あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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ちょっとびっくり(濃ーい家族関係)

d0083068_12145715.jpg右は浜で毎朝声を交わす、
サテ(串焼き)屋のおカミ。
おカミにはまだ子供がいない。
欲しいができないらしい。
写真の二人の子供......
ひとりは自分の姪、
もうひとりは夫の姪、
姪どおし勿論血縁がない。
が、姉妹同然に過ごしている。
夫婦別々の姪が姉妹のように...
だなんて、
日本ではこういうことない。
が、ここバリでは、
別に不思議なことでない。
みんなで助け合って生活する。
だから少々貧しくても生きてゆける。
んで、例えば、一家に外国人と結婚する兄弟姉妹がひとりでも居れば、
そのひとりに一家みんながぶら下がって生きてゆく。
バリだけではない、後進国の人々はみんなそうだ。
でも、こういう当たり前のことを覚悟せずに、
結婚して失敗する日本人が多いことに........ちょっとびっくり!
by yosaku60 | 2014-06-30 12:27 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

手で食べないと美味しくないアボン

d0083068_9304753.jpgナシチャンプルとは、
ご飯にいろんなおかずが
乗っかてるもの。
おかずを指でこねながら、
ご飯の一粒一粒によーく、
混ぜ込んで食べる。
いろんな味がミックスされて
実に美味しくなる。
もともと味オンチなオレ。
日本料理の微妙な味加減は
よーく判らない。
が、ナシチャンプルの
強烈な味のハーモニーは判る。
さて、写真だが、
この店のナシチャンプルは特に美味しい。
辛い、甘い、苦い、それになんだろう、いろんな味がミックスされているのだ。
「何故か」と聞くと、「アボン(abon)が入っているからだろう」と言う。
アボン......上の写真で、大きなおにぎり型に積み重なれたものだ。
よく撮れてなかったので、白い破線で囲ってみた。
「そうか、アボンか」
d0083068_951888.jpgってんで、
アボンだけを買ってきた(写真右)。
これで500円である。
案外に高い。
アボンだけを食べてみると、
意外や意外、あまーい。
これじゃ子供の食べ物だ。
日本の「でんぷ」に似ている。
鶏肉や豚肉を細かく、
裂いて作るらしいが、
何が入っているか、
味オンチなオレは判らない。
判ったのは......、
アボンだけ食べても美味しくないってことだけだ。
箸で食べようとすると、ぱらぱらこぼれて食べにくい。
箸ではチャンプルもできない。
いろんなおかずと一緒にチャンプルする......
それも、指の先で転がしながらつぶしながら飯にまぶす。
そうすると、アボンの味が生かされ、ナシチャンプル全体の味が変わるのだ。
ということは、オレはこの複雑な味を味わえるが、
未だ手で食べれないカミさんには味わえないってことだ.....可哀相に。
by yosaku60 | 2014-06-29 09:58 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

オレがボスと呼ぶ男

d0083068_10182667.jpg男は、ワヤン・スアルカ(右はクトゥ)。
俺は彼を「ボス」と呼んでいる。
最初は「ボスじゃないヨ」と、
呼び方を拒んでいた彼。
が、かまわずに言い続るうちに、
それで通じ合えるようになった。
何故にボスなのか?
大金持ちって訳じゅないが....、
金満家で、お金に困らない。
別荘や貸家を持ち船まで持っている。
まあ、そんなことよりも、
オレにとって、大事なことは、
彼が博識だということだ。
一般にバリ人で高い教育を受けた者は、
人々と違った感覚をもって、バリの社会を見ている人が多い。
要するに、お高いのだ!
が、彼は違う。 庶民の感覚でいて博識がある。
オレにとっては、バリのいろいろを教えてもらえる先生だ。
で、敬愛をこめて「ボス」と呼んでいる。
by yosaku60 | 2014-06-28 10:32 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

ジョニーアグンのヨガ教室

d0083068_10471836.jpg写真中央の男、
joni Agungという。
2012年10月16日のオレのブログ、
「バリ島=人物往来」のカテゴリで、
「バリ男の本物サングル」という題で、
取り上げている。
取り上げた時は、まだ、彼が、
joni Agungとは、知らなかった。
その後、いろいろな処で知り合い、
逢えばお互いにエールを送り合う、
間柄となった。
その後、彼から、joni Agung と、
名乗り、歌手ってことも知らされた。
彼に勧められて、Joni Agung と入力してyoutube での歌を聴いてみた。
歌い慣れているのだろう、軽いリズムでなかなか聴かせる歌だ。
ジョニーアグン.....
いろいろな人(バリ人)に聞いてみた。
誰もが彼の名を知っている.....相当の有名人だった。
さて、そんな彼が教えているヨガ教室......
朝の7時半より、サヌールのカランビーチで毎日開かれていて盛会である。
穏やかなバックグランドミュージックを流し、
そのミュージックの合間合間にマイクから次の動作を指示する彼の声が聞こえる。
その彼の声が発せられるタイミングが、聞いていて実に小気味が良い。
オレは音楽がまるっきりわからないので、大きいことはいえないが、
民謡を歌うときの「合いの手」というのだろうか、
なんだか、そんなタイミングで彼の声が発せられるので、
演技者も気持ちよく次の動作に移っていけるようだ....そんな風に思える。
さすが本職の歌手だ!
d0083068_1113337.jpg

人々が集る前に、砂を均すのも彼、
ミュージックを準備するのも彼、
全て自らが準備して、これらが全てボランティアなので、勿論無料。
「みんなが健康になれば、嬉しい」と、
喜びながらみんなの世話をするジョニーアグン.....あなたは、素晴しい!!!
d0083068_111405.jpg

by yosaku60 | 2014-06-27 11:26 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

平良氏証言から得たマルガ大戦でのふたつの確信

マルガ大戦を振り返って、
私は次の二つを確信している。

1、バリ人兵士の全員が戦死したわけではない。
2、オランダ軍戦死者数は、300~400名であった。

どうでもよいことかも知れないが、
情報が少ない中、ここまで確信するにはちょっと苦労したので、
その苦労をちょっとだけ書きたく(笑)、
冗長になることお許し願いたく。

........................

バリ島におけるインドネシア独立戦争、
の中でもっとも大きな戦いは、マルガ大戦であった。
この戦いは別名、マルガラナのププタンとも呼ばれる。
ププタンとは、玉砕を意味する。
ウィキペディアでは、マルガ大戦を
「バリ兵96名が降伏勧告を拒否し壮絶に戦って玉砕した」と、
戦った全員が戦死したように書いている。
が、私はいくつかの理由から、この全員戦死説に疑問を持っていた。

その1

プナルガン村の戦史によれば、
同村出身のバリ兵は約220名、それを松井と荒木が率いたことになっている。
220名という数字は、独立戦争の5年を通算してのものである。
マルガ大戦では、この中の何名が参加したか定かではない。
が、指導者の松井と荒木がマルガで戦死したのだから、
相当の部下が一緒に戦死したものと思われる。
同村の220名の兵士のうち36名が独立戦争を生き残っている。
この36名のうち、マルガ大戦を戦ったものがいたのではなかろうか。
生き残った人数を数字的に見て、そのように直感するのである。

その2

以前に書いた、バリ人戦友が語る日本兵のスラマット の記述。
そこではマルガ大戦がどのようであったかをバリ兵が詳しく書いてる。
これを書いたバリ兵は、生き残ったから書けたのではなかろうか。

その3

戦いは昼に始まって白兵戦となって夜に終っている。
暗くなって見えなくなったから終ったのではなかろうか。
途中で終ったのであれば、生き残っていた者がいたはずだ。

その4

そのように思っていたところに、この度、
末尾に掲げる「平良定三氏証言:マルガ大戦」が手元に入った。
この中に、

1、その壮絶なる白兵戦の状況はとても口では説明できません。
2、翌朝、両軍共に負傷者の収容、戦死者の処理などを行いました。

との、平良氏の二つの証言があるが、
これは、生き残った者がいたからこその記述と思える。
ということで、
これら、その1~その4の理由を合わせ、
私は、マルガ大戦では、全員が戦死した訳ではない、と確信する。



もうひとつの確信は、オランダ軍の戦死者数。
マルガ大戦での戦死者数は、
日本兵スラマットを語る中で語られている。
語ったのはバリ人兵士である。
「バリ兵の戦死者96名、オランダ兵戦死者300~400名」と、書いている。
この数字、余りにも大雑把なので大げさではなかろうかとの疑問をもっていた。


が、平良氏の
「オランダ軍はその甚大なる消耗で戦意を喪失したようです」
の記述から、この数字は、大げさではないと思いなおした。
白兵戦であれば、武器の量ではなく、戦う意志の強さが、
相手を上回ることになろうとの一般的観測も後押ししての思いなおしである。
オランダ兵戦死者300~400名であったのだろう。


さて、
そんな二つの確信をさせてくれた、平良定三氏の証言を紹介しよう。
平良氏が、月森省三氏(以前に記述)に語ったものの中からの紹介である。



(平良定三氏証言:マルガ大戦)

当時のインドネシア義勇軍は、圧倒的なオランダ軍の火力に
海岸拠点からブドゥグル山麓へと転戦しておりました。
オランダ軍もバリ島南部中原を制圧した余勢を駆って
山麓地域帯へと進出して来ましたので、
戦局の大勢は必然的にマルガの会戦へと流動して行ったのです。

マルガ一帯の村落はオランダ空軍の執拗なガス弾、焼夷弾爆撃を受けましたが、
独立義勇軍の兵士は壕内でひたすら耐えました。
空軍の掩護を受けながらオランダ歩兵部隊が近づいた時、
壕内で満を持していた独立義勇軍は敢然と白兵戦に打ってでました。

その壮絶なる白兵戦の状況はとても口では説明できません。

11月20日午後から夜間にかけての延々たる白兵戦の断続で、
両軍共に甚大なる兵員を失いました。
11月21日払暁、
両軍共に負傷者の収容、戦死者の処理などを行いましたが、
もはや銃声はありませんでした。
明らかに、オランダ軍はその甚大なる消耗で戦意を喪失したようです。
独立義勇軍も甚大なる損耗を払いましたが、
自主独立への基礎を獲ち取ったという大戦果をあげました。
by yosaku60 | 2014-06-26 11:33 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)

今日は何のためのお祈りなのだろう?

d0083068_1116124.jpg早朝いつものようにビーチに、
.....と、そこらじゅう、
お祈りする人がいっぱい。
いつものワルンに、
.....と、ワルンのカデ一家も
お祈りのためにカンプン(故郷)に、
行っていて、お店は閉店。
どうしたというんだ。
今日は何のためのお祈りなのだろう。
近くにいた、バリ人に聞くと、
「ブッダの日」という。
ウソだろう!
他の宗教のために、
こんなにもバリ人が祈るわけがないだろうに.....
家に帰ってバリのカレンダーを見てみた。
6月25日:Buda Kliwon Pahang と書いてある。
なるほど「Budha(仏教)」ではない、Buda と書いてある。
バリのいろいろが知りたいオレ、例により何人かに聞いてみた。
Buda は、サンスクリット語で水曜日という意味らしい(ホントかな)。
Kliwon .....これがまた難しいらしい。
バリのウク暦カレンダーを見ると、時々kliwon が出てくる。
そのkliwon が水曜日にあたると、それをBuda Kliwon Pahang と言って、
お祈りする日だそうな.......と、これが聞いたうちの、ひとりが語った説。
もうひとりが、語った説.....
「お寺のオダラン(創設日を祝う日)なのだろう」
に、「だって、サヌール中がお祈りだらけだよ」と聞くと、
「サヌールの大きなお寺のオダランだからヨ」......って、ホントかな。
てなとおり、正確なことがつかめぬままにブログを書き出した。
ほんに、バリは、おいのりだらけ.....だ!!
by yosaku60 | 2014-06-25 11:21 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

ちょっとびっくり(危なくないのかな~)

日本での道路補修は夜間に行われるが、
バリは朝でも昼でも夜でも時間かまわず行われる。
そのための渋滞なんてだーれも気にしない......ように見える。
先日のカナガッサム行きで、こうした渋滞中にとなりに並んだバイクがこれ!
このあと、このまま女の子を立たせた状態で.....
オレに先行、急な山道をスピードをあげて登っって行った。
d0083068_825825.jpg

by yosaku60 | 2014-06-24 08:26 | バリ島=ちょっとびっくり | Comments(0)

バリ島の残留日本兵:美馬芳夫の勇敢な戦死

昭和58年6月15日発行の「オールネービー」.....
に掲載された、バリ島にあって終戦処理をした、
月森省三氏の「バリ島の聖戦完遂者」という記事がある。

その中に、月森氏がバリでの残留日本兵で唯一生き残った、
平良定三氏と会って話した内容が記されている。

そのひとつに、月森氏からの
「日本兵が日本名を名乗らず何故にバリ人名を名乗ったのか」
との質問に対し、平良氏が「日本兵士の所在がスパイされるから」
との理由を述べたことが記されている。
 
そして、平良氏は、
美馬芳夫の戦死もそのスパイ行為が原因であったと述べている。
以下、平良氏が語ったことをそのまま転載する。


(平良定三氏証言:美馬芳夫の戦死)

d0083068_7303166.jpg


日本兵士が参加している義勇軍の駐屯地に限って
十倍の兵力と百倍の火力を持ったオランダ軍に急襲されました。
日本兵士の所在がスパイされていたのです。
耳慣れない日本名を探してスパイする人間がいたのでしょう。
私もスパイされた経験があります。

バリ島北部から南部の中原に転進中、
シンガラジャのクランディス(上図参照)の民家で仮営している時、
オランダ軍に包囲されました。

我が軍の十倍の兵力で寝込みを集中攻撃されたのですから、
小銃の応戦だけでは、ジリ貧のままで、
手榴弾を投げ込まれれば全滅というところでした。

ところが、その時、
美馬芳夫海軍二曹(徳島県支渋野町出身)が
小銃を乱射しながら、戸口から飛び出したのです。
つまり、陽動作戦というのでしょうか。

オランダ軍の銃火が美馬兵曹に集中した隙に、
我々は九死に一生を得て脱出しました。

美馬兵曹は、そのまま斜面を転がるように谷川に姿を消しました。
オランダ軍は、美馬兵曹を追って
谷底の川面に自動小銃を満遍なく打ち込んだ後、
止めを刺したものと引揚げようとした瞬間、
谷底からの銃声一発でオランダ軍の将校は谷底に転落しました。
それを見て、オランダの夜襲部隊は散を乱して撤収しました。

翌日の捜索で美馬兵曹の遺体は川下から発見されましたが、
両大腿貫通銃創による出血死で、両足はぶらぶらの状態でした。
埋葬に参列した義勇軍の若い兵士達も
一身を犠牲にした乾坤一擲の美馬兵曹の行動に
戦闘の厳しさを肝に銘じたようです。
8年後、美馬兵曹の洗骨にクランディスに行きましたが、
両下腿だけで上半身がありませんでした。
私は今でもその不思議さを気にかけております。
by yosaku60 | 2014-06-23 07:37 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

PKBに行って来ました

d0083068_7285812.jpgPKBに、行って来ました。
PKB?って、
実はオレも知らなかったんです。
家に居候している若者達が
「PKB」を連発して話すので、
聞くと、Pesta Kesenian Bali
の略でした。
そうです。「バリ芸術祭」です。
この時期、一ヶ月通して開催される、
バリ芸術祭....年々、人出が増えて、
夜なんぞは人ごみを見に行く、
ようなもんで疲れるだけです。
で、昨日のお昼に、
みんなで行って来ました。
写真は、バンドゥンの踊り。
バリの踊りよりもテンポの早い踊りでした。
バリに住まわせて貰っている義務.....
と、勝手に考えて毎年一回はPKBに行くようにしています。
今年はこれで行くことはありません。
by yosaku60 | 2014-06-22 07:38 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

大勢いても安くあがる食事代

d0083068_7593211.jpgここバリは、6月が年度替り、
で、学校は一ヶ月休み。
高校生のコマンも、
田舎から出て来て、
我が家で過ごしている。
んで、食事のことだけど、
バリ人は、一人増えても
二人増えても一緒......
ご飯だけ多く炊いて、
おかずを近所でいいかげんに
買って、みんなで分け合って
うまーく食べてくれる。
昨日はちょっといいことが
あったので外に出ての食事....
といっても、この程度のところ(右)で、十分に喜んでくれる。
6人で食べても1,500円、バリ人は安くつくから楽!だ。

ところで、
この中の3人の齢を足してもオレの齢に満たない。
3人かかってきても、オレに勝てないってことだ。
オレもたいしたもんだ!!!
by yosaku60 | 2014-06-21 07:58 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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