あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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Hari Umanis Galungan の朝

今日はガルンガンの翌日、マニスガルンガンの日。
ガルンガンの一連の行事のしめっくくりとして、語らって楽しむ日です。
マルタサリは、特にバリ人のみが集まるビーチです。
今朝のビーチには、幸せな顔がいっぱい集まっていました。
説明なしで、全部アップします。
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これはオマケ。
浜辺にある、カデの店です。
中央の大きいのがカデ、カミさんはその右。
オレが写真を撮りにいってる間、カミさんはここで待っててくれました。
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by yosaku60 | 2013-03-28 11:45 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)

ガルンガンの朝

3月26日、本日はガルンガンの日。
ガルンガンとは、祖先の霊が家に帰ってくる日。
で、10日後の、クニンガンは、霊が天に帰る日です。
要するに、この間は、日本で言えば「お盆」です。
今年の暦を見ながら、バリ人が行う、このお盆の一連の儀式を述べてみます。

3月21日:スギアン・ジャワ(Hari Sugian jawa)
ガルンガン前週の木曜日で、
バリ島全体がバリ島外の力から守られるための儀式が行われる日です。

3月22日:スギアン・バリ(Hari Sugian Bali)
ガルンガン前週の金曜日で、自らの体を清める日です。

3月24日:ハリ・プニェクバン(Hari Penyekeban)
ガルンガンの週の日曜日。
邪悪な力に打ち勝つため瞑想を行う日です。

3月25日:ハリ・プニャジャーン(Hari Penyajaan)
ガルンガン前々日(月曜日)。
お供え用のお菓子を作る日です。

3月26日: プナンパハン(Hari Panampahan)
ガルンガンの前日(火曜日)
ブタやニワトリを生贄に捧げ、その肉を使った料理を作る日です。

3月27日: ガルンガン(Hari Raya Galungan)
ガルンガン当日(水曜日)
祖先霊や自然霊が天界から降りてくる日です。

3月28日: マニス・ガルンガン(Manis Galungan)
ガルンガン翌日(木曜日)
親せきや友人宅を訪れ、ともに神々に祈りを捧げる日です。

4月6日; クニンガン(Hari Raya Kuningan)
ガルンガン翌週の土曜日
午前中に心の平和と静寂のために祈りを捧げる日。
この日の正午に神々と祖先霊、自然霊は天界に帰っていく日です。

実は、上記はネット情報です。
私が所有しているバリの儀礼集では、少し違った書き方をしております。
どちらが正しいのか解らないので、読みやすい方を選んで書かせて貰いました。

さて、このようなガルンガンへの一連の行事。
我々、外国人には中身がわからなくてもどうってことありません。
が、10日ほど前から、
ガルンガンの話が多くなることで感じ取るものがあります。
例えば、「ガルンガンでは田舎に帰るの?」
「アンタの店は開いているの?」とかの会話が多くなります。
で、三日ほど前から、徐々に交通量が減ってきます。
が、市場や店にご婦人や子供が集まります。
これ.......”静かになりながら、ざわめき始める”って感じなんです。
車やバイクの音が消え、人の声やガムランの音が聞こえ出すからです。
そして、ガルンガンの今朝。
にこやかに張り切るクバヤ姿のご婦人が街にあふれ、
美しく着飾った、うら若き女性たちが、甲斐甲斐しくそれを手伝い。
男どもは、すべてに、バリ人らしくふるまい......。
騒音の少ない、厳かな時間の到来となるのです。
たった3枚の写真ですが、そんなガルンガンの朝の空気を紹介します。
まずは、友人で漁師のティンビンさん。
早朝7時、商売道具のジョクン(小船)でお祈りをしていました。
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ティンビンさん、このあと、お寺へお参りに行くそうです。
さて、次は海岸にある、あるお寺。
関係する人々が次から次と集まってお祈りを奉げていました。
そうしたお祈りの2枚の写真、
どちらにしようか迷いましたが、決めきれず、2枚ともアップします。
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サヌールはバリ人だけではありません。
観光客もいっぱいおります。
そうした外国人は、ガルンガンなど関係ナシでいつものとおりです。
昇ったばかりの朝日なので影がながく伸びています。
朝の空気、わかっていただけるでしょうか。
中央には、朝もやの中、うすーくアグン山が写っております。
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by yosaku60 | 2013-03-27 12:53 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(2)

新しい店探し(ルノン地区、その9)

まだピチピチの船長時代、あしかけ3年、ブラジルの港を駆け回った。
その時に多用した言葉が Obrigado 「ポルトガル語=ありがとう」である。
ルノンの Raya puputan に、Obrigado という名の看板があった。
もしかしたら、大きな肉の塊をナイフで切り取りながら頂く、
大好物のシュラスコ(南米の肉料理)かも知れない.....と、入ってみた。
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上の写真のように外から見ればレストランであるが、入ってみるとチョット様子が違う。
料理のメニューを見ると、どうも「軽食喫茶」である。
料理の種類が少ないのが難点だが、まあまあ食べれるものを選んでオーダー。
で、味はまあまあ、冷えたビール280円、でTax なしは、値段もまあまあ。
が、いかんせん、店内の雰囲気が食事をとるって感じでないのが気にかかる(写真)。
それにしても、お客はみんなバリ人の若者....
バリ人もいろいろであることあらためて知らされる。
別に悪い店でないが、ジェネレーション差を感じて、再来店はないだろう。
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by yosaku60 | 2013-03-26 10:55 | バリ島=レストラン | Comments(0)

新しい店探し(ルノン地区、その8)

Raya Puputan 通りにある「Segara Mas」という店。
写真の看板のとうり、バリ料理専門店である。
バリ料理店と正面きって看板をあげている店は珍しい。
給仕スタッフ(男女)がバリの正装をして迎えてくれるのも嬉しい。
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Segara Mas というバリ語の店名であるが、
今朝ほどバリ人3名に聞いたが、みなそれぞれに違うことを言う。
ワタシ的(キライな言葉だけど)には、
インドネシア語の Pantai Emas(英語=Golden Beach )と思っているが、
今朝の3人とも、そうは言ってくれないのである。
で、ブログに正確なところを書けないでいる。許して頂きたい。
さて、料理であるが、代表的なものとして、「ナシチャンプル」を頼んでみた。
5品ほどが大皿にきれいに盛り付けられて、400円である。
味付けもなかなかによく、カミさんもこれならいけるとのこと。
味付けの話、私の言うのはあてにならないが、カミさんの言うのは信用できる。
清潔さ、スタッフ、料理、価格、立地条件、全ての面で合格である。
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by yosaku60 | 2013-03-25 11:22 | バリ島=レストラン | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(国立バンドゥン教育大学)

ノフィアさんはバンドゥン教育大学の先生です。
私たちをその職場に案内してくれました。
大学の玄関です。
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教育大学の目的は日本と同じです。
将来の学校の先生を育てる大学です。
外国語学部には、英語、日本語、ドイツ語、アラブ語の4科があり、
英語を学ぶ学生がもっとも多く、ついで多いのが日本語だそうで、
現在、約300名の学生が学んでいるとのことです。
ノフィアさんは、実際の授業風景も見せてくれました。
先生と生徒には、あらかじめ私たちが授業を見にくることを伝えてあったらしく、
歓迎されながら、気持ちよく授業参観できました。
熱心に日本語を勉強している学生を見ていると、日本人として感謝の念が.....
本当にありがたいことです。
今後、この感謝の思いを具体的な行動として表していきたい。
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by yosaku60 | 2013-03-24 09:17 | ジャワ島= | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(ウジョ竹楽器小屋)

バンドゥンの伝統音楽として、竹楽器によるオーケストラ風演奏があります。
叩くよりも手で震わせて音を出す竹楽器を使います。
私は食べ物を語る能力のない味オンチなのですが、
音楽ときたら正真正銘のオンチなので、
この竹楽器演奏についても多くは書けません。
が、心にやさしく響く演奏であることだけは感じました。
また、観客もその場で練習して演奏に加わることが出来るなど、
楽しい演奏会でした。
バンドゥンを訪れるならば、是非に行くべきところとお勧めします。
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by yosaku60 | 2013-03-23 17:19 | ジャワ島= | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(スンダ料理)

バンドゥンはスンダ地方に入ります。
住む人をスンダ人といい、使う言語はスンダ語であり、
そして、有名なのが食べ物で、スンダ料理と言うそうです。
言うそうです....って、他人事なのは、
何が特徴なのか、よくわからないからです。
バンドゥンに居る間に2度、スンダ料理を食べに行きました。
2度とも魚料理でした。
美味しかったのですが、どのように美味しかったのか、
味オンチなので報告する能力がありません...すみません。
味つけが日本的でやさしかったように思います。
写真は、バンドゥンの北の高地にある、
Kampung Daun という名の東屋レストラン。
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by yosaku60 | 2013-03-23 16:54 | ジャワ島= | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(ノフィアさんの家族)

今回、バンドゥンに行った目的はノフィアさんに合う為でした。
ノフィアさんに最初に会ったのは2007年です。
彼女は既にインドネシアの大学の先生でしたが、
大学から推薦され、日本語の古典を学ぶため金沢大学(大学院)に来ていました。
で、私たち夫婦にインドネシア語を教えてくれる先生でもありました。
それから6年が過ぎ、彼女はインドネシアの大学に戻り、
結婚もし、子供もでき、昨年はバリ島にも来てくれました。
ノフィアさんとのそういう交流を経ての今回のバンドゥン訪問だったのです。
ノフィアさんの家族を紹介しましょう。
左はノフィアさん、右はご主人です。
ご主人も同じく日本の大学での留学経験があります。
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左はお手伝いさん、それに手前は一人娘のAIKO ちゃん。
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by yosaku60 | 2013-03-22 09:55 | ジャワ島= | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(ホテル)

1955年に開催されたAA会議(バンドゥン会議)では、
独立したばかりの若きリーダー達が、
宿泊していたホテルから、
議場であった独立会館まで肩を並べて歩きました(展示写真あり)。
その先人の歩みを確認する為、
2005年4月、バンドゥン会議の50周年を記念して開かれた当地でのAA会議では、
出席したアジア、アフリカの40名余りの指導者(日本=小泉首相)も、
やはり肩を並べて徒歩で議場入りをしています。
今、その通りは、Jl、Asia Afirika と呼ばれております。
私の宿泊したGrand Preanger Hotel も、その通りにありました。
老舗の5ツ星ホテルであり、独立会館まで100mの立地にあるので、
いくつもの国の首脳がこのホテルに宿泊したそうです。
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by yosaku60 | 2013-03-21 19:24 | ジャワ島= | Comments(0)

バンドゥンに行って来ました(バンドゥン会議)

高原の街、バンドゥンを象徴するものといえば、
スカルノ初代大統領が学んだバンドゥン工科大学を筆頭に、
私立も含めれば25以上もの大学がある学園都市だということ、
それに美女・美男子が多く、
インドネシアのスターの多くがバンドゥン出身ということ、
の二つはバリに居ても知っていました。
が、もうひとつバンドゥンに来て新しく知った街の象徴がありました。
第一回の「アジアアフリカ会議」があったところということです。
1955年に開かれた第一回のアジアアフリカ会議は、
衝撃的な世界の歴史として、特に「バンドゥン会議」と呼ばれているのです。
市民もそのことを誇りとしており、今でもその足跡を大事にしております。
写真は、会議が行われた場所、今では博物館として市民に開放されています。
日本人と署名し入館したところ、所員が最後まで付き添って案内してくれました。
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バンドゥン会議については、
ネットで検索すればわかることなので、多くは書きませんが.....
西欧の植民地として、虐げられてきたアジア、アフリカ諸国が、
一丸となって自立の尊さを確認しあったものです。
要するに、もう植民地政策を辞めなさいと、世界に対してものを申すという、
過去を考えれば、画期的な会議だったのです。
この会議には、アジア、アフリカから29の国の参加がありました。
植民地であった国々が一丸となって協議する場に、
一時は植民地にしようとした加害者側の日本にも招待状が来ました。
複雑な思いで参加した日本だったのでしょう。
当時の新聞には、消極的な日本と報道しております(これも展示品の一部)。
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が、本当のところは日本はどうだったのでしょう。
日本から会議に参加した、加瀬俊一氏(当時・外務省参与)は、
この時の様子を次のように語っています。
私は政治家とお役人の話は、話半分に聞くことにしております。
次の談話も話半分なのでしょうが、
部分的には真実もあるのだろうと思っております。
談話の内容をそのまま書きます、曰く
.....
日本にも招待状が来ました。
国内ではアメリカに気兼ねして参加に慎重な人が多かったんです。
私は『出た方がいい』と言ったんです。
敗戦後間もない日本にとっては、国際社会に復帰する絶好のチャンスでした。
それで出席することにはなったけれども、
外務大臣は都合が悪くて私が行くことになったんです。
特命全権大使として『出た方がいい』と言ったのは、
私だけなんだけれども、内心不安でした。
というのは、アジア・アフリカというけれども、
アジアは大東亜戦争の戦場でした。
日本はいいこともしているけれども、
ご承知のように悪いこともしなかったわけじゃない。
それでね『行ったら白い目で見られるんじゃないか』
と思ってあまり気がすすまなかった。
しかしその会議に行くとね、あちらこちらから
アフリカの代表、アジアの代表が出て来てね、『よく来たね!』
『日本のおかげだよ!』と大歓迎でした。
それは『日本が大東亜共同宣言というものを出して、
アジア民族の解放を戦争目的とした。
その宣言がなかったら、
あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、
我々は依然としてイギリスの植民地・オランダの植民地・フランスの植民地のままだった。
日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、
今日のアジアがある。』ということだった。
この時は『大東亜共同宣言』を出してよかった、と思いました。
我々が今日こうやって独立しました、
といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがA・A会議の本来の目的だった。
こんな会議が開けるのも日本のおかげですと、
『やぁー、こっちへ来てください』
『いやぁ、今度は私のところへ来てください』と言ってね、大変なモテ方だった。
『やっぱり来てよかったなぁ』とそう思いました。
.......
お役人ですから、誇張されているのでしょうが、
他の国から白眼視されるということはなかったようです。
ただ、出席したメンバーは、
中国の周恩来首相、
インドのネール首相、
エジプトのナセル大統領、
地元インドネシアのスカルノ大統領など、
煌めくような新興国のリーダーばかりでした。
日本だけが代理出席(鳩山一郎首相の代理)だったのです。
どのように言い訳しようとも日本が消極的だったことは確かです。
by yosaku60 | 2013-03-21 13:42 | ジャワ島= | Comments(0)


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