あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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バリ島残留日本兵・平良さん宅を訪ねる(最終回)

日本の終戦時にフローレンス島にいた平良さんは、
戦友数人とフローレンス島からロンボク島を経てバリ島に来た。
バリ島のシガラジャに所属する本隊(阿南大隊)があったからだ。
短い行程ではない。
600キロはある。
それを小さなボートで渡って来た。
大変な海上の旅であったろう。
が、さらりと述べるにとどめている。

本隊に着いた平良さんは、
大隊長の阿南少佐に「離隊」を申し出た。
残留日本兵の殆どが日本軍から脱走しているが、
隊長に離隊を打ち明けて脱走した例は他にない。

二つとも特別なことである。
こうした特別なことができた平良さんをもっと知りたい。
私のそうした想いをメルダさんにぶつけてみた。

(モリタさんが語る)

平良は、バリ島の青年グループのリーダーでした。

(註)それがいつ頃だったのかは聞き逃しましたが、
   多分、独立戦争後あらたに組織した軍隊である、
   カルジュナのリーダーという意味なのでしょう。

平良は、戦いにも一生懸命でした。
その後の仕事にも一生懸命でした。
そして、お金には無頓着な人でした。


(スワルサさんが語る)

無頓着とは、お金を使うことに興味を示さなかったという意味です。
刑務所を出てからは、シガラジャで自転車屋をして働きました。
1972年にデンパサールに来てから1985年までガイド業をして働きました。
働きづくめでした。

その間、お金のことは全て母親任せでした。
シガラジャの家を売ったり、土地を買ったりするのも全て母親任せでした。

父は、目立つのが嫌いでした。
日本からもインドネシアからも表彰を受けましたが、
戸惑いながら表彰を受ける.....そんな人でした。

(註)写真左は、日本の大使からの表彰状
   右は、インドネシア軍の英雄勲章
d0083068_1152730.jpg

平良さんは2004年6月5日にお亡くなりになりました。
葬儀はインドネシア軍がとりしきる軍隊葬でした。
まだ10年前のことですから多くの戦友が葬儀に参列しました。
目立つのがお嫌いだった平良さんですが、
多数の戦友に送られて晴れやかに旅発たれたことでしょう。
d0083068_11608.jpg

d0083068_1162070.jpg

d0083068_1163955.jpg

お墓は、シガラジャのSinga Ambararaja (日本の故郷にも分骨)にある。
by yosaku60 | 2014-02-28 11:07 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

バリ島残留日本兵・平良さん宅を訪ねる(その3)

2月16日(2014年)に平良さん宅にお邪魔した時の写真です。
d0083068_4391758.jpg

写真左の男性が平良さんのご長男のスワルサさんです。
左は、通訳として私に同行してくれたエヴィさんです。
右の写真が平良さんの奥さんのモリタさんです。
スワルサさんとエヴィさんの会話はインドネシア語。
スワルサさんとモリタさんはバリ語での会話でした。
生前の平良さんもインドネシア語は得意ではなく、
ほとんどバリ語を使っていたとのことです。

さて、
平良さんが山を降りたときの話に戻ります。
平良さんは、山を降りてから結婚はしましたが戦争は止めませんでした。
その理由を平良さんご本人が次のように語っております。

(平良さんの証言:再掲載)

山から降りた私たちでしたが、他の戦いがあって、
すぐにカルジュナと言う軍隊を組織しました。

それは、オランダとの戦争をするためではありません。
インドネシア人でオランダ側についたものを国賊と考え、
それらと戦う為の軍隊でした。

新しく組織を作ったのは、もうひとつ理由がありました。
その頃、インドネシアは独立したのに、
バリは連合共和国として別の独立の形をとっていました。
インドネシアには、西と東に大統領がいたのです。

東の方は、スコアティーというのが大統領で
副大統領がアナアグン・グデ・アグンでした。
これはオランダの作った大統領制だったのです。

我々は、独立のため戦っていたのですから、
このオランダ側の大統領につくのはいやなのです。

オランダが作った大統領制が基礎を固めるのを待っていたら、
西部インドネシアが困ることになります。

また、バリの住民は、東の大統領につくのは嫌だ、
という意思表示をはっきりとしなければなりません。

それで、このバリ島では事件を起こそうと考えたのです。
私達は好んで事件を起こしました。

オランダ軍側に寝返った者をつぎつぎと殺しました。

我々だけではありませんでした。
バリ島全体が立ち上がったような熱気の中でそれが行われました。

でもこの行為、国のためバリ島のためにとった行動でしたが、
対外的、国際的には、暴動になるのでしょうね。
それがもと、私は捕まって3年間刑務所に行くことになりました。


(モリタさんが語る)

平良さんが刑務所に入っている間は、先が見えず大変でした。

(スワルサさんが語る)

刑務所から出てきた後も大変だったんです。
シガラジャで自転車屋を始めたのですが、
父に殺されたことで、それを恨むバリ人も多かったのです。
いつも命を狙われているような生活だったそうです。
デンパサールに越して来たのは、1972年に入ってからでした。
そのデンパサールの家に、ある人が訪ねてきました。
その人が言うには、シガラジャで平良さんを殺そうと、
大木の後で平良さんの来るのを待ち伏せしていた。
現れた平良さんは奥さんと二人で自転車に乗って全く無防備だった。。
その無防備ぶりに気押されして、木の陰から飛び出すことができなかった。
完全な独立がなった今は、もう昔の話です。
といったことがありました。

昔の戦争のことを聞きに、日本からも沢山の人が来ました。
日本軍の元上官も訪ねてきたことがあります。
インドネシア軍の高官も父を訪ねて来たことがあります。
東チムールでの騒動の時でした。
ゲリラ戦を仕掛けてくる東チムールに対して、
インドネシア軍はどのように戦ったら良いのかのアドバイスを求めに来たのです。

父は、どのような人にも優しく接しておりました。
ゲリラ戦を指導し戦い抜いたのに、
人へのやさしさを失わなかった父を誇りに思います。
by yosaku60 | 2014-02-27 04:40 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

バリ島残留日本兵・平良さん宅を訪ねる(その2)

バリ島残留日本兵の平良定三さんについては、
本人の証言を2013年8月1日~4日のブログで書いております。
また、平良定三さんを語るバリ人戦友の証言は、
2014年2月15日のブログで書いております。

で、ここは妻のモリタさんと長男のスワルサさんが語る平良定三さんについてです。

d0083068_1427303.jpgさて、右の写真ですが、
平良さんと最後まで一緒に
戦ったバリ人戦友です。
いつ頃に撮ったものか聞き忘れましたが、
独立戦争が終り、
山を降りた頃のものと思われます。
右が平良さん、
あとの二人がバリ人戦友ですが、
スワルサさんは、
すらすらと二人の名前を言いました。
二人は、戦争が終り平和になったあとも、
時々平良さん宅に来たので、
スワルサさんは覚えているのです。
戦友が寄ると昔の思い出話になったそうです。
その話でいつも語られることは、
平良さんと一緒にいると安全であった、
との思い出話だったそうです。


平良さんといっしょにいると安全であった。

(長男スワルサさんが語る)

父の戦友が教えてくれたことです。
父と一緒にいると何故かオランダ軍に見つからないそうです。
父は、携行の鉄砲に鈴をつけていたそうです。
父から言わせば、お守りの意味の鈴だったそうです。
鈴が鳴るのが聞こえると父がやって来たと判るのです。
が、この鈴、味方には聞こえるが、
オランダ軍には聞こえないらしく、
そのことをバリ軍兵士にとっては、
神がかっているように受け取られていたそうです。
ただ当の父は、なんとも思っていなかったようです。
by yosaku60 | 2014-02-26 14:30 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

バリ島残留日本兵・平良さん宅を訪ねる(その1)

d0083068_10391844.jpg写真は、独立戦争を戦っていた時の
平良定三さん、貴重な一枚です。

バリ島において、
日本の敗戦後、日本軍を離脱し、
インドネシア独立戦争を戦った、
日本兵は約20名居ました。
その中で生き残ったのは、
平良定三さんだけでした。

平良さんは、
独立戦争を終えたあとも
独立が遅れたバリ島にあって、
なおも戦い続けていましたが、
ジャワ島から出向いた、
インドネシア軍上官の説得により、
戦いを止め山を降りました。

d0083068_10442622.jpg山を降りたあと、
旧知のモリタさん(写真)と結婚しました。

モリタさんとの間には6人の子供がいました。
第1子から3子までは女のお子さんでした。
第4子が男の子、第5子が女の子、
第6子が男の子でした。

2004年6月5日に平良さんは、
お亡くなりになりましたが、
モリタさんは、89歳になられた今もご健在です。

そのモリタさんを訪ねて
平良さん宅におじゃましました。
メルダさんは、第4子で長男の
クトゥト・スワルサさんと同居しておられました。

以下は、スワルサさん、モリタさんが語る平良さんの思い出話です。


平良さんに最初にお会いした時

(メルダさんが語る)


平良さんはオランダ軍に抗し、
シガラジャから15キロほどのパンジー(Panji)近くの
山中に潜んでいました。

そこには70名ほどのバリの兵士がいました。
平良さんは70名の隊長として指揮をしていました。

その頃、私はシガラジャの近くの村に住んでいました。
私が16~17歳の頃でした。

私の村全体でオランダ軍に隠れて、平良さんの部隊の援助をしていました。
村から選ばれた者たちが時々、平良さんの部隊に食料などの物資を届けました。

オランダ軍に見つかると大変なので気を使いました。
もっとも大変なのは手紙類でした。
食料ならば、オランダ軍に見つかっても言い訳がつき嘘が通ります。
でも、手紙が見つかると嘘が通りません。
手紙を運ぶのはもっとも勇気のある人が担いました。

その手紙を運ぶのが私の役目でした。
私は、米の中に手紙を隠して運びました。
手紙は隊長の平良さんに直接渡しました。
私が平良さんと会ったのは、その時です。
平良さんは、とても背の高い人でした。
by yosaku60 | 2014-02-25 10:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

雨季の朝は毎日が雨上がりです

バリ島は、まだまだ雨季。
夜中はいつも雨が降っています。
そして、朝方になると雨が止むのです。
で、朝はいつも雨上がりです。
雨上がりの澄んだ空気が撮れてるでしょうか。
ここ数日の写真です。
d0083068_827775.jpg

澄んだ空気の中ではアグン山も岩肌が見えます。
が、ここ数日、山の中腹に浮雲がかかっていて......
d0083068_8273092.jpg

良い写真が撮れません。
痺れをきらして、この三枚をアップしました。
d0083068_8275372.jpg

バリ島、いいでしょ!
いらっしゃいませんか。
by yosaku60 | 2014-02-23 08:38 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

バリ人、その愛すべきいい加減さ

d0083068_926116.jpg数日前のブログ、
杓子定規な日本人にとって、
いいかげんなバリ人は、
ある面では癒しに、てな、
話を書いたが、その続きをば...

今朝のサヌールビーチ、
5ツ星ホテル「リジェンド」
のビーチサイドの大葉(写真)
の名が知りたくて、
付近にいたバリ人達に、
聞くと見事にバンラバラ。


一人目の応え: ブンガ・ピサン。
ウソつけ、そんな名前ってあるかい。
それに即答したのがおかしい!!

二人目の応え: クラウディー
そう応えた後、そばに居た同僚に、
「そうだよな」と確かめる。
と、同僚もうなずく。
何も確かめなくっていいじゃないか!!

三人目の応え: センテ
としばらく考え込んだ後に言う。
考える問題ではないだろう!!

どれが合っているかオレは分からない。
もしかしたら、みんな違うのかも知れない。
このようにバリ人は、知らなくても応えてくれる。
これをいい加減な....などと腹をたててはならない。
なんとか応えようとする、バリ人の親切心なのだ。
その親切心をありがく思う、度量の大きさ、
が、日本人には必要なのだ(なんちゃって)!

さて、今朝のサヌールビーチ。
ここ数日、釣りを楽しむバリ人が多い。
今日もいっぱいの人出だ。
d0083068_9435153.jpg「何が釣れるの?」と聞くと、
「イカン・クチルクチル」と言う。
イカンは、(魚)で、
クチルとは(小さい)という意味、
それを繰り返すと、
(すごく小さい)という意味だ。
「何という名前の小さい魚なの」
しつこく聞いてみた。
首をかしげたあと、
「クリンチック」と言う。
首をかしげながら応えた、
ってことは、そうじゃないってことだ。
by yosaku60 | 2014-02-22 09:49 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(2)

新しい店探し(サヌール地区:その7)

d0083068_7453683.jpgサヌールのメイン通り、
タンブリンガン通りに、
新しい日本食レストランができた。

ステーキ屋のようだ。
ようだ...ってのは、
行ってないからわからないのだ。

外観から見る限り、
どうも高級店のようである。
貧乏、耐乏生活者のオレには、
縁がなさそうだ。
by yosaku60 | 2014-02-22 07:46 | バリ島=レストラン | Comments(0)

おじいちゃんを助ける2歳半のリアちゃん

d0083068_6453017.jpg写真は酒屋のオヤジ。
名前はマデ。
オレとおんなじ齢。
髭もオレとおんなじ。
おない齢となると....
なんとなく心が通ずる。
オレもそう思ってるが、
マデもそう思ってるらしい。
何年か前、マデの方から、
あっちの方まだ大丈夫...
風なクエッションがあって、
以後、隠語で挨拶するようになって、
あれから、もう数年、
今は目配せで通じ合う間柄だ。
そんなマデ、配達を頼むとお孫さんを連れてきた。
リアという名のまだ2.5歳。
なのに、ちゃんとおじいちゃんのお手伝いをする。
聞けば、どこにでもついて来て手伝うそうな.......いいな~マデ。 
でも、この間まで2600円(小瓶24本)が、3600円に値上がりしたなんて、
アンタとも余り逢えなくなるかも....
by yosaku60 | 2014-02-21 06:59 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

申し訳ないけど、嬉しいことが.....

レンボンガン島のダイバーの事故。
未だ見つかっていない、高橋さんは私も知っている方である。
そういう中で浮かれた話は不謹慎であるが.....、
うれしい話は今朝の話なので、今朝のうちに報告したくお許しください。

d0083068_11151670.jpg写真のNさん、
早朝のサヌールの海岸の
どこかに私達夫婦がいるはずと、
北の海岸から、ずーと南に歩き、
中ほどのワルンで休んでいる、
私達夫婦を見つけてくれたのです。
聞けば、
昨晩にバリにお着きになったらしく、
で、今朝にもう逢いに来て下さって、
「毎日ブログを読んでいる」
「その購読料に焼酎を持参した」
ということです。
カミさんの持つのがその焼酎です。
なんと、ご奇特な方なのでしょう。
嬉しいことです。
不謹慎ながらはしゃいでおります。
by yosaku60 | 2014-02-20 11:15 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

レンボンガン島のダイバーの事故(今夜の情報)

悲しい結果になった。

捜索に参加しヘリコプターに乗っていた人から直接に聞いた。
お一人が遺体で見つかった。
サヌールのすぐ沖で遺体がみつかったそうだ。

聞けば、岩場には7人全員がとりついたそうな。
が、二人は上がれず、再度流されたとのこと。

ヌサペニダから再度サヌールに流されたとなると、
町の灯を見ながら、また昼間は付近のボートを見ながら、
発見されないことを歯がゆく思いながら、
長い時間、海面を彷徨していたということになる。
発見された時は、背中に木片を背負った状態であったとのこと。
木片の浮力を借りて、海面に顔を出し続けていたのであろう。
無念が思いやられる。
痛ましいことだ。

まだ、ひとり残っている。
聞けば、オレも顔見知りの娘さんらしい。
冷静沈着な方らしい。
であれば、もしかして......
一縷の望みをかけて明日の捜索に期待したい。
by yosaku60 | 2014-02-18 22:47 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)


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