あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



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インドネシア風の台湾料理店

d0083068_9492132.jpg前にも書いたが、ここでの食生活は、
3分の2が外食です。
贅沢だ!....って。
そうじゃないんです。
バリでは、台所のない家もあります。
そこの住人は100%外食ってこと。
だから、街は「食べ物屋」ばっかり。
でも、勿論インドネシア料理、
カミさんの胃袋が受け付けません。
オレ? オレはなんでもOK。
でも、人間が好きなオレ、店主や店員との交わりがなくっちゃ、困るんです。
食べるだけなんて、どうでもいいんです。
結局は二人そろうと、「味と人」の双方がOKでないと行きつけの店にならないんです。
そんな店は限られております。
その限られた店をぐるぐる回るんですが、それでも徐々に味に飽きてくるんですよね。
んで、いつもいつも新しい店を探すことになります。
前置きが冗長ですよね。 ごめんネ。
さて、最近探した新しい店(写真右上)です。 台湾料理店です。
店主が左下のトゥトゥ(tutuk)さん、若干、30歳のインドネシア美人。

d0083068_1092385.jpg台湾人の夫は、料理には無関心で、
メニューや味付けは、
全部彼女の創作だそうです。
関心するのが、彼女の接客態度。
「味がおかしかったら言ってください」
「勉強して、美味しい料理にしたいのです」
って言うんです。 
なかなかこういうこと言えません。
かわいいですよね~。
価格ですが、たとえば餃子、
誰が見ても丁寧に作っていると判る餃子、
それが12個で130円。
店がまあまあきれいで、味もまあまあ、
スタッフの接客態度が良くて、価格も安い。
トゥトゥさん!
近いうちに、また会いに行きますからね。
by yosaku60 | 2012-01-29 10:28 | バリ島=レストラン | Comments(2)

大雨

ここ三日、大雨が続く。
特に真夜中に雨が多い。
雨があがった今朝のタンブリンガン通り。
太い電線をまきこんで大枝が折れていた。
d0083068_11185543.jpg

ここも大枝が折れている。
葉や枝が雨で重くなり、大枝がその重みに耐えれず折れる。
d0083068_11201480.jpg

バリには、葉の生い茂る木々が多いってことでもある。
d0083068_11283955.jpg

昨日は大雨に大風も吹いた。
5ヶ月前にできたばかりのマルタサリ海岸の新しい堤防。
波が進入して、その堤防を破壊した。
バリの工事は、自然を前にしてもろすぎる。
d0083068_1135286.jpg

by yosaku60 | 2012-01-28 11:24 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

景勝地(パンダワビーチ)

バリの南端はインド洋に向かって白い崖になっている。
最近、その白い崖の上にビラやホテルが建ち始めている。
海に向かってその崖を降りると、幅の狭い白砂のビーチがある。
喧騒さがなく、欧米人好みのビーチである。
パンダワビーチと呼ばれている。
確かにきれいなところである。
が、バリ人の生活が見えず、単にきれいなだけだ。
こういう無機質なところ、オレの好みではない。
が、これから開ける新しいリゾート地である。
一応知っておきたい、と行ってみた。
まずは、崖に向かう道より海を撮る。
d0083068_6501720.jpg

背景の崖が切り開かれているでしょう。
車で崖を降りれるのは、ここからだけ。
d0083068_6505479.jpg

沖に珊瑚礁があり、ビーチは静穏だ。
d0083068_6511427.jpg

はげ頭には、太陽が暑すぎる。
d0083068_6513913.jpg

by yosaku60 | 2012-01-27 07:00 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(2)

三浦襄(その6)

d0083068_2062339.jpg松井、荒木の両氏は、
なぜにプナルンガン村に居たのだろうか。
両氏の戦死は、ングラライの、
いわゆるププタンでの戦死だったのだろうか。
この二つの疑問を考えてみたい。
写真はマルガに祭られる1372名の英霊。   
5万ルピア紙幣の肖像画に使われている、
インドネシア独立戦争の英雄、
ングラライもこの中にいる。
オランダとの独立戦争で彼が戦死したのは、
日本の敗戦から1年3ヵ月後のことである。
4年5ヶ月続いた独立戦争を思えば、比較的早い時期での戦死である。
なのに、なぜにこれほどまでにあがめられているのか。
彼の戦死は「ププタン」と呼ばれる勇敢な戦いであったからだ。
ププタンとは、バリ語で「終焉」を意味し、覚悟の自殺的戦死を意味する。
彼に率いられた96名の民兵は、全員マルガの地で玉砕しているのだ。
二つ目の疑問の答えになるが、
オレは、この96名の中に、松井、荒木の二人の日本兵がいたと思う。
なぜなら、ングラライの出身地は、マルガのあるバドゥン県であり、
率いた民兵は地元民(プナルンガン村も含まれる)である可能性が高いからだ。
さらに、マルガの英霊1372名の中に日本人12名の名があるが、
その中で出身の村の名前が記入されているのは、松井、荒木の二人だけである。
d0083068_19464577.jpg

他の日本人10名は、単に jepang と国名が記入されているだけである。
次いで、一つ目の疑問、両氏はなぜにプナルンガン村に居たかということであるが、
隠し事をする必要がない理由で、堂々と村に住んでいたようだ、とだけは思う。
12名の日本兵の中で、出身地、生年月日の双方が判っているのは、
両氏を含めて3名だけだからだ。
ネット情報によれば、マルガに祭られる12名の日本人は、
日本の敗戦後、連合国にに捕らえられ捕虜となっていた収容所から脱走し、
ングラライの民兵としてオランダ軍と戦ったように書かれている。
が、オレは12名がみな同じ行動をとった者とは思わない。
もし、脱走してから村に来たのであれば、村にいた期間は約1年である。
後々まで村人に慕われる業績を残すには、期間として余りにも短かすぎる。
松井、荒木の二人は、日本の統治時代より村に住んでいたのではなかかろうか。
で、村人の生活に影響を与えれる立場にいたのではなかろうか。
三浦襄については多くのことが語り継がれている。
それなのに、松井、荒木の両氏について、語られるものは余りにも少ない。
日本人の誰もが、現地にこういう立派な銅像が建っていることを知らないのではなかろうか。
オレはもっと、知りたい。
近いうちに機会を作って、地元のお年寄りの話を聞いてみたい。
by yosaku60 | 2012-01-25 11:09 | 帰らなかった日本兵 | Comments(1)

三浦襄(その5)

松井久年、荒木武友の二人の日本兵について....
だいぶ前のことですが、その慰霊塔があるという村、
「ブルングンガン村ってどこにあるの?」。
マルガ辺の事情に詳しい近所の人にいろいろ聞いたことがあります。
誰もが知りませんでいた。 
で、長らくあきらめていました。
でも、このブログを書き始めて、思い直しました。
ブルングンガン村という名前がおかしいのではなかろうか。
末尾のガンという名は、小さなという意味もあるので、ブルングンではなかろうか。
で、マルタ付近の村で、ブルングンに似た名の村を探してみました。
と、ブルンバン(blumbang)という小さな村がありました。
好奇心の塊のオレ、これが行かずにおらりょうか(馬鹿だね~)。
ってんで、昨日、そのblumbang村に行って来たのですが、
面倒なので、結論から先に書きます。
産経新聞の記事が誤りでした。
ブルングンガン村でなくて、プナルンガン村(penarungan)でした。
それに慰霊塔ではなくて、銅像でした。
新聞に掲載された慰霊塔の写真を持って、いろいろな町や村で、聞き込みをしたのですが、
だーれも知りません。
で、「独立戦争を一緒に戦った日本人だけど」と言うと、
「慰霊塔はないが、そのような銅像なら知っている」と返事が返ってきたのです。
で、それが所在するプナルンガン村を訪ねて判ったのです。
まずは、全体の写真から、
大きいでしょう。
中学校の校庭のど真ん中に、ドーンと建っていました。
d0083068_6243288.jpg

近寄ってみると、こんな表記がありました。
「プナルガン村の人々の闘争の記念碑」と訳するのだと思います。
2005年、11月5日建立って、6年前ってこと、つい最近なのですね。
二人の氏名、聞き取った呼び名をそのままつづったのでしょう。
mutswiso は 松井、 harraki は、 荒木なのでしょう。
間違いありません。 産経新聞掲載の二人です。
d0083068_6311410.jpg

さて、その二人ですが、
どちらが松井か、荒木かは書いてありません。
帽子に巻いている鉢巻は、真新しい布です。
時々、新しく締めなおすのでしょうね。 
手入れが行き届いているように見受けます。
d0083068_6473890.jpg

d0083068_6484278.jpg

帰り道、独立戦争で戦死した全員を祭るマルガに寄ってみました。
写真は、そのマルガの入り口の広場です。
これを見て、あらためて判りました。
プナルガンの二人のモニュメントもマルガのモニュメントも同じ形、同じ色彩です。
プナルガン村の人々が、わが村にもマルガに眠る人がいる。
ってことを誇って、同じモニュメントにしたのではないでしょうか。
なぜにそう思うのかは、(その6)に書きましょう。
d0083068_711271.jpg

by yosaku60 | 2012-01-24 12:13 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

三浦襄(その4)

d0083068_857181.jpg三浦襄と同じく、バリ人に尽くした男たちがいる。
松井久年と荒木武友の二人である。
日本の敗戦後、インドネシア各地で、
旧宋主国オランダとの独立戦争が勃発した。
二人は、この独立戦争に参加する村人に、
ゲリラ戦の戦い方などを指導したのだ。
二人の功績はそれだけではなかった。
日本式の水田つくり米つくりも指導している。
27歳の若さでバリで没した二人。
その二人は小さな祠で村人に祭られていた。
が10年前、その功績を忘れないでおこうと、
村人の募金で大きな慰霊塔が建てられた(写真)。
この村、ブルングンガン村と言う。
以前ブログに書いた11人の日本人が祭られる、
マルガ村の近くらしいが、所在地まだ探せないでいる。
近日中になんとか探して訪ねたい。
三浦襄と、この二人、
さらにインドネシアに味方しマルガに眠る11人の日本兵。
バリに功績をつんで来たたこれらの人々。
オレも含めて現在バリに住む日本人は、
これらの人々を辱めるものであってはならない。
by yosaku60 | 2012-01-21 09:42 | 帰らなかった日本兵 | Comments(2)

三浦襄(その3)

d0083068_1461062.jpgオレは想う.....。
多くの日本人は、
アジア人に優越感を持っている。
この「多くの」という意味。
オレは「ある時代の」と、
形容詞を読み替えている。
この「ある時代」の範囲、
「日露戦争~バブル経済の崩壊」
と思っている。
第二次大戦中は、
その真っ只中だったってことだ。
日本は農耕民族であって、国境を隔離された島国だ。
その環境は、集団での行動に長ける気質を産み、
外国にとって異質であることに気づかない、という特殊性を産んだ。
集団での行動に長けるということは、
集団思想(建て前)が個人思想(本音)より尊重されるってことだ。
個人がいくら立派な人間であっても、集団になると非人間的な行動をとることもあるのだ。
赤信号、みんなで渡れば怖くない...ってことだ。
優越感を持つ民族がこのような無責任下で他国に侵攻したらどうなると想いますか?
私は船長時代、日本人が他国籍人を使用する組織の統括をしてきた経験がある。
その時、何が大変だったかというと、
「乗組員の仕事のやり方が日本人的でない」という日本人からの苦情に応えることであった。
で、その苦情は仕事の成就にそれほど影響のあるものではなく、
日本人がアジア人に尊大になるがゆえのものであることが多かった。
さて「ある時代」の考察に話を戻す。
このような他国に対する尊大さの感情だが、
オレは日露戦争の勝利で始まったように想うのだ。
ロシアから賠償金を取れないことに怒った民衆の抗議ストがそれを物語る。
その感情は、第二次大戦での敗北で消えるはずが、
朝鮮戦争での特需があり、その後の所得倍増政策、高度経済成長を経て再燃した。
そしてバブルがはじけた以降に就職した若者の時代で終わったように想うのだ。
随分と余談をした。
んで、三浦襄のことであるが、
インドネシア人の日本人に対する感情は、時々熾烈なものが交ざる。
上記のことがあり、それはあたりまえのことに想う。
が、ことバリ人に限ってみると、親日的な人が多い。
三浦襄の葬儀には、それを聞きつけたバリ人が一人二人と参集し、
最後には一万人が参列したと言う。
ほんに「バパ、バリ」として、バリ人から親しまれた証左であろう。
今、現在のオレは、親日的なバリ人に接しバリで安住できている。
悪をも許すバリヒンズーという宗教観のおかげもあろうが、
三浦襄のおかげもあると想っている。
写真は、三浦が養育したバリの貧しい子供たち。
内地の日本人と同じ格好をさせる、として服や運動靴まで気を配ったという。
この子供達、すでに70余才、三浦から怒られたことが一度もないと証言する。
by yosaku60 | 2012-01-20 14:21 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

三浦襄(その2)

d0083068_423312.jpgこのほど、この三浦襄についての本が発刊された。
長洋弘の著による、右の本である。
副題として、「バリ島を訪れる日本人のための物語」とある。
読んで見たが、まさにそのとおりの本である。
この本の「あとがき」には、次のことが書かれている。
インドネシアの元副大統領、アダム、マリク曰く、
オランダの植民地支配は尊大で冷酷、であった。
が、日本軍のインドネシア支配は、戦慄すべき策略であった。
と、日本の本心をあばいている。
さらに、「あとがき」には、インドネシアの高校の教科書には、
日本はインドネシアを支配したことのある国でもっとも残酷だった。
と記されていることも述べている。
そうなのだ。
第二次世界大戦中、
インドネシアを含めアジア人にとった日本の行動は、
どんな風に非難されても言い訳のできるものではなかったものと想像するのだ。
そう想像する理由を 三浦襄(その3)に書きたい。
by yosaku60 | 2012-01-19 05:03 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

三浦襄(その1)

d0083068_1141971.jpg私の手元にある、産経新聞の切り抜き....。
平成17年2月、9回のシリーズで掲載されたもの。
「バリ島の父」としての三浦襄(写真)の物語である。
三浦は、戦前からバリに住み、バリを愛し、
バリ人を愛した人である。
第二次世界大戦中,日本軍がバリに侵攻したとき、
彼はバリ人への慰撫役として軍に同行した。
当初彼は、軍の侵攻目的をインドネシアの独立のため、
と思い込んでいた、というか、思い込まされていた。
が、徐々に日本の本当の目的は、そうでないこと知る。
日本の目的はインドネシアの資源を自由にせんが為の
侵略であることを思い知らされるのである。
が、彼は、悩みながらもそうなってはならぬと、
バリ人側に立ちバリ人の味方になって行動をとる。
しかし大戦は日本の無条件降伏で幕を閉じる。
終戦後数ヶ月、彼は、戦時中の日本軍の横暴さを謝罪する為バリ全土を行脚する。
謝罪を終えた彼は、インドネシアの独立を願う、その心に偽りはない、
ということを証明するがために自決する。
日本人は、うそをつかない、ということを身をもって示したのだった。
by yosaku60 | 2012-01-18 11:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

車両税

d0083068_18171178.jpg車両税の支払いだが、
日本では、銀行から振込みができる。
が、ここバリでは直接に、
サムサ(SAMSAT=税務署)に、
支払いに出向かなければならない。
支払日を過ぎると追徴金をとられる。
で、支払日をカレンダーに書きとめて、
忘れないようにしなければならない。
で、先日、その支払いに行って来た。
写真は、サムサ(税務署)の受付。
エステンカ(STNK=納税証明証)と、
べぺカべ(BPKB=車両取得証)を
をここに提出すると、手早く納税申請書を作ってくれる。
今年より受付が新しくなり、システムが簡易化され、手続きが楽になった。
楽になったのは、そればかりではない。
手続きに必要な言葉が少しづつ判るようになったこともある。
サムサ、エステンカ、ベペカベなどの、いわゆるシンカタン(SINGKATAN=省略語),
以前は、何度聞いても、こんなモジャモジャ語、理解できないでいた。
が、今はモシモシ語に聞こえ、普通に理解できるようになってきている。
オレのバリ定住生活も少しづつであるが、前にすすんでいるようだ。
by yosaku60 | 2012-01-16 20:05 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)


常時ほろ酔い候
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