あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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桶 健行の証言: 私の独立戦記(その2)

偵察の途中、敵に見つかるも危うく逃れる


其の様な或る日、
私は部隊長よりゲリラ戦展開の為の敵連合軍の兵力、
配置並びに地形等の偵察を命じられた。
当時我が部隊はチタルム河を挟んで、敵連合軍と対峙していた。
そしてチタルム河を渡る鉄橋は、
我が軍によって既に破壊されていた。

朝7時、私は部下2名と共に部隊を出発し、チタルム河を渡った。
私の身に付けた衣服は住民から借りたもので、
汚れた上着と半ズボンに、
首からサロンを襷(たすき)に掛けたものであった。
部下たちも一般民服に大笊(ザル)を担っていた。
勿論私は顔や手足に泥を塗って素肌を隠していた。
私は部下と共に中央をさけて道路脇を歩いた。
道路上には猫一匹姿を見せず、
無気味な静けさに包まれていた。
其処はバンドンから数キロ離れた敵軍の駐屯地帯、
パラッサリー周辺であった。

天候が急に崩れ、雨が降り出したと思う間もなく大降りになった。
周囲を見渡しても、
近辺には雨宿り出来る様な民家も小屋もなっかた。
已むなく雨中を進むうち、折角手足に塗った泥が雨で洗われ、
徐々に素肌が現れてきた。
悪い事に、前方から兵士を満載した敵トラック数台が、
装甲車を先頭に近づいてきた。

敵に身分が知られたら射殺される事は明らかだ。
絶体絶命とは此の事だと肝に銘じた。
トラックが眼前に近づいてきた。
私は俯いて歩いた。
若しトラックが停車したら、
私は懐中の榴弾で自爆するのみと覚悟した。
振り返って部下を見ると、まるで死人の様な顔色をしていた。
トラックは1台又1台、私の脇を通り過ぎていった。
私は村人らしくとぼとぼと歩き続けた。

そして最後の敵トラックが過ぎ去った時、
私は道路端の田圃に飛び込んだ。
後方約100mで敵トラックは急停車し、
敵兵がトラックから飛び降りる姿が見えた。
私は部下と共に腰をかがめて走った。
後方から敵機銃の乱射音が聞こえてきた。
幸い稲が高く伸びていて私達を隠してくれていた。
敵弾も他方にそれて危機を脱した。

途中私達は何度か部落を過ぎ河を渡った。
そして安全地帯に入って部落で1泊し、
部隊に帰りついたのは翌日の午後であった。



敵軍攻撃を試みるも失敗する


其の後約1ヵ月間は何事もなく過ぎたが、
次はバラッサリー駐屯の敵軍を攻撃すべく準備に入った。
兵力200名で夜間攻撃をしかける事にした。

時は1946年の秋だった。
部隊は態勢を整え、午前2時基地を出発した。
私は元義勇軍小団長であったモハマッド・サニー中隊長と2名で、
部隊の先頭に立ち夜道を進んだ。
敵陣に約300mの所まで隠密前進した我々は、
部隊を左右に展開させた。
当夜は月夜で明るく、午前3時頃であったと記憶している。

部隊は戦闘体勢のまま待機させ、
私と中隊長モハマッド・サニーの2名だけで尚匍匐前進し、
敵前50m迄忍び寄った。
敵の歩哨2名が衛兵所横の土のうに寄りかかって、
互いに何かを話している姿が見えた。
オランダ兵の様だった。
其処から先は私だけで行く事とし、
モハマッド・サニー中隊長にはそぼ場を動かぬ様指示した。

私は這って尚10m進んだ。
敵兵は全く気付いていない。
私の考えは、独りで敵陣に跳び込んで行き、
敵兵2名を軍刀で刺殺し、
其の後衛兵所へ手榴弾を投げ込む事を先ず考えていた。

現在になって想うと、
どうして其の様な乱暴な捨身行動を考えついたのか、私自身にも分からない。
それにしても、良く今迄生きながらえたものだと感無量である、

私は軍刀を握って尚這い進んだ。
そして、もう一息で敵陣に飛び込もうとした寸前に、
後方で待機している筈のモハマッド・サニー中隊長が、
突然身を起し、私の所迄走り込んできた。
何を勘違いしたものでしょうか。
「あっ」と思った瞬間、敵の自動短銃が火を吹いた。
私は咄嗟に道路脇溝に飛び込み、
敵陣に向かって手榴弾を投げつけた。
それは反射的な無意識による行動であった。
敵弾は数知れず頭上をかすめ、夜気を引き裂いて飛び去った。
被弾したものか私の帽子も消えうせていました。

作戦は失敗した。
by yosaku60 | 2014-07-31 07:17 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

桶 健行 の証言: 私の独立戦記(その1) 

インドネシア独立戦争を戦った残留日本兵で氏名の分かっている者は903名いる。
903名の大方の年齢は24歳~27歳であり、20歳以下となると30名しかいない。
これら20歳以下の若い日本兵は敵の前線で戦ったためかほとんどが生きて戻れなかった。
20歳以下で生きて戻れた日本兵はたったの5名しかいない。
その5名のうちの一人、桶健行の証言を紹介する。
彼は柔道4段であり、インドネシアの柔道普及に貢献している。
若いときから身体を鍛錬していたのだろう。
また、彼は日本軍離隊にあたり、
あらかじめインドネシア軍に連絡をとり、
武器を満載した小型トラックで、イ軍に乗りつけている。
剛健なだけでなく胆力もあったのだろう。
彼の郷里は、石川県の美川町である。
美川町は、私が中学まで育った町である。
郷里の英雄として、誇らしく彼の証言を紹介したい。


私の独立戦記


(証言の残留日本兵)

桶 健行
1926年1月10日生まれ 石川県美川町出身
16軍野貨廠 二等兵

(証言)



インドネシア国軍より歓迎される

1946年2月、私はバンドン地区、ダユロット村に駐屯していた、
日本軍火薬兵器庫・兵器廠・伊藤隊から離隊した。
私は兵器を満載した小型トラックを独りで運転し、
イ国国軍の前身であるBKR(人民治安隊)-TRI(イ国人民軍)に入隊した。
そのTRIは当時南バンドン地区守備隊であり、アブトラ・サレー部隊であった。

日本軍軍政時、義勇軍大団副官であったアブトラ・サレー部隊長に、
前もって連絡していたので、私は大歓迎された。

アブトラ・サレー部隊は大隊編成で、兵員数は約500名であった。
兵器は日本軍の重機関銃3丁程あったと思う。
其の他迫撃砲5門、擲弾筒数筒並びに軽機関銃、
自動短銃、小銃等で数百丁、数は相当揃っていた。
アブトラ・サレー部隊長の話によると、
これ等兵器は日本軍の兵器製造工場の幹部から入手したとの事であった。



日本軍離脱の意志変らず

部隊にはもと義勇軍兵士や元日本軍兵補達が大勢いたので、
取り敢えず言葉は何とか間に合った。
彼等のほとんどが簡単な日本語は話せたからだ。

又程なく私の原隊、兵器廠伊藤隊が私を探していると言う噂を耳にした。
然し、私の意思は変わらなかった。

1946年の半ば頃には、
インドネシア独立軍とオランダーイギリス連合軍との間の戦闘が、
各地で盛んに行われていた。
アブトラ・サレー部隊にいた日本人は私1名だけだったが、
私も丁度満20才。
恐いもの知らずの年令であった。
by yosaku60 | 2014-07-30 16:06 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

ホームページの文字化け直したつもりが....

私のホームページ「残留日本兵の証言」.....
日本では問題ないのですが、
インドネシアで見ると、文字化けして見れないという弊害がありました。
使用ソフトが古く「言語指定」していないためでした。
それで、全ページ、言語指定を書き込みし文字化けを直したつもりでしたが.....
まだなおりません.....難しい。
もう少しお待ちください。

それで、ホームページですが、
下図のカウンターに見るように、閲覧者が2000を超えました。
IPアドレスでカウントされるので、正確に2000名の方が閲覧されたということになります。
3月6日に1,000人でしたので、145日間に1,000人....
ということは、一日に7人のペースで新しい閲覧者が増えていることになります。
うれしいことです。
ヤフーやグーグルで「インドネシア、残留日本兵」と入力すると見れます。
バリ島の残留日本兵については、特に詳しく書いております。
興味のある方は、閲覧くださるようお願い致します。
d0083068_5211392.jpg

by yosaku60 | 2014-07-30 05:22 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

ちょっとびっくり: 枯れないナス

d0083068_9354598.jpg右のナス....立派でしょう。
友人の家の鉢植えのナスです。
驚くなかれ、このナス。
苗は日本のナスらしいのですが、
一年10ヶ月の長寿なんだそうです。
オレ、ナスって、
5月に植えて、9月には枯れるもの、
と思っていたんだけど......
ここは、常夏の国、バリ島。
ナスも生き続けるんですね~
ってことは、オレも......
てなことあるわけない、ない!!
by yosaku60 | 2014-07-29 09:35 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

友人の誕生日を祝う

d0083068_10421322.jpg8月1日は、友人Mさん(写真)の誕生日。
が、明日からのオレ、少々忙しくなる。
で、Mさんに、
「4日前だけど誕生祝、どおう」と頼んでみた。
Mさんは、細かなことを気にする人ではない。
「いいよ」と即答してくれた。
ただ、Mさんもオレも、只今ダイエット中、
かと言って、折角の誕生日、
オレのいつもの貧乏暮らしを
Mさんに押し付けたら失礼......
ってんで、迷ったあげく行ったのが、
サヌールビーチホテルの専用ビーチに、
新規オープンした.....
シーサイドバー「banboo」。
食べ物はピザしかなく専ら飲むだけの処。
が、オレに似合わず一寸高級感のある店.....なので飲む雰囲気はまあそれなりであった。
で、ピザの味だが、オレにとってはピザもお好み焼きも同系統の食べ物。
それが美味しいのか不味いのか、ワカリマセン。
そんな飲み食いの話はともかく、
d0083068_1102331.jpgそこで初めて見たのが、DJ。
デスクジョッキーという職名は知っていたが、
その仕事ぶりを傍で見るのは初めてだった。
DJとは....
オレは、レコードの選び係であり、
時々おしゃべりを入れて、
綾小路きみまろ風に曲の紹介をする人、
と思っていたのだが、
全くのミスアンダースタンディング。
流す曲をその場の雰囲気で、
即興で自由に編曲できる人らしい。
すごい! 
そして、オレの無智もすごい(笑)!
写真は、そのDJのレナさん。
時々眼で合図し仕事振りを褒めたら、ちゃんとそれを受け止めてくれる心の優しい人でした。
by yosaku60 | 2014-07-28 11:06 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

バリで独立戦争を戦った日本兵は何名いたのか

インドネシアの独立戦争での、
インドネシア軍に加担した残留日本兵を調べてきた。
ここバリ島は地元でもあるので、特に詳しく調べている。
で、バリ島で独立戦争を戦った残留日本兵の人数であるが、
今の時点という注釈づきで次のように結論付けたい。
...........

次表の31名は、私が現在知りえる全てである。
が、重複して方がいるかも知れない。
また、まだ知りえていない方も確実にいる。
したがって、人数については、
「30名ほど」と発言してよいのでは、と思っている。

表の墓標とは、マルガ英雄墓地の碑のナンバーのことである。
現地の墓標339番には、クトゥト・スニョウとブン・チャングの2名の名前が刻まれている。
管理人は、同一人物で名前を二つ持っていたと言う。
が、そんなはずはない。
戦死した場所が違うからだ。
クトゥト・スニョウは、ムンドゥク・サワで戦死したことをバリ兵が証言している。
一方、ブン・チャングは、ププタン・マルガラナで戦死した96名のうちの、
一人であることがマルガラナ記念誌に記載されている。
二人が同一人物であるわけがない。
また、墓標1372番であるが、これは名前が知れない者を全て網羅した墓標である。
例えば、ププタン・マルガラナで玉砕した96名.....
そのうちの3名が名前がわかっていない。
名前のわからないのは日本人である、といわれる。
それはともかくとしても、
工藤栄、そして曽我 の墓標は、1372番と考えて良い。

したがって、マルガ英雄墓地の中で、
日本人独自の墓標は11基あり、12人の日本人が祀られていて、
さらに、1372 番という特別な墓標に2~5名の日本人が祀られているということになる。

また、表の10人目に挙げた氏名不詳者であるが、
日本人としてプラガに慰霊碑まで建てられており確定した員数に含めた。
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by yosaku60 | 2014-07-27 11:52 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

残留日本兵: 工藤栄慰霊碑の入魂式終えました

残留日本兵、工藤栄慰霊碑への入魂式.......
建立費用・式典費用の全ては、日本のご親族がご負担されました。
私は現地民とご親族の仲介をしただけでしたが、
そうは言っても、うまく運ぶかどうか気にかかっておりました。
で、ブログでも日本人の参列を呼びかけたのでした。
おかげさまで.....
日本領事館の方々、
日本人会から万亀子イスカンダール会長はじめ会員の方々、
総数で20名ほどの日本人のご参列がありました。
式典を準備してくれた現地の方々にも喜んでもらえました。
ご参列いただいた方々、本当にありがとうございました。
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by yosaku60 | 2014-07-27 07:39 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

日本風焼き飯(ヤキメシ)の店

国粋主義を訴えたブラボーと、開国主義を訴えたジョコウィー、
の一騎打ちであった、インドネシア大統領の選挙の結果が出た。
ジョコウィー53%、ブラボー47%で、6%の開きでジョコウィーに軍配が上がった。
ブラボーは選挙無効を訴え、その訴えが取り上げられることになったが、
今のところ予想されたほどの僅差を理由にした混乱が起きていない。
6%の違いは、この国では800万人の得票差である。
僅差ではないってことだろう。
ブラボーも諦めざるを得ないのかも知れない。
いずれにしても混乱が少ないってことは、ありがたいことである。
市場は敏感である。
d0083068_971259.jpg選挙前、一円が113ルピアであった為替レート。
今日は一円が108円と一気にルピア高になった。
さて、話題を変えて定番の食べ物の話です。
バリも観光地を離れ、観光客を相手にしない店となると、
ぐんとお値段がやすくなる.....ってな、お店の紹介です。
場所は、バトゥブランです。
お店の名は、「Nasi goreng Jepang」
って、面白い店名でしょう。
訳して日本風ナシゴレン、
「日本の焼き飯」てなつもりなのでしょう。
が、驚いてはいけません。
つもりだけではないんです。
ぴったり、そのとおりなんです。
ふんだんな具が細かく切られ、ご飯がパラパラに炒められているんです。
そして、値段が、なんともなんともの100円 (一万ルピア)。
他の料理の値段もちょっと見ると、アヤムゴレン140円、フーヨンハイ120円、
コロッケ160円....などなど、どれも安いですよね~。
おカミさん(写真)の名はダユさん、明るく話しかけてくれる方でした。
楽しい会話ができました。
それに素敵な笑顔.....口と耳だけでなく眼のほうもゴチソウサマでした。
by yosaku60 | 2014-07-26 09:24 | バリ島=レストラン | Comments(0)

ビーチの使用に既得権があるのか

d0083068_1033727.jpg以前のブログで、
いつも行く浜のワルンの前の、
大木が風で倒れた話を書いた。
倒れた大木は直ぐに片付けられた。
片付けられた跡には、
格好な「空き浜」ができた。
そんな一等地のスペースを
見逃してはならないと、
こんなのができた(右)。
作った男に「これ、なーに」
と聞くと、
「誰もが自由に使える休憩場」
と言う。
が、そうとも思えない。
最近では、ちゃっかりと営業に使っている。
この辺の小さなワルンやレストランは、土地の使用料を払っていない。
勿論、この空きスペースも誰に断りもなく勝手に使っているのである。
後々、既得権を主張するためのような気がしてならない。
まあ、これも、バリ人だからできることではあるが....
by yosaku60 | 2014-07-25 10:08 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

残留日本兵: 工藤栄氏の慰霊碑入魂式のご案内

現在、バリに住んでおられる方々に申し上げます。

d0083068_1043275.jpgインドネシア独立戦争では、
ここバリ島でもバリ軍とオランダ軍、
との激しい戦いがありました。
その戦いでバリ軍に加勢した日本兵が、
約20~30名いました。
そして、命を落とした日本兵12名を
バリの方々は英雄として、
マルガ英雄墓地に祀ってくれております。
その12名の中の一人が、
右の写真の工藤栄氏です。
工藤氏は、タンジュンブノアの地で、
命を落としましたが、
地元民の手で慰霊碑が建てられ、
その後60年もの間、地元民に護られてきました。
その慰霊碑ですが、少し朽ちかけておりましたので、今般、造り替えしました。
その慰霊碑の入魂式(みたまいれの儀)が地元民により下記のとおり行われます。
私は、自らの命を投げ出して、この地に尽くした先人達に尊崇の念を抱いております。
同時に、そうした日本人を英雄として大切に扱ってくれているバリの方々に感謝しております。
遷霊式(みたま移しの儀:去る6月14日)には、ご親族の方々がご参列されました。
ですが、今般の入魂式(みたまいれ)にはご都合がつかず参列できなくなりました。
日本領事館の山田様が親族の代わりに参加していただくことになっておりますが、
遷霊式に比べて、参列する日本人が少ないことが少し気にかかっております。
お時間があれば、当地にお越し頂きたくご案内申し上げます。
d0083068_10454858.jpg
    期日・時間: 7月26日(土)午後3時より
    場所:  タンジュン・ブノア


半島の突き当たりまで行くと直進はできず、左折のみになります。
そこを左折せずに、右折すると広場に出ます。
その広場の一角に慰霊碑があります。
by yosaku60 | 2014-07-24 10:43 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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