あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



カテゴリ:帰らなかった日本兵( 220 )


クニンガンのワジャ(残留日本兵)

今朝はクバヤを着た女性が街にあふれております。
お盆の最後、クニンガンです。
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お盆の始めは、工藤栄さん(残留日本兵)のお墓をお詣りしました。
で、お盆の終わりは、ワジャ(残留日本兵)のお墓をお詣りしてきました。
ワジャの日本名は解っておりません。
ただ、その行動については、だいぶわかってきました。
そのうち、書きたいと思っております。
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ワジャのお墓の掃除は、地元プラグのバンジャールにお願いしております。
写真は、そのバンジャールの首長さんの奥さんと、お孫さん。
バリ人のお祈りは敬虔です。
この子たちは、きっとワジャの墓を護り継いでくれるでしょう。
工藤栄さんもそうですが、ワジャもバリ人に護られてお幸せです。
写真の中央の方は、清水さん。
インドネシアにある、残留日本兵のお墓をお詣りし続けています。
ソロでは、95歳の元ペタ(郷土防衛義勇軍)の兵士の面倒を見ておられます。
もちろん、インドネシア人の元兵士です。
が、もう目が見えなくなったそうです。
そんな方に日本人の清水さんが、今も寄り添っています。
一昨日は、マカッサルに行って三五名の日本兵のお墓をお詣りしてきています。
お付き合いさせていただいて、頭がさがります。
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同じく、残留日本兵の曽我さんをお詣りしてきました。
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遺児のマデ・スワルジャさんです。
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清水さん、七六歳、スワルジャさん七五歳、私、七一歳。
いろいろなことが、ありがたくなります。
齢をとるっていいいものですね。

by yosaku60 | 2017-04-15 09:52 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

ガルンガンの工藤栄さん

今日はガルンガン...日本でいえば「お盆」。
バリ人は、先祖のお詣りをします。
70年前、インドネシア独立戦争に貢献し、
この地で死んだ残留日本兵が二十六名います。
その中の一人、工藤栄さん。
タンジュンブノアの地で今もバリ人に大事にされています。
これは、今朝の写真。
チャナン(お供物)が、いっぱいありました。
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写真を撮っている間にもお詣りする人が絶えません。
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ありがとうございます。
同じ日本人として感謝いたします。
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by yosaku60 | 2017-04-05 10:22 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その4; 総括)

Pegayaman の日本軍が造った武器庫....
思った以上に、大掛かりなものであった。
一人二人の日本兵では、これほどのものは造れない。
武器庫を護るため、大木に見張り所も作ったという。
今は、朽ちてしまったが、Wani(ワニ)という木だそうな。
マンゴに似た実をつける大木になるそうだ。
現場付近のWaniの木を写真に収めてみた。
枝がしっかりして登りやすそうな木だ。
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さて、発見した武器保管庫....
村民に助けられたにしてもひとりふたりの日本兵では造れなかった。
結構にまとまった日本兵がいたに違いない。
当時のシンガラジャの地にインドネシア独立の志に燃え...
しかもまとまった兵員数となると、林田部隊しかいない。
隠れて武器を持っていたのも林田部隊だけである。
ということで、林田部隊の残党がここに棲みついた、と結論付けたい。

あとひとつ、証拠づけることがる。
残留日本兵の曽我さんの息子さんのスラジャさん(写真)....
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の語った話と重なるのだ。
スラジャさんは、過去、父の戦死場所を調査に歩いたことがあった。
その調査の過程で、ギギット付近で、日本兵がオランダ兵に殺された....
との情報を得たそうな。
Pegayaman の村を出て、本通りに入ったところがギギットである。
林田部隊の誰かが、オランダ兵に殺されたのだと思う。

それにしても、Pegayaman は、特殊な村であった。
なんとも子供の多い村であった。
バリ島は、どんな小さな村にも「ワルン(売店)」がある。
が、pegayamanでは、ワルンを見なかった。
村人は、何をして生計をたてているのだろうか。
コミン曰く「チンケ(Cengkeh)」が異常に多いという。
気温の低い高地にある木だ。
チンケから、ミニャックが採れる。
昔は安かったが、今は高く売れるという。
どうもそれだけでは、やってゆけないように思うが....

100%イスラムというのも特殊だ。
同行したコミンは、
「私が一緒でなければ、村に入れなかった」という。
バリ人にとっては、薄気味が悪い村のようだ。

こんな特殊な村の存在.....
ブンアリ達は、どうして知ったのだろうか。
それを考えると、またまた現地に行って調べたくなる。
もういい、もういい(笑)。
もうこの辺で調査を終わりにする.....オワリ
by yosaku60 | 2017-01-31 09:52 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その3; 武器格納庫発見)

バリ島の残留日本兵を追っている私....
いつも思うことがある。

バリ人は歴史に興味を持たない。
村落間(隣村と...)の横のつながりが少ない。
村落の中でも村民相互間に情報の共有がない。
当時の文盲率は95%、文字で書き残す習慣もない。

で、調査は、現地に直接出向き....
それを知る人と直接に逢うより....方法がない。

ということで、Pegayaman の調査....
1月24日、午後一時、村に入った。
こんな処だ。
村の歴史に詳しい人を探していると告げると、
小学校の先生のムハジルさんに逢うことを勧めてくれた。
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小学校に行ってみた。
ムハジルさんは、家に帰っているとのことだった。
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若者に案内され、ムハジルさんの家に向かった。
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この人がムハジルさんだ。
会話はバリ語で行われた。
ムハジルさんは、ムスリムのハジという階級。
バリ語も尊敬語を多く使われ、コミン、少々難しいとぼやく(笑)。
そんな会話が交わされる中、次のことが解った。
1、日本人が作った武器庫が山の中に三つと川沿いにひとつある。
2、何人の日本人がいたかは知らない。
3、日本人の名前も伝わっていない。
4、山の武器庫の近くには、高い高い大きな木があった。
5、その木のてっぺんに人が登り近づく者を見張った。
6、その木は、大きすぎて、今は朽ちてしまって、もうない。
7、日本人は、住民に戦い方を教えてくれた。

やった!!
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若者の案内で山に向かった。
村内には、子供が多い。
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道路は迷路のように入りくんでいた。
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村はずれに出たように、思ったが....。
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まだまだ家が続いた。
子供が家の手伝いをしていた。
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昔は、小さい村だったらしい。
が、今は相当の人口があるようだ。
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やっと、村はずれに出た。
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で、記念写真。
左の若者、名前をワヤンハッサンと言う。
名前からして、バリヒンドゥーとムスリムの混在だ。
が、その彼、村民は100%ムスリムと胸をはる。
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山への上り道となった。
この時点で、少々息があがり気味。
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脇道に入った。
本格的に山に入るようだ。
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私は、ワヤンハッサンに続く2番手として山に入った。
が、前を行く、彼を見失った。
足が早すぎる。
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居た、居た!
ハーハー息をつぎながら追いついた。
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山の入り口に、こんな家があった。
これが最後の家、これから上は、家がないとのこと。
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これから上は、写真が少ない。
手があかない。
こんな段差をいくつも昇り降りするからだ。
上がる時は若者が手を引っ張ってくれ、
降りる時は、転げる体を下で受けてくれた。
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おまけに前方も見えない程の藪もある。
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で、最初に出逢ったのが、これ!
コンクリートの塊りだ。
武器庫だったとのこと。
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煉瓦造りだ。
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背後からみると、こんなんだ。
飛行機から爆撃されても壊れそうにないほど堅固だ。
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もう一つは、この藪の下にあるという。
が、足元のおぼつかない私は、崖を降りるのは無理だ。
コマンに行ってもらって、写真を撮ってもらうことにした。
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で、コマンの写してくれた写真がこれ。
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ここも相当に大きい。
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しかも発見されにくい藪の中にある。
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三つ目の武器保管庫に向かった。
そこへの道は、険しかった(で、写真がない)。
ちょっと、広い場所に出た。
で、出会った第3の武器保管庫がこれ!
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卵型の天井....日本軍のものそのものだ。
奥で右に続いた穴があるとのこと。
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それがあちら側の入り口に繋がっているとのこと。
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そう、左側にかすかに通路が見える。
これも日本軍の造りだ。
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最後に記念撮影....
横の若者、最初から最後まで私の手を引いてくれた。
名前も聞かず、名前を呼んでやることもしなかった(申し訳ない)。 
でも、ありがとう。
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pegayaman 調査の総括は、明日のブログ....
by yosaku60 | 2017-01-30 08:58 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その2; イスラム教徒.....)

残留日本兵の中で、「ブン」がつく名前を名乗っているのは4名いる。
ブンアリ、ブンマデ、ブンチャング、ブンスラマットである。
ブンとは、イスラム教徒が使う呼び名である。

ブンスラマットは、マルカデ海軍大尉と共にジャワ島から来た日本兵である。
ジャワ島は、ほとんどがイスラム教徒である。
で、ブンスラマットの名乗った理由は理解できる。

が、残りの、ブンアリ、ブンマデ、ブンチャングは、バリ島に居た。
バリ島住民は、ほとんどがバリヒンドゥーで、イスラム教徒は少ない。
が、この3人は、イスラム教徒名を名乗っている。
何故なのか。

ブンアリであるが、林田隊の隊員だったことは、ほぼ解っている。
同じく、ブンマデだが、ワナサリで、ブンアリと共に戦死している。
彼は、最初から最後までブンアリと共に行動した。
で、同じく、林田隊の隊員で二人は戦友だったと思える。

ブンチャングは、途中から別の行動をとっている。
が、ングラライ軍にあって、特別小隊をひきいるほどの人物であった。
その経歴から、やはり林田隊の隊員だったと想像できる。

他に、バリ名はついていないが、気になる日本兵が4名いる。
原田、渡辺、田中軍曹、シンタロー伍長である。

この内の原田、渡辺は、1946年4月6日の「リンディキットの戦い」....
に、ブンアリと共に参戦している。
この二人も林田隊員なのだろう。

田中軍曹であるが、それから2日後の1946年4月8日、
パンクンバンカで、ひとりで8名のオランダ軍兵士を殺している。
時、場所の双方を考えると、彼も林田隊員なのだろう。

シンタロー伍長であるが、1946年6月19日、
パンクンバンカで、オランダ軍のトラックを襲い粉砕している。
場所から、想定して彼も林田隊員だったのではなかろうか。

ということは、名前が残っているだけで、
6名の林田隊員がいることになる。
一個分隊に近い兵員数だ。
死を覚悟した兵隊が、これだけおれば何でもできる。

で、かれらの潜伏地だが、
戦闘をおこした、パンクンバンカ付近だったのではなかろうか。
その潜伏地が、イスラム教徒の村であれば、なおさらに有力だ。

パンクンバンカというのは、古い地名で今は使われていない。
が、土地の者に聞くと、ギギットからワナギリの間という。
で、その間の村を調べてみる。
ギギットに近いところに、Pegayaman がある。

私の家のお手伝いさんのカデの実家は、
この近くのpegadungan 村である。
一キロ離れた隣の村がPegayamanである。

で、カデに聞いてみた。
pegayamanて、どういうところ?
....と、「イスラム教徒の村です」
「怖くて近寄らないので知りません」

一キロしか離れていないのに、知らないとは...んん!!
これなら、スパイの目からも逃れることができる。

当時は、独立派、独立阻止派の二つに分かれて、
バリ島中にマタマタ(スパイ)が暗躍していた。
で、秘密裏に潜伏するのは、大変だった。

ここだ!
林田隊員が数名まとまって、潜伏した地だ!
その地に、大量の武器を隠したに違いない。
ということで、Pegayaman の調査、即ち、

何人もの日本人が潜伏していたこと....
大量の武器を隠れ持っていたこと....

の痕跡があるかどうか、調べに行ったのです。
by yosaku60 | 2017-01-29 11:48 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

Pegayaman 現地調査報告(その1; 調査理由)

1月24日のPegayaman の調査....
思った通りのものが発見できた。
成功であった。

その報告だが、余りにも嬉しいので、勿体ぶりたい(笑)。
何回かに分けて報告したい。

で、今日のブログは、
何故に、この調査を重視したかの理由である。


私は、バリ島の残留日本兵を追跡調査している。
当然に、バリ島での独立戦争をも調査することになる。
同じく、ングラライ軍のゲリラ活動をも調査することになる。

ゲリラ活動には、1=人 2=お金 3=武器が必要である。
人は余るほど集まった。
お金は、日本軍から盗んだものがあり十分だった。
問題は、武器の確保であった。

ングラライは、ジャワ島から武器を持ち込もうとした。
が、武器を積んだ船のほとんどがオランダ軍によって海に沈められた。

武器をバリ人に渡すなという命令が出ていたにもかかわらず、
その命令をかいくぐって、バリ人に秘密裏に武器を流す日本兵がいた。
が、組織だっての譲渡ではなかったため、少量であった。

ングラライ軍の悩みは、武器不足だったのだ。

そんな中で、武器弾薬を確保していたのが、ブレレン隊だった。
ブレレン隊は、何故にそれほどの武器弾薬を持っていたのか。
そこで思いつくのがスンバワ島から来た林田隊である。

1946年1月2日、シンガラジャの兵舎より林田隊の数名が脱走した。
兵舎を護る福江中隊の兵士数名を射殺して、武器を奪い脱走したのだ。

なんと!
日本軍兵士が日本軍兵士を殺したのだ。
しかも、機関銃を乱射したとのこと、無差別殺人じゃないか!

写真は、その事件の現場....
今は、インドネシア軍の兵舎になっている。
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カミさんと一緒にいるのは、稲川義郎さん。
この写真の左側に建物がある。
事件のあった当日、稲川さんは、その建物の中で就寝していた。
機関銃の音で稲川さんは、飛び起きた! などなど...
稲川さんから、当時の生々しい話を直接聞いている。
が、痛ましい話、ここでは、余り多く語りたくない。

いずれにしても、
その時奪った武器がブレレンのどこかに隠されのだ。
それが、pengayaman の地であったように思ったのだ。

それを確かめるのが、pengayaman の調査だった。
なぜに、pengayaman と思ったのか....
明日は、それを書きたい。
by yosaku60 | 2017-01-28 11:28 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

残留日本兵、最後の調査にしたい

70年前のインドネシア独立戦争....
でのバリ島での戦い....
に加担した、残留日本兵の調査をして...
もうかれこれ、5年になる。

で、どうしても気になるのが、
日本兵・梶原(バリ名;ブンアリ)の潜伏地......
いろいろな情報から、ブドゥグルのpegayaman(下図の中央)...
だったのではなかろうかと、睨んでいる。
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昨年の11月に、pegayamanを訪れている。
が、言葉の壁があって、調査失敗に終わった。
バリの小さな村に入るには、助っ人がいる。
シンガラジャ方面の助っ人は、コマン、コミン夫婦(写真)だ。
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が、二人は忙しい。
助っ人を頼めるような状況にない。

.....と、思っていた。

が、昨日、バリのカレンダーを何気なく見ていると...
今月の25日が、pagorosi となっているじゃないか。
Pagorosi は、ガルンガンに似た儀式。
特にシンガラジャは、ガルンガンよりも大きな儀式と扱われている。
シンガラジャ方面出身者は、絶対に故郷に帰らねばならない。

この機会を逃すな、てんで....

コマン・コミンに確かめると、やはり、二人とも故郷に帰るという。
で、前日の24日に同行(我々夫婦もシンガラジャ一泊)して、
pegayaman の調査を手伝ってもらう交渉成立。

残留日本兵の調査だが、70年の年月は大きい。
いつまで続けても、これ以上は出てこない。
成果があってもなくても...
24日の調査を最後にしたい、と思っている。
by yosaku60 | 2017-01-20 10:03 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

悲しく思うのは、私だけだろうか?

プナルンガンにある、ワヤンスクラとマデスクリの慰霊塔を見て来た。

ワヤンスクラ; 日本名、松井久年(福岡県)
マデスクリ;  日本名、荒木武友(長崎県)

二人は、残留日本兵である。
バリ人と共に、インドネシア独立戦争を戦った。
当然に死を覚悟しての参戦であった。
二人は、戦死したら、バリ人として葬って欲しいと....
村人に願い出ていた。

二人は、勇敢に戦った。
デンパサールのオランダ軍攻撃のあと、
松井と荒木がいる限り、バリ軍は負けない...
と神がかった噂が流れるほどであった。

1946年11月20日...
二人は、マルガラナで玉砕、戦死した。
村民は二人を神と崇め、このような慰霊塔を建立した。
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さて、こんな経緯の慰霊塔であるが、
中に入ってびっくりした。
何度も慰霊塔の中を見ているが、今回は異様であった。

荒木の写真の前が、日本式というか、仏式に飾られているのだ。
日本式なら、なんということはない。
が、仏式の法名が、飾られているのだ。
昨年までは、こんなのはなかった。
飾られて、まだ新しい。
なぜ、今になって、こんなのが置かれたのだろうか。
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法名は、仏の道に入ったことを意味する。
仏教とバリヒンドゥーは別の宗教である。
荒木は、今、バリヒンドゥ様式で神と崇められている。
そんな荒木に法名を与え、
「神」から「仏」に引きずり戻していいのだろうか。

荒木を想っての悲しみだけではない。
バリ人を想っても、悲しくなった。

バリ人は、慰霊塔を建て、二人を大事にしてくれている。
そんなバリ人への感謝を考えると申し訳なく思うのだ。

二人は、バリ人に任せるだけの方が良い。
日本人は、ここまでしてくれるバリ人に感謝すべきだ。
前に出ないで後方で、そーと祈れば良いのだ。
日本人がしゃしゃり出てはいけないと思うのだ。

松井、荒木の両氏もそう思っているのではなかろうか。
そんな風に思うオレ、間違っているだろうか???

(註) 

インドネシアには、パンチャシーラ(国是)がある。
それには、全国民が宗教を持つことを義務付けている。
無神論を唱えるものは、それだけで罪になる。
また、許されている宗教は、
イスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教...
の5つのみである(最近はそれに儒教が加わり6っつになった)。
それ以外の宗教は禁じられている。

インドネシアは、それほどの宗教国家なのだ。

パンチャシーラには、唱えられていないが、
一家で二つの宗教を持つことを常識として、半ば禁じている。
ひとりが「神」と「仏」の両方を信ずることのできる日本...
を、インドネシア人は、理解しがたいのである。
by yosaku60 | 2016-11-24 19:48 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

スラジャさんの家の神棚が完成する

インドネシア独立戦争をバリ人と共に戦った残留日本兵・・・・
その中の一人である、曽我さん・・・・・
の遺児である、マデ.スラジャさんの家の神棚が完成した。
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神棚は亡き父を祀るためスラジャさん(左から二人目)が作製。
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が、日本風の奉り方が分からず、空のまま放置されていた。
その神棚を作法どおりにお飾りしてくれたのが、自らが神道の清水さん。
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全ての神事が終わった。
スラジャさんがほっとした安堵の顔を見せる。

現在、73歳のスラジャさん。
幼かったため父を覚えていない。
が、この神事を通じ、「日本人の父」を感じたのではなかろうか。
そして.....
自分にも日本人の血が流れていることを感じ取ったのではなかろうか。

残念ながら、亡き父が日本の何処の誰かということはわかっていない。
スラジャさんにとっては、日本人として失われた70余年だった。
せめて、私だけでも・・・
バリにいる間は、同じ日本人として深い友人でありたい。
by yosaku60 | 2016-11-21 08:13 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)

残留日本兵の調査、先人のお二人バリに来る(その2)

一日遅れて、清水教博さんがバリに来られた。
現在75歳になられる人生の先輩....
同時に、インドネシア全体の残留日本兵にお詳しい、先人。

稲川さん、清水さんから、いろいろ学ばせてもらえる。
ここしばらく嬉しい日々が続くことになる。
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by yosaku60 | 2016-11-19 08:38 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
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