決定しました。

日本を捨て、インドネシアに味方し、
インドネシア独立戦争に参加して、バリ島で戦死した残留日本兵。
その中のひとりである、ワジャ。
戦死したのは、Badung州、Pelaga村の谷底。
地元民は彼を追悼するためのお墓を建てました。
写真の中央部分に薄く見える二つのコンクリート魂がそうです。
右のお墓がワジャ、日本名はわかっていません。
左のお墓はバリ人で、名前は、I Gusti Ruh Tilem(ワジャと時を同じくして戦死)。
d0083068_12144787.jpg

写真で判るように、お墓は藪の中に埋もれています。
で、藪を取り払い、お墓の周囲を整地することの申請をしておりました。
そして、時間がかかりましたが、先日、許可の内定がありました。
整備を具体化するため、関係者が現地に集まりました。
申請者である私と通訳のエヴィさん、
直接に責任を統括する当地バンジャールの会長さん、
それに認可する権限を持つプラガ村の村長と副村長さん達です。
d0083068_12295080.jpg

問題になったのは、いつ整備するか、という時期のことです。
お葬式を許される日でないと、お墓の整備をできないというのです。
その日は、11月29日なんだそうです。
問題は、その日だけで工事を終わらせなければならないことです。
工事が一日で終わらないと、続きはまた他の日を探さなければならないそうです。
この理由、よくわかりません。
が、バリ島での習慣は、その地その地で異なるのです。
で、決定したのが、作業員を5人に増やし、
朝の6時から作業を始めて、その日に整備作業を終了させる、ということです。
全てを任せることで、ゴーサインを出しました。
ゴーサインとは、大げさですが、要は費用の全てを支払うという約束です。
11月29日の正午ごろ、工事の進展を見るために現地に来ることも約束しました。
d0083068_1240471.jpg

任せたので、どんな風に整備されるのか、よーく判りません。
が、念願であったワジャのお墓を整備できることになって嬉しい限りです。
みなさん、ワジャのお墓の裏には、ジャパン(djepang)と刻印されております。
整備が終わったら、是非に当地を訪れて見ていただきたく思います。
by yosaku60 | 2014-11-27 12:48 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

雨季に突入しました。

6時起床。....空がどす暗い....「雨が降るかもね」と、カミさん。
6時15分。....その雨が降り出す....「待望の雨だ」と、オレ。

いよいよ雨季に突入です。

そうなんです。
昨日までのバリ島は、蒸し暑くて大変だったんです。
11月の後半の2週間は、いつもそうなんです。
島は太陽に照らされ、そして風も止まるのです。
暑ぐるしさから抜け出れる、待ちに待った雨なのです。

6時25分。.....雨が止む
6時35分。....お手伝いのカデ、5分遅刻で家に来る。
彼女は、まるで日本人....めったに遅刻しないんです。
雨が止むのを待っていたのでしょう。

6時40分。....いつものように海岸に向かう。
道路は、いつも以上の混雑です。

いつもなら6時10分ほどから動き出す住民.....
すぐに止む雨を待って、家で待機していたのでしょう。

そして雨が止むと、一斉に動き出すのです。
朝の雨上がりの道路の混雑.....この時期だけのバリの風物詩です。
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中学生も一斉に登校です。
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雨上がりの浜....を撮ったつもりです。
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さて、今日は10時より、
ワジャのお墓を整備する交渉にプラガの地に出かけます。
貧乏暇なし....ではなく、物好き暇なしです。
by yosaku60 | 2014-11-26 09:51 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

カリマンタンに行くなんて!

マレーシアへの出稼ぎを希望していた、クトゥ。
ようやく労働ビザがおりて、11月からマレーシアで働き始めた。
私が紹介したデニと一緒である。
両人とも新しい職場に満足しているようだ.....良かった!

d0083068_211477.jpgさて、クトゥやデニのように、
マレーシアへの出稼ぎなら、まだ判る。

が、同じインドネシアへの出稼ぎもある。
プトリー(写真右)の場合である。
なんと、カリマンタンに行くという。

.........
カリマンタン島=ボルネオ島には、
インドネシア と マレーシア、
そしてブルネイの三つの国がある。
マレーシアとブルネイでは、
英語読みでボルネオ島と呼んでいる。
日本もそう呼んでいるはずだ。
が、インドネシアでは、
母国語読みで、カリマンタン島と呼んでいる。
インドネシア人に「ボルネオ島」と言っても通じない。
..........

プトリーは、来月の7日にカリマンタンに出発する。
急な話である。

デンパサールからスラバヤ、
スラバヤからバリックパパン、
バリックパパンからサマリンダ、
と、飛行機を乗り替えて、
それから、さらに、バスに揺られて行くそうな。
って、外国より遠いじゃないか。

カリマンタンは物価も高いと聞く。
なんでそういうところに行くのだ。

「労働条件は、給料は?」と、
いろいろ聞いてみるが、バリ島とあまり変わらない。
待遇の面からも、行く理由がわからない。

そのプトリー、
しばらく会えないので、マッサージをしてあげる、と家に来てくれた。

プトリーは、美人である。
美人は、通常はマッサージがうまくない(笑)。
が、プトリーの場合、マッサージも相当に上手い。
オレの肩こりは、並はずれていて誰もほぐすことができない。
が、プトリーに揉んでもらうと肩こりが和らぐのだ。
勿体ないが、まあ、出発までの2週間、できるだけ家に来てもらうことにしよう。
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by yosaku60 | 2014-11-25 01:59 | バリ島=マッサージ | Comments(0)

物価が値上がりしています。

d0083068_1012272.jpgガソリン代が、
85円(1リットル)に値上がりした。
2年前は45円であった。
それが65円になり、
すぐに85円になった。
昔から比べると
1.9倍になったってことだ。

ほとんどが運搬料である「水」。
昔は120円(瓶)であった。
それが150円になり、
170円になり、
現在は190円である。
1.6倍になったってことだ。

ガソリン代があがると全ての物価があがる。
が、それに追いつかないのが給料。
と、誰もが言うが、笑いながらそう言う。
嫌なことは早く忘れて受け入れる......それがバリ人である。
by yosaku60 | 2014-11-24 10:18 | バリ島=物価・修理費 | Comments(0)

工藤栄氏の慰霊碑に案内しました

工藤栄氏の慰霊碑は、マルガラナとは別にタンジュン・ブノアにもあります。
その慰霊碑に甥の工藤和彦さんと工藤昭さんをご案内しました。
毎日お供え物をしてお詣りしてくれてる方と一緒に写真を撮りました。
d0083068_763710.jpg

by yosaku60 | 2014-11-24 07:06 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

ププタン・マルガラナ慰霊祭に参列しました(その2)

マルガラナには、独立戦争を語る遺品館があります。
私は、これまで何度もマルガラナに来ていますが、
入口には鍵がかけられていて、中に入れませんでした。
が、当日は特別に開館しており、展示品を見ることができました。
館に入り、最初に目についたのが見覚えのある次の写真です。
d0083068_94479.jpg

右上が高木米治氏です。
その左が平良定三氏です。
左下が松井久年氏です。
どうも日本に関係のある掲示のようですが、
あとの3名は、どういう方なのかわかりません。
表示だけを見て判断できないからです。

というのは、
例えば、松井久年氏の名前ですが、バリ名を Wayan Sukra と言います。
が、Bung Sukra と表示している場合もあります。
さらに、彼の日本名となると、Mutsisiso とか Mutswiso と表示されています。
聞こえたままに表示しているからです(稲川氏証言)。
松井久年は、実地あがりのトップの兵曹長(陸軍では曹長)でした。
で、松井兵曹長、即ち「Matswiso」と聞こえたままに表示したのです。

ついでに言うと、
荒木武友氏についてもいろいろです。
荒木を Harraki とか、極端には、Haraka とも書かれます。
そういう風に聞こえたのでしょう。

バリ人は年齢を気にしません。
ですから、年齢となるともっといい加減です。
松井久年氏は、1915年生まれで、戦死した当時は31歳でした。
荒木武友氏は、1920年生まれで、戦死した当時は26歳でした。
が、バリ州が作成した「Puputan Margarana」には、
両氏とも40歳と記入されております。

と言う風に、
バリでは、過去の記述に少し曖昧さがあっても気にしません。
判らないで書かないより、何かしら書いた方がよいだろうとの感覚なのでしょう。

ですから、書いてある表示を見ただけでは、全てがわからないのです。
一冊の本を読んだだけで全てを理解した気になってはいけないということです。



さて、次の写真は、左から、エヴィさん、カミさん、
そして、高木武友氏の忘れ形見、アリニさん、
右端は、アリニさんの長男の奥様です。
アリ二さんとは、久しぶりであり、うれしい出会いでした。
d0083068_953445.jpg

高木武友氏と工藤栄氏の両名とも、海軍の第三警備隊所属でした。
同じ部隊の戦友だったということです。
そのご親族どおしが一同に集まり夕食をご一緒しました。
バリヒンドゥー教では、死して草場の陰に居るのではなく、海の彼方に居ます。
サヌール海岸のレストランでの会食でした。
高木、工藤の両氏も、波打ち際まで来て、
この会食光景を喜んで見ていてくれたことでしょう。
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by yosaku60 | 2014-11-23 10:22 | バリ島での独立戦争 | Comments(2)

ププタン・マルガラナ慰霊祭に参列しました(その1)

インドネシア独立戦争におけるバリ島の英雄、イ・グステ・ングラライ。
彼の命日である11月20日には、玉砕したルガラナの地で毎年、慰霊祭が行われます。

ここバリ島では、20余名の日本兵が、
終戦後も日本に帰らず、インドネシア独立戦争に参戦しました。
いわゆる残留日本兵と呼ばれております。

彼らのほとんどが参戦後、一年を経ずして戦死しております。
バリ兵に戦闘の模範を示すために、常に戦闘の最前線にあったからです。

インドネシアのために魂を投げ出した、こうした日本兵の戦死は、
バリ島においても好意的に語り継がれております。

ですから、元日本兵のご親族は、
大切な人として、慰霊祭に招待されます。

今回の慰霊祭には、
残留日本兵のひとり、工藤栄氏のご親族が参列されました。
そのご親族を案内する者として、私も招待状を頂き参列しました。

しっかりと慰霊祭の全てを見させていただきました。
写真で紹介させていただきます。

まずは、マルガラナの正面、入口です。
関係者か、あるいは招待状がないと、この割れ門をくぐれません。
d0083068_11302418.jpg

日本兵のご親族です。
最前列の高い位置に座らせていただきました。
d0083068_11323721.jpg

広い式場。
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整然としていました。
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現在のインドネシア兵だと思いますが、
代表者がングラライの遺訓である、オランダ軍への徹底抗戦を読み上げ、
その精神を受け継ぐことを宣言します。
式典におけるクライマックスです。
セレモニーではありますが、宣言の声に誠実さがあり、聞かせるものがありました。
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踊りながら歌う女性。
踊りの意味、歌の意味は、分かりませんでした。
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これぞ、バリ!
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慰霊塔へ貢物を運びます。
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その年に選ばれた学校の生徒のみ、式典を見ることが許されます。
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手にある写真が工藤栄氏。
持っているのが、甥の工藤和彦様。
そのお隣の大きい方も、甥の工藤昭様。
お二人のおかげで、式典に参列できました。
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工藤栄氏の慰霊碑をお詣りするお二人。
d0083068_11573743.jpg

やはり日本兵のひとりである、ワジャの慰霊碑です。
近日中にプラガにあるお墓を整備することを報告しました(左は私)。
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by yosaku60 | 2014-11-22 12:02 | バリ島での独立戦争 | Comments(4)


常時ほろ酔い候
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