あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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クリーニング代

d0083068_1341334.jpgバリの物価......。
日本よりも高いものがある。
例えば、贅沢品は、日本よりも高い。
に比べ、人件費は、安い。
だから、人件費の塊のような、
クリーニング代は、当然に安い。
写真のような襟のついたシャツは、
Tシャツなどに比べて割高です。
にしても、一着=20円なんですヨ。
これ4枚の合計で80円......が、
円高なので、正確に言うと64円。
うらやましいでしょ!
by yosaku60 | 2012-07-31 13:45 | バリ島=物価・修理費 | Comments(0)

与作

何故に「与作」なの?
最近、二人の人からハンドル名の由来を聞かれました。
ウインドウズ95の時から、ネット上で使っているので、
「与作」とは、もうかれこれ、16年のつきあいになります。
私に会ったら「与作」とか、「与作さん」と、呼んでみてください。
すぐに振り向きます。
自分では、それほどに馴染んでおります。
本名で呼ばれても、多分それほど敏感に反応しないと思います。
本名は、吉井洋司(ヨシイヨウジ)です。
そうなんです。
「よ」が二つつくから、「与作」を名乗ったのです。
単純なんです。
by yosaku60 | 2012-07-30 16:10 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

white sand beach に行って来ました。

前回写真が撮れなかったwhite sand beach.....、
に、写真を撮る為にもういちど訪れてみました。
こんなところです。
白色ではなく、灰色です。
ですが、この付近の海岸は、どこも黒色です。
それと比較すれば、確かに white sand beach です。
d0083068_3483476.jpg

10年前は、2軒だけだったというワルン、今は11軒に増えています。
まだ発展途上中と思えるものの、付近にはホテルなどの宿泊施設がなく、
日中に遊ぶ為だけ海岸ですし、なによりも海岸までの道が悪路すぎます。
集客には自ずから限度があるように思えます。
それに泳いでみましたが、潮流が早く泳ぎにくい海でした。
d0083068_451233.jpg

浜辺には、アジア人の姿が見えずヨーロッパ系ばかりです。
それも圧倒的に女性ばかりが目立ちます。
「何故こんなところに」と、一人に聞いてみました。
イギリスから来ているという、ご婦人曰く、
「人の少ない、ひなびた海岸が好きだから」
んん、誰も考えることは同じなんですよね。
d0083068_441839.jpg

遠くに男がいました。
それも、陸から海に向かってサーフボードで滑っているようなんです。
d0083068_49552.jpg

近寄ってみたら、こんなんです。
写真をとりたいのでもう一回滑ってみせてくれ、
と、頼んで撮ったのに手元がぶれてしまいました。
海に向かって傾斜のある浜辺なので、できる波乗りもどき。
こんなんなら、オレでもできそう!
d0083068_4101858.jpg

by yosaku60 | 2012-07-30 04:23 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

バリに残った二人の日本兵(村人の記録)

d0083068_16203159.jpg今年の1月18日から書き始めたブログに、
「バリの父」と慕われた三浦襄について、
その1~その6 と6度に亘って掲載した。
この中の、その4~その6 は、三浦襄ではなく、
松井、荒木の日本兵についてであった。
両氏は今もプナルンガン村民から祀られている。
実は、1月にプナルンガン村を訪れた時、
私は村人から、右の本を頂いていた。
独立戦争を戦ってきた、村人の記録である。
この中に両氏のことも書かれているのだ。
村人から、日本語に翻訳して欲しいとも頼まれた。
が、日本語がわかるインドネシア人に見せるも、
文面が難解すぎるらしい。
又、これが書かれた背景が全てわからないと、
読みこなせないようなのだ。
背景とは、
1、ヨーロッパのアジアにおける植民地政策
2、オランダのインドネシアにおける植民地政策。
3、日本がインドネシアに侵攻した本音と建前。
4、その本音と建前に翻弄される日本兵。
5、日本統治時代より生まれたインドネシア国民の独立願望。
6、日本の敗戦と残された日本兵。
7、インドネシア独立戦争の実態。
などである。
まだある。
二人の日本兵は、独立戦争の英雄=ングラライと同じくププタンにて戦死している。
ププタンについて、バリ人が特別な感情を持っている。
その歴史背景も解らなくては、この本が理解できない。
まだある。
記録された当時、インドネシア語は正式な国語ではなかった。
で、綿密に書かれたり、いい加減だったり、いろいろに書かれてるようなのだ。
多分、文章を綴ることになれない、何人かの記録を集めたのであろう。
又その頃のバリ人、読み書きできるものは、5~6%しかいなかったらしい。
明らかに日付が間違っているところもあるのだ。
なんやかやで、ややこしいインドネシア語の訳、オレができる訳がない。
活字に打ち込んで翻訳機にかけてみたが、全く意味をなさなかった。
んな訳で、翻訳を延ばし延ばしにしていたが、いつまでもこのままでの良いわけがない。
訳ができても、ブログとして公表するかどうかは、まだ決めていない。
が、とにかく、暫くはこの本の全面理解に取り組んでみようと思っている。
by yosaku60 | 2012-07-28 16:29 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

ニワトリが美味しい

d0083068_926224.jpgお詫びいたします。
7月14日のブログ記事、
ご近所さん(ウエティー)、
についての掲載記事のことです。
ここで出される料理を
バビ(豚)チャンプルであろう、
と、聞きかじりで書きました。
と、読者から「豚じゃない鶏だよ」
の、コメントが寄せられました。
教えて戴きありがとうございます。
そうですよね。
食べなきゃ解りませんよね。
んで、罪滅ぼしに、今しがた
食べてきました。
写真を見てください。
7時半オープンなのに、もう20人ほどの人が先に来て待っているんです。
店の名「イブ、ウエティー」は、経営者の名前です。
もしかしたら、
中央のおばさんかも知れません。
d0083068_9484525.jpgで、ともかく、味についてですが、
「んん、美味しい」
もともと、オレは鶏肉が好きです。
その鶏肉がいろいろに料理され、
それらを少しづつ混ぜている。
美味しくない訳がありません。
サンバルは、ピリッと舌にくる辛さ、
なんですが、あっさり感もあります。
スープをかけてくれるので、
ごはんがぱさぱさしていなく、
噛み易くチャンプルされています。
すぐに売り切れるのも納得です。
by yosaku60 | 2012-07-28 09:54 | バリ島=レストラン | Comments(2)

テーブル(その2)

そのレストランから100mほどのところに、
ボートを廃物利用した、こんなテーブルがありました。
竹を敷いて天板にしています。
ここは狭い入江になっております。
大潮の時に南風が吹くと、入江深く波が駆け上ってここまで寄せます。
その際、防波壁になるように置かれたテーブルです。
ですが、テーブルはテーブルです。
そういう風に利用されています。
立派なものと粗雑なものが、あたりかまわずに、堂々と入り混じっている。
こんなんもバリらしい光景なんです。
d0083068_9533084.jpg

by yosaku60 | 2012-07-27 10:28 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

テーブル

とある、レストランで、こんなの見つけました。
叩くと、硬そうな音がします。
なんという名前の木でしょうかねぇ。
木であった時の形を見たかったな~。
d0083068_8363334.jpg

by yosaku60 | 2012-07-26 08:37 | バリ島=その日のできごと | Comments(0)

座礁船

d0083068_946781.jpgサヌール沖のハイアットリーフに、
乗り揚げて2年が経過した座礁船。
それが解体され出したとの話を聞く。
で、撮った今朝の写真がこれ。
その通りだった。
写真では小さくて見えてないが、
作業員用の小船が横付けしている。
座礁船のブリッジ(船橋)が、
既に解体され取り去られている。
白い波は、珊瑚礁の外海です。
座礁船は、白い波の随分手前だ。
それだけ高く乗り揚げてるってこと。
長い歳月で少しづつ波に寄せられ、
乗り揚げが進んだようです。
いずれ、珊瑚礁を壊し内海に入るかも、
の心配があっただけに、解体決定は喜ばしい。
by yosaku60 | 2012-07-25 10:04 | バリ島=その日のできごと | Comments(2)

オレのインドネシア語

d0083068_1155174.jpg昔話から書き始めたい。
昭和39年のことである。
ニューヨークのハドソン川に、
世界の帆船が集まる、
お祭りがあった。
日本からは、商船学校生が、
参加した。
オレにとっても、
初めての外国であった。
期間中、各国の学生には、
ブロードウェイのいくつかの、
劇場観覧が無料で開放された。

但し、それには、ブロードウェイにある、
主催者本部に無料チケットを貰いに行く必要があった。
その頃から、オレは、でしゃばりだった。
「行こう、行こう」と、友人を誘って本部ビルとやらを探して中に入った。
多分、顔を真っ赤にして一生懸命に喋った筈だが、全く英語が通じない。
と、そこに、豪華なドレスを着たご婦人が現れた。
で、「フランス語ならできますわ」と、のたまう。
オレの英語、アメリカ人にとっては、フランス語に聞こえたってことだ。
これがオレの英会話の初体験(今も鮮明な記憶)。
その程度のオレの英語、その後も進歩せずに時が過ぎる。
が、船長になった頃より、だんだんと喋れるようになった。
乗組員全員が外人で、英語しか使えない環境で、
オレの話を聞き取れなければ、相手が仕事ができない。
だから、真剣に聞き取ろうとする相手の協力の故とも思う。
ではあるが、
言葉を通じ合うことに慣れてきた、オレ側の前進もあると思うのだ。
慣れてきたとは、通じ合える術(すべ)が解ってきたとの意味だ。
前置きが長くなったが、今日は、その術(すべ)について、少々書きたい。
自慢話のようになるが、そんなつもりは少々しかない(笑)ので許してね。
まず、真っ先に言いたいのは、
術(すべ)を知れば、語彙が少なくても通じ合えるってこと。
例えば、形容詞は「良い」「美しい」などの肯定の方だけを知ってけば十分だ。
その反意語は「~でない」をつければ足りる。
また、「大きい」を覚えれば、「長い」は、覚えなくても、
閉じてた腕を少しづつ広げて「大きい」といえば、「長い」という意味で通じる。
相手の言った単語がわからなかったり意味がわからない場合は、
「こういうことを言ったのですか」と、自分の知っている単語を羅列して聞きなおす。
と、あとはイエス(ya)かノー(tidak)を聞くだけで会話が進む。
てなぐあいなんをオレは、会話の術(すべ)と思ってるんだけど、
みなさんは、どう思われますか。
オレは、頭があまりよくありません。
自分のことですから、自分が一番よく知っている。
インドネシア語の勉強は、カミさんと一緒に始め、カリキュラムも勉強量も同じだった。
で、忘れずに覚えている語彙量はカミさんの方がずーと多い。
オレは覚えれないんです。
d0083068_1161342.jpgでも、実践で喋れるのは、
オレの方なんですよ。
多分、術を知っている、
からだと思うんです。
さて、今日のブログ、
何故に言葉を通じ合う術、
についてかというと、
それを思い知る嬉しいことが、
あったからです。
上の写真を見てください。
私の住むバンジャールの、
村長さんと、その息子です。
一年に一度、
お世話になっているお礼として食事にお誘いしております。
一昨日がその日でした。
食事中は、当然に会話を楽しみます。
村長さんは、学があって、英語もぺらぺらです。
一昨年は、英語で会話をしました。
去年は、英語が主で、時々インドネシア語の会話でした。
それが、一昨日は、会話の全てがインドネシア語だったのです。
オレがそうしたのではなく、村長さんがオレのインドネシア語の程度を見抜いて、
インドネシア語で、大丈夫と判断してくれたのだと思います。
村長さんは、バリヒンドゥーの僧侶であって、今も学校で勉強中です。
生涯、勉強が続くそうです。
一昨日の会話は、そんな村長さんから、
バリヒンドゥー教の歴史を教えてもらいました。
プロから直接に教えてもらう話は、どれも興味深く聞いてて飽きませんでした。
そして、話し終わってみて、初めてインドネシア語での会話であったことに気づいたのです。
もう今の私は、英語は、聞き取りできても話せなくなりました。
英語を喋ろうと思ってもインドネシア語しか頭に思いつかないのです。
言葉って、こういうものなのですかね~
中の写真は、一緒にお食事した村長さんのご家族です。
右の長女は、バリ舞踊のプロダンサーで、海外でも教えている才媛です。
前出の息子、まだ幼い子供です。
でも、もう小学3年生なのです。
ひとより早く学年を進んでおります。
バリでは、できる子の場合、こんなのありなんです。
親も子もピンタール(頭脳明晰)です。
「すぐに頭にピンと来タルは、頭脳明晰」
なんて変換しなくちゃ、覚えれないオレって、やっぱし、tidak pintar(バカ)。
by yosaku60 | 2012-07-24 11:38 | バリ島=人物往来 | Comments(2)

ムチャル(最終回)

ムチャルを行った家の前の通り。
平和が漂う佇まいです。
d0083068_9541537.jpg

ムチャルの式次第は、次のとおりです。
1、村人全員で料理を作る。
2、村人全員でそれを食べる。
d0083068_1017559.jpg

3、さらに各自の家にも土産として持って帰る。
4、お祈りし、聖水(など)を作る。
d0083068_9592331.jpg

5、聖水を採る。
d0083068_1031840.jpg

6、聖水を家寺に撒く。
d0083068_1041836.jpg

7、さらに家の周りにも聖水を撒く。
d0083068_1051627.jpg

8、ムチャルの当事者も聖水受ける。
d0083068_109177.jpg

9、綿糸を頭に載せ、手首に綿糸を巻く(何の意味かは知らない)
d0083068_1011639.jpg

10、生贄(牛)を土地に埋め、式が終わる。
簡単に書いたが、以上は午前8時~午後3時の7時間を要する式次第であった。
d0083068_10152111.jpg

by yosaku60 | 2012-07-23 10:20 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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