あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



<   2010年 01月 ( 21 )   > この月の画像一覧


tidak apa apa(その7)

d0083068_852910.jpg今日も、車関係での tidak apa apa。
前にも紹介(5人乗りの例)したが、
写真のようなバイクの4人乗りが、
許されているわけではない。
が、普通に見られる光景である。
バリのポリスは、結構に厳しい。
ヘルメットをかぶらなかったりしたら、
すぐに罰金をとられる。
では、何故に写真のような4人乗りを取り締まらないのか。
もし取り締まったら、バリでの人々の生活が成り立たない。
だから、取り締まらない。
官民持ちつ持たれつの tidak apa apa なのだ。
そして、もうひとつ解りやすい理由もある。
その場で罰金が取れないようなら、取り締まりの対象にならないのだ。
例えば、バリでは小・中学生でもバイクに乗る。
勿論、年齢的に運転免許証を持てないので、無免許運転である。
が、小・中学生はお金持っていないので、罰金を取れないことが解っている。
だから、取締らない。
同時に彼らは、ヘルメットも被らない。
どうせ違反しているのだからという理由で被らないのだ。
そのことに誰もが疑問を持たない。
バリ人にとっては、子供ならなんでも許されるという、あたりまえの tidak apa apa なのだ。
私にとっても、直接に関係ないので tidak apa apa だ。
が、止めてほしい tidak apa apa もある。
オレの車、買ってからまだ半年というのに、もう3回もパンク事故を起こしている。
原因は、釘を踏んだことに拠る。 んん、そういえば針金のかけらを踏んだこともあったっけ。

d0083068_95459100.jpg太い釘を踏むとタイヤが使い物にならなくなる。
そうした場合、タイヤの中にゴムチューブを入れ、
そのチューブに空気を入れて代用する。
新しいチューブを買っても750円,
修理はすぐに終わる。
かといって、急ぎの用があるときのパンクは困る。
道路に何でも捨てられて tidak apa apa。
これは大いに困る・・・のだ。
左の写真、助手席に3人居るの見えますか。
荷台にも二人乗っています。.
この写真の枠内で計6人乗っているんです。
こんなのもアタリマエの、 tidak apa apa。
by yosaku60 | 2010-01-31 09:49 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

tidak apa apa(その6)

d0083068_8531496.jpg今日の tidak apa apa は、
オレにとっては、うれしい、
tidak apa apa話(ばなし)、
バリでの車の運転事情のことです。
バリの道路はどこもかしこも、
車やバイクがいっぱいです。
バイクは、隣どおし足と足が触れる、
車体をこすりながら、バイクが走る、
なんてことも、ある混み具合です。
道路は曲がりくねっていますし、
やたら一方通行が多いのです。
行きと帰りは、同じ道を通れません。
そんな中、道を間違えてどうにもならないことも多くあります。
狭い道でUターンしなければならないことがあるのです。
交通量が多い中、大変と思うでしょう。
でも、そうでもないんですヨ。
簡単にUターンできるのです。
自分勝手に周囲を気にしないで、ゆっくりUターンすれば良いんです。
なんどハンドルを切り替えても、なんど前進後進を繰り返しても良いんです。
その間、車やバイクは、黙って待ってくれるのです。
誰も文句を言いません。
他人迷惑なんて、tidak apa apa なのです。
混雑するで交差点での運転も同様です。
危ないと思ったら、速度を緩めてゆっくり曲がれば良いんです。
そういう車は、周囲がよけてくれるので、こちらがよけなくとも良いのです。
なんやかやで、事故を起さなければ、全て tidak apa apa なのです。
交通ルールは、100%守る必要がありません。
それよりも現実として交通事故を起さないことが優先されるのです。
私にとっては、この方がリーズナブルと思うのですが、みなさんはいかがでしょう。
写真は、サヌールのバリハイアット前の道路です。
道も広く、車も少なく快適に走ることができます。
毎朝、この道を通り抜けます。
ここでは、バイクで走らせながら、ひととき深呼吸をしております。
by yosaku60 | 2010-01-29 09:54 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

tidak apa apa(その5)

d0083068_1112956.jpg写真は、家から300m、
最近できたシャトルバスの停留場。
ここからウブドまで、
300円で行くことができる。
ウブド市内は交通が混みあう。
自分の車を運転して行きたくない。
だから、このシャトルバス、
実にありがたいのだ。
バリのの交通事情、
少しづつ改善されているようだ。
が、根本的に車、バイクが多すぎる。
その分、事故も多い。
ということで、今日の tidak apa apa は、こわーい交通事故の話である。
例えば車を運転中、はからずも人を轢いてしまった場合のこと、
バリ人曰く、轢かれた人が明らかに重傷ならば、引き返して轢き殺した方が良い、というのである。
轢かれた方の本人も家族もそれを望むというのだから、聞いて驚く。
このような話、メキシコでも、そのようであると聞いたことがある。
中国でもそうであるらしく、例えば、事故を目撃した人が親切心で救急車でも呼ぼうものなら、それを呼んだ人が料金を払わなければならないので、結局は誰も救急車など呼ぼうとしないらしい。
保険制度が貧弱な国は、全てそのようであるかも知れない。
多かれ少なかれ、バリでもそのようであるということだ。
交通事故を起してポリスを呼べば、なんやかやと結局、ポリスにお金をとられてしまう。
であれば、事故の当事者どうしで、その場で示談にした方が良い、などとも言う。
いずれにしても、ここバリでの交通事故は、当てられ損、轢かれ損、殺され損のようである。
人の命なんて、tidak apa apa、
なんて思いたくないが・・・・・・、まあまあ、ここはバリ。
by yosaku60 | 2010-01-27 11:29 | バリ島=社会・生活 | Comments(3)

tidak apa apa(その4)

d0083068_8462843.jpg今日は、ゴミの話。
日本と違い毎日、ゴミ収集車が来る。
分別は、バリでは必要がない。
ガラス瓶も、アルミ缶も、
一般ゴミと一緒くたにして出す。
何でも、tidak apa apa である。
こんなんで、将来どうなるのだろう。
てなことを、バリ人は考えない。
全て、tidak apa apa である。
で、ゴミについてチョット驚いた話。
バリでは、冠婚葬祭に参列すると、
必ず食事が出る。
食物は、カミ皿や紙コップに載せられ、あるいは椰子の葉に包んで出される。
で、食べ終わった後だが、困ったことに、これら包装や残飯を捨てるゴミ箱がないのだ。
どこかにあるのだろうが、参列者の周囲には、絶対にないのだ。
で、どうするかと言うと、そのまま足元に捨てるのだ。
おいおい、そんなんで良いのか。
これには、最初の頃、チョット驚いた。
が、今では、同じシチュエーションでも、平気でポイして、tidak apa apa だ。
が、この、tidak apa apa ・・・・、ある理由があるのだ。
バリ人のためにチョット言い訳しておきたい。
このtidak apa apa 、バリヒンズーのものの考え方に由来する。
バリでは、善と悪、右と左、神々と悪霊は、いつも対立して戦っていると考えられている。
人々は、その双方をなだめながら、怒りを招かないようにせざるを得ない。
陰と陽とのバランスがうまくとれてこそ、自分達の安全が保障される、と考えているのだ。
神々には、毎日のように供物をささげる。
であれば、それに対立する悪霊にも供物をささげなければならない、ということになる。
悪霊にささげる供物・・・この供物は、地面に置くのである。
そして、その供物だが、悪霊用なので、チョット腐っていても良い、と思っているのだ。
だから、食べ残しを地面に捨てても、それはそれで供物なのだ。
ついでに書くが、これら供物は神々や悪霊が食べるものとは、考えていない。
神々や悪霊のおかげで平穏に生活できているという、一種の税金のようなものと考えている。
私が毎朝行くワルン、オヤジが地面に供物をささげると同時にガチョウが来て食べてしまう。
これも神々や悪の食事とは考えていないので、それで良いのだ。
ガチョウや犬は、掃除屋である・・・だから、tidak apa apa なのだ。
上の写真は、ワルン前の広場。 (ちなみに写真のバイクはオレのもの)
この広場全体が、樹齢100年を越す4本の大木に繁る葉で覆われ空が隠されている。
これら大木から、毎日沢山の枯れ葉が広場に落ちる。
それを毎朝、掃除する。
集められた、枯れ葉は、そのまま道路わきの窪み(写真の塀の前)に捨てる。
窪みは、いつの間にか枯れ葉の山になる。
・・・はずである。
が、見ていると、それほど山にならず、毎朝同じ場所に捨てることが出来ているようだ。
どうなっているのだろう・・・・てな先のこと、 tidak apa apa。
by yosaku60 | 2010-01-25 09:46 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

tidak apa apa(その3)

d0083068_9303981.jpg「なんだか曼荼羅」
私だけのイメージ造語だ。
英語のアトランダム、
バリのアパ(なんだか)、
そして、
ヒンズーに関係ありそうな曼荼羅、
を一緒くたにした言葉のつもりだ。
バリを理解する、私だけの暗号である。
右は遠目で見ずらいが、
今朝6時の浜の人出模様である。
日曜なので、もう人がいっぱいいる。
砂浜に寝転ぶ人、
座って瞑想する人、お祈りする人、
歩いている人、走っている人、自転車に乗る人、
体操している人、
・・・・などがいるのだ。 
みんな自由である。
みんな勝手に行動している。
そのバラバラさの中でなんだか知らない統制が見えるのだ。
これがバリ・・・私のイメージの「なんだか曼荼羅」なのだ。
説明しづらい話で申し訳ないが、私のtidak apa apa のイメージの一環なので書いてみた。

d0083068_9311546.jpgさて、左の写真。
焼き肉店で修行中のヌルと言う名の女の子。
オレが店に行くと、つきっきりで焼いてくれる、
という約束になっている。
彼女は、17歳。
そして、彼女の母親は30歳。
ええ?
そうなのだ、12歳で結婚したのだそうな。
そして、それを聞いて驚くオレを、
「何故?」
と驚くのだから、またまた驚いてしまう。
現在、両親はどこにいるか解らないという。
が、ニュピ(最大のお祀り)にだけ帰ってくるという。
だから、tidak apa apa だそうな。
ほんにどこにでも tidak apa apa がある。

さて、今日の本題に移りたい。
日本のみなさんがきっと気にしている「蚊」の話。
蚊のことで、信じられないような事実がある。
私もカミさんも足首が何かに食われて、いつも傷だらけである。
蚊か蟻かそれとも他の虫かよく解らない。
多分、小さな蚊なのであろう。
が、バリ人は傷ひとつない、きれいな足をしているのである。
「蚊に刺されないの?」に、誰もが「刺されない」と言う。
「蚊がいても大丈夫?」に、誰もが「tidak apa apa]と言う。
蚊に刺されても免疫ができているので、気づかないのだろうか。
d0083068_9313970.jpgそれとも蚊に刺されないのだろうか。
であれば、バリの蚊は、
バリ人と外人の見分けがつくのだろうか。
理解の及ばない、tidak apa apa である。
写真は、家にある蚊に関する常備薬。
右からミニャカユプティで、蚊に刺された時に
次がアウタンで、蚊に刺されないために
次がチャラディンで、刺されて痒い時に
左がボカシで、
掻いて傷ができた時に塗布する。
こうして並べてみると、あらためて、
オレは日本人、と思うのだ。
by yosaku60 | 2010-01-24 10:01 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

tidak apa apa(その2)

tidak apa apa シリーズ、書くことがいっぱいあって、何から書こうか迷うほどだ。
が、今朝ほどワルンのオヤジから、tidak apa apa の言葉が聞けたので、予定していたことから外れて、まずそのことを書いてみたい。
前にも書いたが、ワルンには放し飼いの鶏がいる。
そのうちの三匹は大蛇に食べられたが、まだ数羽残っている。
残っている鶏の中で、黒一色の雌鳥がいた。
彼女は、同じく黒一色のヒヨコを5羽連れて、そこらへんを歩いていた。
が、今朝はヒヨコ5羽が勝手に歩いているだけで、母親の彼女がいないのだ。
「どこに行ったの、蛇に食べられたの」と、オヤジに聞いたところ、
オヤジが指差したのが、写真の籠なのだ。
籠の中で、片足を上げて静かにしている。
犬に噛まれて、静養中だそうな。
オヤジは、悲しそうな顔をしながら、でも、tidak apa apa という。
これは、どうも諦めの tidak apa apa である。
バリ人が、こうした諦めの感情で tidak apa apa を言うには、それなりの理由がある。
バリヒンズーでは、およそ生物は全て神が創造したもので同一と捉えている。
それほど違わないのである。
生物(植物も同じ)は生きている。
それに足を持って歩けるようになると、動物になる。
さらに喋るようになると、人間になる。
d0083068_974912.jpg単にそれだけの話である。
・・・と捉えている。
で、同類であるから、
むやみに殺生はしないのだ。
鶏も神が創ったし、犬も神が創った。
一方が一方に噛み付いただけなのだ。
だから、どうにもできないのだ。
という思考が底辺にあっての、
tidak apa apa なのだ。
運命論者的思考方法だ。
人間には欲がある。
その欲を納得しつつ制御している。
・・・と評価される、tidak apa apa だ。
by yosaku60 | 2010-01-23 09:31 | バリ島=社会・生活 | Comments(0)

tidak apa apa(その1)

d0083068_10511995.jpg英語では、ネバーマインド。
スペイン語では、アシタマニアーナ。
韓国語では、ケンチャナヨ。
世界の国々で多用される言葉、
「気にしない」
イネ語では、ティダアパアパという。
当然、バリでも多用される。
とても大切な言葉だ。
これがなくっちゃバリで生活できない。
一種の生活術である。
という訳で、ティダアパアパの実例を
シリーズで紹介してゆきたい。
最初は、もっとも大事な tidak apa apa・・・・、
お金がなくとも何とかなる、という、tidak apa apa。
まあ、そうは言いながら、期間があるけどね。
少々の期間なら、知人を頼りながら、なんとかなる。
私の知り合いで、2歳の子を持つ若い夫婦がいる。
亭主が飲んだくれで、もう半年も無収入だ。
が、彼らは生きている。
親類は、文句を言いながら、面倒を見ているようだ。
写真は、浜に集まる体操をするグループ。
土・日曜日になると、こういうグループがいっぱい集まる。
バリ人は、そろいの制服が好きである。
このグループは。黄色のTシャツが制服のようだ。
が、こうしたグループに必ず、制服を着ない人がいる。
忘れてきたの持っていないのか、必ずそうした人がいるのだ。
かといって、仲間はずれになることはない。
多少の落ちこぼれは、誰も気にしない。
言い換えれば、いつも100%を求めないということ。
考えてみれば、大切なことかも知れない。
バリならどこにでも転がっている tidak apa apa である。
by yosaku60 | 2010-01-22 11:18 | バリ島=社会・生活 | Comments(2)

サファリーパーク

バリ景勝地の紹介・・・サファリーパーク
家から車で30分、クルンクンの近くにある。
このお二人のおかげで、入場料がローカル価格(日本人の5分の1)であった。
ありがたい。
d0083068_941135.jpg

看板やパンフレットは、全て英語と日本語の併記。
日本人の観光客がそれほど来るってことだろう。
どの動物も放し飼いのままの状態を間近に見ることができる。
見た動物を思い出すままに書いてみたい。
勿論、この他にもいたが呼び名がわからない。

シマウマ  水牛  サイ  カモシカ  ライオン  カバ  オランウータン  サル類
ダチョウ  ラクダ  ゾウ  フクロウ  ツル  ペリカン  ヒョウ  チーター  
オオアリクイ  ワニ  ガゼル  コモドオオトカゲ  ホワイトタイガー  オーム  
レオパード  マレーガビアル  カンムリ白ムク  ポニー

さて、写真の紹介、
お茶目なインダーさん、オランウータンの手を持って離さない。
d0083068_974251.jpg

なんとこの次の瞬間、象がオレの手を鼻で掴み、口の中に押し込んだのだ。
あわや、食べられるのか、急いで手を引き抜くと、横の男曰く、
「大丈夫、象からのサービス」・・・・だそうな。
d0083068_993648.jpg

このホワイトタイガー、ガラス越しだが、1mも離れていない。
d0083068_919269.jpg

像のショーは、象は人間の敵ではなく味方なんだよ、という寸劇で構成されている。
それぞれの象が自分の役割を心得た演技をするのが面白い。
d0083068_9215660.jpg

by yosaku60 | 2010-01-19 09:38 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(3)

Butterfly park

バリの景勝地の紹介・・・蝶公園。
家から2時間、タバナンにある。
大きなネットの中で蝶を放している。
そのネットの中に入り、いろいろな蝶の飛ぶのを観察する。
中央は金沢大学の大学院博士課程卒業の才媛、インダーさん。
現在、スラバヤの大学で昆虫を研究しながら、学生に教えもしている。
昆虫の中でも特に蝶がお好きだそうな。
で、蝶公園行きは、インダーさんのリクエスト。
そのために妹さんと一緒にバリに遊びに来てくれた。
妹さんはスラバヤ市役所で市の道路設計をしているエンジニアーだ。
姉妹そろっての才媛だが、お高くとまっていないのが嬉しい。
加えて、二人とも美人であることがもっと嬉しい。
d0083068_15221850.jpg

蝶の他に特に目を引いたのが、この昆虫。
インドネシア産だそうな。
近くで見ても葉っぱにしか見えない。
少し枯れた部分まであったりして精巧だ。
d0083068_15403715.jpg

これもすごい。
どこまでが枝で、どこまでが昆虫か、触らないと解らない。
触ると動き出す部分がある。
それが昆虫だ。
d0083068_15431313.jpg

by yosaku60 | 2010-01-18 15:49 | バリ島=地方・景勝地 | Comments(0)

何の祀り事だろう(その3)

スワラトリー・・・だが、
日本語のカタカナ表記すれば、シバラトリーであるかもしれない。
シバ神に関係があるようだからだ。
いずれにしても「自分の行いを反省する日」であるらしい。
イスラム教で言えば、ラマダンに当たるのだろうか。
平素の良くない行いをこの日に反省し、
次の日から新しい自分に生まれ変わる祀り事である、とのこと。
「何故に、夜中までお祈りするの」って聞くと、
夜の方が静かで反省しやすいでしょう、
と、わかるようで解らない説明を受けた。
朝陽が昇ると同時にお祈りも止んだ。
その後早朝の海に行く、とのこと。
マンデーで身体を清め、新しい自分を目指す、
ということだ。
by yosaku60 | 2010-01-17 07:37 | バリ島=慣習・伝統 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
カテゴリ
画像一覧
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月