あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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アディの新しいお母さんは、アナちゃん

d0083068_10124258.jpgアディに新しいお母さんが来て、すでに一ヶ月。
彼女の家事は、最初の頃は洗濯だけ。
だったが、そのうちに掃除が増え、
台所にも立つようになった。
さらに最近では、ワルンのお客さんへの
応対も担当するようになった。
20歳と若いので、慣れるのが早いこと早いこと。
アディも継母に甘えて明るくなった。
アディのおばあちゃん(彼女にとっては義母)に、
聞いてみた....「彼女をなんと呼んでるの」
と、「ドゥ」だそうな
そりゃいけない.....オレはそんな呼び方ができない。
一字で呼べるのは、本当の身内だけだ。
「オレはどう呼べばいいだろうか」.....に、
おばあちゃんは「アナ」と呼ぶよう奨めてくれる。
そうか、アナちゃんか。 
今後、長い付き合いになるけど、よろしくね!
by yosaku60 | 2013-05-31 10:31 | バリ島=人物往来 | Comments(0)

田中年男の証言:オランダ軍硝所を攻撃する

(証言)

レンヒル停戦協定でインドネシア警察が警備している地域を突破して、
オランダ軍占領地区内に侵入する。

夜半12時頃、ナナナラン部落の端に取り付く。
ワジャ地区より相当の距離である。

部落はひっそりと寝静まっている。
しかし民間の軒下には各戸毎に石油ランプが下げてある。

これがため部落内の小さな路地は真昼のように明るい。
オランダ女皇の誕生日を祝福するため、
ランプを灯しているのである。
部落民には罪はない。

密偵を派遣してオランダ兵舎と周辺を偵察させる。
かえってきた密偵の報告によると、
12.7粍の重機関銃は兵舎の表門前の土のうの上に据えられている。

そこには2名のオランダ兵歩哨が立っているが、
動硝はしてないことが判明する。


日本人9名は12.7粍重機関銃の死角に当たる裏側より
オランダ軍兵舎を攻撃することを決定する。

二ヶ分隊のインドネシア兵は、二隊に分ける。
一ヶ分隊は部落の左側に位置し、
他の一ヶ分隊は部落右側を迂回して配置につくように指示する。


各分隊の攻撃目標は、
兵舎正面の12.7粍重機関銃とオランダ歩哨に限定する。

射撃開始の時期は手榴弾の爆発音と指示して、
所定の配置につくため出発させる。


二ヶ分隊の戦闘配置完了までに要する時間は
30分以内と判断する。


日本人9名は密偵「ネコ」に誘導されて、部落内に侵入する。
真昼のように明るい部落の小路地を各個前進で、
飛石伝いに部落中央のオランダ兵舎裏側に接近して行く。

10数分後には全員兵舎裏に取りつく。
身を伏せて周囲の状況を注視する。
敵には発見されていない。


部落内でも人声ひとつ聞こえない。
不気味な静けさである。
右側に迂回したインドネシア兵も戦闘配置を完了したものと判断する。

現在の位置は、兵舎裏の壁から10m足らずの近距離である。
兵舎裏側の壁は相当に高い。
時刻は午前1時ごろである。


杉山、前川の順で磁石付戦車攻撃用の破甲爆雷各一個を投げるよう指示する。
破甲爆雷は、兵舎の屋根まで投げないと味方が危険である。

杉山、山口、前川の三人は、更に5歩ぐらい前進して、
準備完了と共に投擲する。

手榴弾1、破甲爆雷2個が見事に屋根瓦を破って、
続けさまに兵舎内に落ちる。
と、同時に手榴弾が爆発する。

耳をつんざくような爆発音につづいて、
白い閃光が真昼のように四囲を明るくする。


白い閃光が消えると同時にオランダ兵舎の屋根が
不気味な音をたてて崩れ落ちる。

これと同時に左右両翼のインドネシア二ヶ分隊からの一斉射撃が、
兵舎前の12.7粍銃機関銃に向けて開始さる。


敵は沈黙を守っている。
全滅した模様である。
日本人部隊は突撃を命令する。

この時、オランダ軍は猛射撃してくる。
予想外の兵力である。
盲射撃のため危険の度合いが少ない。


約10分の交戦の後、逐次後退して部落外に出る。
敵は追撃して来ない。

しかし、地理に明るいオランダ軍は、
迂回して我方の退路遮断する事も考えられる。

この場合、夜間国境線突破は困難となり、
KTNが介入してくると、事は面倒になる。


インドネシア二ヶ分隊を掌握して一路国境線に向かう。
インドネシア地区に入ったのは、午前五時頃であった。

オランダ軍は破甲爆雷の爆発音とその威力に度肝を抜かれて、
追撃する勇気がなかったものと判断する。

ここで用意されている朝食をとると、
二ヶ分隊のインドネシア兵に即時帰隊するよう命令する。


日本人9名は山野の準備したトラックに乗車する。
第13旅団長とジイン大隊長が駆けつけて来て、
昨夜の件を詫びると共に、戦勝の祝辞を述べる。

私はトラックの上から
「先刻の戦闘で参考になる点があったら、今後大いに利用するように」

と、述べた後、

オランダ軍の被害判明次第、
ダンピットのコーヒー農園まで報告されるよう依頼する。

トラックは間もなくダンピットのコーヒー農園に到着する。
此処には参加者の労をねぎらう為、会食の準備がしてあり、
日本人全員が集まっている。


市来が立ち上がって、オランダ軍攻撃の成功を祝して乾杯する。
攻撃に参加した者、残った者も混ざって賑やかな宴会となる。

途中、市来が「ワジャよりの連絡員が来た」と言って、
部屋を出て行く。
返ってきた市来は満面に喜びを浮かべて、戦果報告だと言う。


情報によると、
オランダ軍兵舎大破、
兵舎内にいたオランダ兵は兵舎前歩哨も含めて20名、
爆風や屋根の下敷き、並びに軽機射撃により全員死亡。

オランダ女皇の誕生日を祝福するため、
区長宅に招待されていたオランダ兵数十名があく運強く無傷のため、
爆発音と銃声に驚き、区長宅前より盲射撃するだけで、
追撃するどころか恐怖におののき、
百メートル足らずの兵舎にさえ夜が明けてから取り付いたこと。


バナナラン部落の被害及び住民の負傷者なしとの事。
尚、日本人引き上げ約一時間後、KTNの将校がワジャに駆けつけて来たが、
何等得ることなく、引揚げて行ったことなど。
市来が力強く読みあげる。
全てが計画通り行った。
全員戦果を祝して、再び乾杯する。

第13旅団長が二ヶ中隊の兵力要請を受け入れてくれたら、
キダル陣地の兵器全部が入手できたのにと思うと残念である。


今は亡き、吉住を始め、中部・東部ジャワ各部隊との約束どおりに、
オランダ軍攻撃を実行できたが、
20名のオランダ兵を殺しただけでは物足りない。

二次攻撃計画する。
by yosaku60 | 2013-05-31 04:19 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

ビャワ(水とかげ)というらしい

d0083068_13394366.jpgビャワ(水とかげ).....
大通りに居たらしい。
捕まえてきた男、
「2000円で買わないか?」
と、言ってきた。
「餌は鶏でいいよ」
と、言ったって....、
カミさんに聞くと「要らない」という。
オレも要らない.....で、断わった。
トッケーと違って凶暴でないそうな。
爬虫類好きな人は、
欲しいだろうな、きっと。
by yosaku60 | 2013-05-30 13:43 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

田中年男の証言:イ軍の弱腰で作戦変更を余儀なくされる

(証言)

8月31日朝、ジイン少佐に攻撃計画を説明して、
二ヶ中隊の兵力提供を改めて要請する。
戦わずして敵を呑む勢いである。

ジイン少佐は、クパンジェンのジャイナル・アリヒン旅団長に連絡する。
駆けつけてきた旅団長は、「二ヶ中隊の兵力提供は不可能だ」という。


何!!!
そこで、命令書を提示して、
「貴方は私に対してジイン少佐の大隊に対する必要なだけの…」
「兵力要請の権限を与えているではありませんか」
と、抗議すると、


「あの時は吉住部隊の日本人全員が参加すると考えて….」
「命令書を作成したが、この少数の日本人参加の場合は…」
「二ヶ分隊(16~24名)以上の兵力提供はできない」と言う。

顔面蒼白である。


恐らく戦闘後における、KTNよりの停戦協定違反を
追及されることを気にしているものと思われる。
吉住の死亡も影響しているのかも知れない。

二ヶ分隊では、キダル陣地攻撃には兵力不足である。
オランダ軍とはいえ、陣地に依っている一ヶ小隊(30~60名)に対して
二ヶ分隊(16~24名)では、敵を完全に制圧して兵器弾薬をして、
入手することは不可能である。


無理をして我方の被害が多いようでは、
今回の目的に反する結果となる。

あくまでも戦闘が目的ではない。
敵地工作の足がかりをつくるための戦闘である。


日本人の中には、
日を改めて新たに作戦計画を練った方が無難ではないか、との意見も出る。


然しながら東部と西部ジャワで、
8月31日決行の打ち合わせを済ませている。
その当事者の顔が走馬灯のように脳裏を掠める。
「今一度暴れてくれ」と言った吉住の声が聞こえてくる。

私は
「一度決定した8月31日夜、即ち今夜の攻撃は変更できない」
と、確言する。


第13旅団長の横槍で当惑しているのは、
大隊長ジイン少佐である。
徒に時間は過ぎてゆく。
異様な空気が部屋中にみなぎる。

ぐずぐずしていると、オランダ軍攻撃後、
インドネシア警備地区に引揚げる前夜が明ける。
停戦協定違反の面倒な問題が台頭してくる虞がある。


そこで、国境線に一番近いバナナラン・オランダ軍硝所攻撃に変更する。


バナナラン・オランダ軍硝所は、
キダル同様に一ヶ小隊(30~60名)であるが、
堅固陣地はなく、表門に12.7粍の重機関銃が取り付けてあるだけで、
大きな米倉庫がそのまま兵舎として使用されている。


場所は平坦な部落内にある。
問題は、部落内に兵舎があることである。
敵地工作のための戦闘では、住民を傷つけることなく、
オランダ軍に損害をあたえなければならない。

この目的達成を前提とする戦闘であれば、
二ヶ分隊(16~24名)で、何とか互角の勝負ができそうである。


第13旅団長との水掛け論は止めて、

「それでは、二ヶ分隊と日本人9名で模範的戦闘のやりかたを教えるから….」
「旅団長以下観戦された上、将来の参考にされるよう希望します」

と言って将校連中を見回した後、

今夜の攻撃に参加する二ヶ分隊のインドナシア兵を集合させる。


兵器・弾薬・服装点検後、

「この二ヶ分隊は我ら日本人9名の援護射撃をするだけである」
「一兵も傷つけないことを約束する」
「よって、命令どおり沈着に行動するように」

と指示した上、出発を命令する。
by yosaku60 | 2013-05-30 06:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

田中年男の証言:吉住逝く

さて、こうして事前工作を終えた。
もう決行までの期日は余すところ僅かであった。

田中はジャワ前線の大隊本部に急行した。
インドネシア兵の協力を得ることが本当にできるかどうか......
を、前線の現場で確認しておくためである。

ジイン少佐に面接し、第13旅団の命令書を提示した。
少佐は、協力することを確約してくれた。

以上で準備は整った。

ついで、田中は、
ワジャ正面のトンバン地区のオランダ軍の情報収集を行った。

集まった情報を分析し、検討した結果、
攻撃目標をキダル・オランダ軍硝所に決定した。

そして、
その攻撃目標のオランダ軍の兵力装備・陣地の状況、
及び付近部落住民の動向について、
綿密に、また周到に内偵を始めた。

そんな時であった。

ウリンギイより山口が来て、吉住が死去したと言う。
今日の通夜と明日の葬儀に参加するようにとの市来からの手紙があった。

田中は、大隊長ジイン少佐と「ネコ」に、
敵情報収集を続行するように依頼し、山口と共にウリンギイに引揚げた。

ウリンギに着いた後は、田中の証言どおり転記(一部省略)する。


(証言)

吉住の遺体はゼコン農園よりウリンギイに移されている。
日本人部隊の全員が集まっている。
ハイルデン以下、インドネシア人の顔も多数見受けられる。
吉住の霊前にぬかづき、焼香して合掌し冥福を祈る。

数日前この部屋で、
「スマランで暴れたように東部ジャワで暴れてくれ」
と言った吉住の声が聞こえてくるようである。

必ずやります。
8月31日に決行します。
何故にその日まで待ってくれなかったのですか。
ちょっと早すぎました。
私は今、前線から返ってきたばかりです。
あの世で詳報をお待ちください。
と、心の中で約束する。

一晩通夜のあと、翌日はトラックで、ブルタルに遺体を運び、
イスラム教方式で葬式が挙行された後、ブルタル陸軍基地に埋葬される。

インドネシア部隊の小銃射撃(礼砲)が墓地の四辺に木霊する。
日本人部隊長吉住、インドネシア名アリフは此処に眠る。


日本人全員、その日のうちにウリンギイに引き上げ、
翌朝全員集合の上、今後の日本人部隊の在り方について協議する。

先ず、隊長に昇格した市来が、部隊の規律を設定する必要性を強調し、
各自の意見を述べるようにとの発言があった。

私は、現在までの規則は、そのまま続行されるべきで、
何も吉住一人の死亡で全てを改める必要はないものと判断します。
と、発言した。

その発言に続き、次を申し出た。


尚、私は、第15旅団長ザイナル・アルヒン中佐、
第5旅団長スラマット中佐、ジイン大隊長、BPRI秘密旅団長、
マゲランのブロト、トウマングンの池上などとの打ち合わせがあるため、
これで、ウリンギイを離れます。
8月31日のオランダ軍攻撃は予定通り決行します。
これによって、吉住の霊に餞けとする覚悟です。
若し私と行動を共にする意志のある人は、
8月30日までにワジャの前線に集合されるようお願いします。

と、発言すると、
山口、広岡、日浦の3人が即座に同意を表明した。


翌日、私はこれら3名に事情あって林を加えて、
クジャへ向け出発した。
決行の期日が切迫している。
ぐずぐずしては居られない。

前線に着いた私は、ジイン少佐に面接して、
爾後の情報収集の状況を聴取した。
「ネコ」の情報も合わせると、キダル・オランダ軍硝所陣地の
状況が、ある程度浮き彫りになってきた。


強固な陣地によるオランダ軍兵力は、一ヶ小隊(30~60名)である。
重機関銃・迫撃砲も装備している。

8月30日までに駆けつけて来た日本人は、
山口、日浦、広岡、林、杉山、前川、家原、若林、山野で、
私を入れて、計10名である。

日本人全員集合して、攻撃の図上作戦を練る。
この攻撃に参加するインドネシア兵は二ヶ中隊(120~500名)、
日本人9名とする。

山野はトラック一台を準備して、RI地区前線に待機し、
戦闘終了後の日本人移動のための輸送を担当する。
移動先はダンビットのコーヒー農園とする。

日本人9名を含むインドネシア軍二ヶ中隊で集中攻撃して、
一時的にキダル陣地を占領する。
その間、兵器弾薬は全部頂戴する......、

という雄大な計画が出来上がる。
by yosaku60 | 2013-05-29 10:07 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

田中年男の証言:事前工作を画策する

住吉に暴れることを約束した田中年男だったが、
不案内のマラン戦線で、しかもオランダ占領地域において、
戦闘に向けて住民の工作をするには、
尋常の手段では不可能であろうと判断した。

で、荒療治以外に方法がないと決めた。

非常手段として、オランダ軍占領地区内で一線を交えた後、
住民工作の糸口をつくることにしたのだ。

田中は、そのことを市来に説明して諒承を得た。
その後、情報連絡班長の山口と打ち合わせた。

で、まずは、作戦に協力してくれる、
インドネシア軍の兵力の確保から始めることにした。

ここからは田中年男の証言を転記する。


(証言)

山口の進言を受け、最初に会ったのは、
ルマジャン戦線の大隊長(大隊=300~1000人の兵力)であった。

民情についての質問をするも解答に要領を得ず、
頼りにならないと、この部隊の利用を諦めた。


山口をうながして、次の候補である、
PT分遺隊の部隊長と面談した。
先刻の大隊と大同小異であった。


そこで、第3候補のクパジェン第13旅団(旅団=2000~5000名の兵力)を訪問した。
ジャイナルアリヒン旅団長に挨拶して、訪問の趣旨を説明すると、

「丁度よいところに来てくれた」
「今日の作戦会議でマラン地区の部隊長にゲリラ戦の指示をしたところだ」
と、前置きして、旅団参謀に兵用地図を持って来いと命令する。

そして、机の上に地図を広げて、
オランダ軍占領地区の中の各部落を説明しながら、
敵兵力・民情連絡員の所在に関して詳細に説明する。

吉住の息がかかっているので、さすがに違うと感心する。
この部隊となら、やれると判断する。

旅団長に協力を依頼すると無条件で同意してくれた。
直ちに、クジャ地区前線の大隊長宛書類を作成してくれた。

それは、旅団配下のワジャ地区前線のジイン少佐あての命令書であり、
爾後、田中年男の日本人部隊が貴地域で行動する場合には、
全力をあげて合流し、その命令指示にしたがうこと、と書かれていた。

これがあれば、ジイン大隊(300~1000名)の一部、
または、全部の協力を求めることができる筈である。

……


ということで、
協力してくれるインドネシア側の兵力の確保ができた、田中は、
次の準備として、イ国警察の協力を得る工作を始めた。

何故なら、時は、レンヒル停戦協定により停戦中である。

敵軍地に入るには、協定に従って第一線を警備している、
イ国警察の警備地域を通過しなければならない。
通過の際、警察から邪魔をされてはならないからである。

戦う前に、イ国側に暗黙の了解をとるという、
事前工作が必要だったのである。
その事前工作について、彼の証言を以下に転記する。



(証言)

まず、日本軍政時代、高等検察官であり、
現内務省の治安部隊の治安部長であるスプラト宅を訪問する。
かねてよりの知人であった。

私は、次を言い放った。
「来る8月31日、オランダ軍哨所を攻撃します」
「警察の警備地域を通過せねばなりません」
「その際は、黙認してください」
「貴方がダメだと言っても私は決行いたします」
「もし警官が通過を拒否した場合、やむなくこれを強行突破します」
「以上のこと、あらかじめ承知ください」

その返事は、
「無茶なことは止めてくれ」であった。

が、同時に、
「広範囲な警備地域故、警察官不在の場所がある筈だから」
「その間隔を見出して通過することも可能であろう」
とも言われた。

その返事で、先ずは大丈夫であろうと判断した。


次に、BPRI本部の大元締めであるストモ少将に面会を申し込んだ。
初対面の挨拶が終わったあと切り出した。

「あなたの部下であるBPRIの部隊を指揮して、8月31日オランダ軍哨所を攻撃します」
「ついては、少将の意見を承りたい」

ストモ少将は、無言のままで返事がないので、
さらに付け足して言った。

「貴方に許可をもらいに来たのではありません」
「貴方が反対しても本計画は予定通り実行します」
と言って、立ち上がると、

同時に立った少は、あらためて強く握手したあと、
「大賛成である」と言ってくれた。


次に、マゲラン中部ジャワ副総督ウイナルノに面接した。

「8月31日オランダ軍哨所を攻撃します」と説明した。
と、「官吏である私は、本件に対して絶対反対である」
との、予想外の返事が返ってきた。

「貴方が反対されても、必ず実行します」と言うと、
「まあ、落ち着いて話は最後まで聞いてくれ」
「官吏としては絶対反対だが、インドネシアの一国民としては大賛成である」
「成功を祈る」と言って、激励された。


さらに、同行した日浦(日本兵)を派遣して、
キアイビル部隊の責任者スカルモ・ケンダル県知事と、
サラモコ・ケドウ州長官にも計画を話し、協力を依頼した。
以上がジョグジャカルでの事前工作である。



次にソロに向かい、ソロ市内で、
バンテン部隊長イスカンダル大佐に面接して、
東部ジャワでの戦闘開始と共に、ウマングン地蜂起の件を説明した。

イスカンダル大佐もこれに同意し、
サラテガ地区ゲリラ隊長のサストロ少佐を紹介してくれた。

サトスロ少佐も日本人部隊に呼応して、
サラテガ前線におけるゲリラ活動を活発化することを約束してくれた。


さらに、トンバン地区のボスであるインドネシア人を味方につけた。
度胸がよくて頭の回転が早く、身軽で責任感旺盛であった。
情報収集に当たらせることにした。
「ネコ」と命名する。
その後、「ネコ」の活躍は驚くばかりであった。
by yosaku60 | 2013-05-28 04:52 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

今のバリ、日本の冬の終わりと同じです

海凪ぎて
山目醒め出し
バリ五月
d0083068_951508.jpg

今朝はアグン山がくっきり見えました。
長らく見えませんでした。
久しぶりです。
空気も澄んできました。
日本での春を迎えた情景と同じです。
で、春を迎えた季語...「山の目ざめ」を使ってみました。
そして、そうした気分になるのが、
バリでは5月なんです.....ということで締めくくってみました。
厳格に言うと季語重なり.....が、ここは異国。
ダメかなあ~
by yosaku60 | 2013-05-27 10:00 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

田中年男の証言:吉住に戦闘を約束する

(証言者)
田中年男
1917年2月8日生 福岡県出身
第16軍憲兵隊 憲兵軍曹


田中年男は、小野寺忠雄と同様に憲兵出身である。
彼の証言には、
日本軍時代に憲兵だったという自負があちこちに見え隠れする。
そうした自負があったからだろう。
彼の戦闘は、少々あらっぽい。
が、そこに行くまでの作戦は用意周到である。
その辺を田中の証言から汲み取っていただければありがたい。

さて、
2012年12月12日の弊ブログ=阿部頌二で書いているが、
日本人とインドネシア人の間に、スマラン事件というのがあった。

このスマラン事件で相当な活躍をした田中年男は、
その後、インドネシア軍のいくつかの所属を経て、
KPI秘密師団に籍を置くこととなった。

このKPI秘密師団であるが、
100%独立派の地下集団であった。

兵力は、2万人をくだらなかったようで、まさに「師団」であった。
(註)旅団は2000~5000人、 師団はその上で1万~2万人。


地下集団だから、停戦協定があってもそれを遵守する気はない。
「独立か死か」で、最後までオランダ軍と交戦し、
完全独立を希望すると共に、これを勝ち抜き勝ち取る目的をもって
設立された集団である。


このKPI秘密師団に身を置いた田中は、
その時の心情をを次のように書いている。

KPI秘密師団は、
我ら日本人逃亡者と最後まで運命を共にすることができる、
唯一無二のインドネシア部隊である。 
この有力部隊に参画できたことは、全く天佑といわねばならない。 
この師団に置いて和戦両時に備えることを固く決意する。


KPI秘密師団の目的を明確に知った田中は、
入団すると直ぐに、カマギ師団長に、
目的を共にする日本人達が東部ジャワにいることを伝えた。
それを聞いた師団長は、大いに喜び連絡を取り合うため、
田中を東部ジャワに出向させることになった。

ということで、ここから田中年男の証言を始めます。

(証言)

直ちに東部ジャワのケデリーに出向し、山口に面接の上、
KPI秘密師団の実情を説明すると、山口は非常に喜んだ。
そして、吉住・市来を紹介してくれた。

吉住と市来は、東部に集まった憲兵を主力とする逃亡者をもって、
日本人部隊を編成することを考えていた。
そして、逆に私にその日本人部隊への参加を頼んできた。

私は、KPI秘密師団に所属していることを理由に断ったが、
ゲリラ戦における行動にあっては、その同目的のためには、
互いに協力して成果をあげるよう努力することを約束して、
ジョグジャカルタに引揚げた。

師団に帰り、カマギ師団長にそのことを報告した。
師団長は、報告を受けた後、
師団の現状として、使命達成のための行動が着々と進み、
軌道に乗っているという説明があった。
心強い限りであった。



日を変えて、ケデリー市内に行った時、
再び吉住と会う機会があった。
吉住は、インドネシア独立宣言以来の政治家の活動状況を
あらゆる角度から検討してまとめている最中であった。

橋本が傍で筆記している。
結核が悪化している吉住は、自分で書くだけの気力がないようである。
顔色も悪い。

挨拶するといきなり「刀を見せてくれ」という。
元気なところを見せようと努力している様である。

「菊一文字か、立派なものだ」と、讃めたあと、
「私のは胴田貫だ」と、長く重そうな刀を抜いて見せた。
実践用の刀である。
背の低い吉住には似合わない長刀である。


雑談の後、真剣な顔にかえった吉住が
「君にあらためてお願いがある」
「オランダ軍占領下にある敵地工作をやってもらいたい」
「今一度、スマランで活躍したように、この東部地区で暴れてもらいたい」
「それがこの地に集まっている日本人の一致した意見である」
と、懇願する。

そこで、
「スマランは指導者に多数の知人がいました」
「彼らの強力を得て動いたに過ぎません」
「その結果は、日イ双方に多数の犠牲者を出す羽目になりました」
「私にとって、東部ジャワのマラン地区は未知の土地です」
「ひとりの知人もいない状態です」
「あなた始め日本人多数の見当違いであります」
と、意見を述べた後、
市来以下が移動している、ウリンギイ部落に向けて出発した。


ウリンギイで市来に面談すると、市来は非常に喜び、
一片の紙片を取り出して、これが日本人部隊の編成表である。
と、次を見せてくれた。

隊長: 吉住
副隊長: 市来
庶務班長: 越智
情報連絡班長: 山口
民衆工作第一班長: 谷本
民衆工作第二班長: 中村
民衆工作第三班長: 井上
敵地工作班長: 田中

隊長以下の日本人の配置もきちんと決められていた。
各班には、2ヶ分隊(15~ 25名)のインドネシア兵が分担配属されていた。
この日本人部隊での元16軍憲兵は、9名であった。


それから数日、私は市来と共に行動した。
その時、吉住が日本人部隊に立ち寄った。
転地療養のため、セゴン農園に行く途中であった。
吉住は担架で運ばれていた。

市来に後事を託した吉住は、私に対して、
「とにかく、東部ジャワのマランで暴れてくれ」
と、繰り返しながら握手する。

氷のように冷たい手で、しっかり握る手には、
全身の力が集中しているようであった。
その真剣な目差しを見て気の毒になり断りきれず、


「引き受けました」
「近日中にマラン地区で暴れてみせますから見ていてください」
「今後は療養専一に務められて、一日も早く全快されることを祈っております」

と言って励ますと、

「有難う、有難う」と、
何回も繰り返して、かすかに微笑する。
吉住は再び担架に乗ってセゴン農園に登って行く。
看護の野口夫妻が後からついて行く。
見送りながら、市来と顔を見合わせる。
by yosaku60 | 2013-05-27 07:02 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

残留日本兵について(ブログの予告)

残留日本兵の話し….
沢山の情報がすでにネットで流れています。
そういう情報の上塗りをして、このブログを書きたくありません。

確かにインドネシアの独立に日本(日本軍)は貢献しています。
が、2年半の日本統治は、良い面もあり、悪い面もありました。
そのことを掘り下げて、自分の意見を述べる気はありません。

では、このブログは、何を目的に書くのか。

その目的は、他にはない情報の提供をすることである、
と、書き始める前から決めていました。

他にはない情報とは、具体的には次の2つです。
①現にインドネシアに住んでいるという強みを生かした情報。
②ネット上に流れていない情報。

この、「ネット上に流れていない情報」とは、何かというと、
残留日本兵の証言を脚色せずに、そのまま掲載することです。
そういう情報がネット上にないからです。

が、次に掲載予定の田中年男の証言に至って、
壁にぶちあたりました。
氏の証言が余りにも長編だからです。
かといって、冗長なのではありません。
どの証言も省くと前後がつながらないのです。

ではどうしようか、考えをあらためました。
前後のつながりが少々拙くとも、大胆に端折る。
話の中心に至るまでの経緯は、証言を読み砕き短く書きまとめる。
そして、話の中心になる部分だけ、そのまま証言を転記する。
という手法です。
今後、そういう手法で書きますのでご了解ください。

さて、ついでに、
残留日本兵についての今後のまとめ方についても、
予告しておきます。
書き進めながら、少々変化してゆくかも知れませんが、
できるだけ次に沿ってゆきたく思っております。

残留日本兵は、ジャワ島・スマトラ島・バリ島・カリマンタン島にいました。
他の島にも日本兵がいましたが、
残留日本兵として独立戦争を戦ったという記録は、
ほとんどありません(皆無ではありません)。

で、しばらくは、
残留日本兵の実戦闘証言に焦点をあてて書きますが、
その順序を地域的なものとします。
今は、ジャワ島の戦闘を書いておりますが、
次の田中年男の証言でジャワ島を終わりに致します。
次に、スマトラ島の戦闘に進み、
最後はわがバリ島で締めくくりたく思っています。

んで、こうした戦闘の証言が終わったら、
残留日本兵の集まりをここまでに纏め上げた、「乙戸昇」氏について、
氏の証言を交えながら、紹介したいと思っています。

独立戦争を生き延びた残留日本兵は、
その後もインドネシアにあって、
生活の苦労を抱えながら、さらに生き延びました。

その誰もが、口をそろえて乙戸昇に感謝をしております。
氏のやわらかな人となりの情報に接し、私も感動しております。
その私の感動を伝えたいと思っております。


さて、それを書き終えたら….ですが、
最後の総括として、残留日本兵の傾向をできるだけ数値を入れて、
書き収めたいと思っております。

まあ、ざーと、そんな訳で、
冒頭に述べた、田中年男氏の証言に進みます。
次の順序で書こうかと思っております(6~7回予定)。

1、吉住に戦闘を約束する
2、事前工作を画策する。
3、イ軍の弱腰に出会う。
4、作戦を組み立て直す。
5、蘭軍哨所を攻撃する。
6、さらなる攻撃と戦果。

なお、田中年男のこれらの戦闘は、
栃窪宏男著「日系インドネシア人、元日本兵 ハッサン・タナカの独立戦争」
(サイマル出版会)で、発表されております。
by yosaku60 | 2013-05-26 11:34 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

昨今のバリの海・気象、猛々しい限りです。

写真は夕べのものです。
ものすごい大雨でした。
それも2時間ほどぶっ続けて降って、
庭がビチョビチョになりました。
d0083068_1252552.jpg

明けて今朝の浜です。
夕べの大雨が空中の埃を洗ったのでしょう。
空気が澄んでて、気持ちの良い朝です。
土曜日、しかも旗日(満月)なので、海岸は人でいっぱいです。
d0083068_12584410.jpg

でも、満月...
ってことは、大潮。
それに今が丁度満潮。
上の写真よりたったの500m離れた珊瑚礁の内海、
に、こんな波が打ち上げていました。
d0083068_1313733.jpg

んで、アレアレと思ったら、
堤防のコンクリートがごっそり持っていかれて、
こんな穴が開いちゃいました。
d0083068_1331292.jpg

猛々しいバリですが、
バリ人は、こんなこと余り気にしてません。
なんでもありの「ここはバリ」です。
by yosaku60 | 2013-05-25 13:08 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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