あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



カテゴリ:未分類( 1 )


バリ島で自費出版(その3;まえがき)

自費出版「尊崇」の売り(笑)は、全て現地調査して書いてるところです。

で、現地調査の際の写真を、そのページごとに挿入しております。

d0083068_10075718.jpg

んで、まえがき...


まだ生存者がおられる。

今、書かないと書けなくなる。

そういう思いで、急ぎペンを走らせている。

インドネシアのバリ島の話である。

四国の三分の一にも満たない小さな島だ。

大東亜戦争中は、日本の統治下にあった。

七十年前の一九四五年八月、敗戦により日本の統治が終わった。

が、戦争が終わったにも関わらず死者が出ている。

この小さな島で戦後に四十三名もの日本人が死んでいる。

戦争中の話ではない。 

戦争が終わった後で命を落とした日本人だ。

戦争が終わった後に死亡した例としてシベリア抑留日本兵がある。

三万人の抑留日本兵がシベリアの地で死亡している。

原因は、極寒の地が故と、ひもじさの故であった。

が、バリ島はシベリアとは、違う。

南国の島である。

着るものがなくとも凍え死ぬことはない。

太陽がさんさんと輝き、雨も降り、水も豊富にある。

島の至る所にある木の実は、ほとんどが食べることができる。

野生の芋が至る所に自生する。

生き延びるだけなら、なんとでもなる。

まさに豊穣の島である。

が、戦後に四十三名もの日本人が命を落としている。

命を落とした理由は、いろいろある。

バリ人に殺された者、日本人に殺された者、オランダ人に殺された者などだ。

それらは、それぞれに悲惨である。 

だが、死の理由のどこかしこに日本人魂がほと走っている。

私は、そのことを書きたい。

埋もれたままにしておけない気持ちにかられる。

現在私は、七十一歳、バリ島に住んで十年になる。

日本人四十三名の死を確かめにバリ島の隅々まで歩いた。

言葉の壁があって、遅々として進まぬ調査であった。

が、ようやくまとめあげるほどに頭が整理された。

私は、物書きが専門ではない。

頭の中から引きだして語りかけるような書き方しかできない。

でも我慢して、まあ、聞いて欲しい。

死亡は戦争後、と書いた。

言っておくが、太平洋戦争のことではない。

大東亜戦争のことである。

太平洋戦争というのは、アメリカが言い出したもの。

インドネシアに住んでいる私にとっては、大東亜戦争と語ることがしっくりする。

しっくりする言い方にこだわらせて欲しい。

この大東亜戦争の戦争原因

みなさんは、どうお思いですか。

手前味噌的に考えるのなら、どうにでもに書ける。

大事なのは、相手がどう思っているかである。

それが良くわかる例として、バンドン会議を挙げたい。

第一回アジア・アフリカ会議(AA会議)のことだ。

バンドンで開催されたので、バンドン会議と呼ばれた。

バンドンは、インドネシアのジャワ島にある古い都市だ。

今は学園都市となって栄えている。

バンドン会議が開かれたのは、戦後十年の一九五五年四月である。

その頃の世界を見てみよう。

アジアには独立する国が増えてきていたが、

西欧の帝国主義的考えが一掃された訳ではなかった。

アメリカとソ連の冷戦状態が続いていた。

その隙を抜って、フランスによるインドシナ戦争があった。

そういう世界情勢にあった。

そうした中で危機意識を感じていた国々があった。

かっての欧米の植民地だ。

欧米から搾取され続けた、アジア、アフリカの諸国だ。

時計の針を逆に戻させてはならないと危機感をもっていた。

そのことを世界に発信しなければならないと思った。

で、その必要性をコロンボ会議に集まった五カ国で話し合った。

インド、インドネシア、セイロン、パキスタン、ビルマだ。

意見をリードしたのは、インドネシアだった。

そのインドネシアのリードによりバンドン会議が開かれた。

最終的には次の二十九カ国の集まる大きな会議となった。

アフガニスタン、イエメン王国、イラク、イラン、インド、インドネシア、英領ゴールドコースト、エジプト、エチオピア、カンボジア、サウジアラビア、シリア、スーダン、セイロン、タイ王国、中国、トルコ、日本、ネパール、パキスタン、ビルマ、ベトナム民主共和国、フイリッピン、ベトナム国、ヨルダン、ラオス、リビア、リベリア、レバノン、の二十九ヶ国だ。

何世紀も続いた世界の帝国主義

そして、植民地主義の終焉を宣言したのだ。

白人に対する有色人種の正当で堂々たる叫びだった。

ここで見て欲しい。

この二十九ヶ国の中に日本が入っているのだ。

会議を主導したのは、インドネシアだった。

インドネシアは何故に日本を仲間として招待したのか。

自国に日本軍が来て戦場と化し凄惨をなめている。

日本人はすぐに「バカヤロ」と怒った。

「ロウムシャ」に駆り立てられ、何人も死んだ。

それでも日本を仲間として招待したのだ。

インドネシアは日本に本音と建前があることを知っていた。

建て前は大東亜の国々の独立だ。

が、本音は石油欲しさの侵略だった。

それが解った上で、日本を招待したのだ。

本音はどうであっても良い。

結果として日本の画策した建て前どおりになった。

日本のおかげで独立できたと評価したのだ。

インドネシアが思うだけでは、そうはならなかった。

他のアジア、アフリカ諸国も同じように思ったのだ。

戦後十年してバンドン会議が開かれた。

帝国主義の終焉を宣言する会議であった。

日本もその会議の一員として招かれた。

勝手に参加したのではない。

同じ仲間として招待された。

この意義をもって、私は大東亜戦争を総括している。

話が多いにそれている。

本書の目的は

終戦後にバリ島で命を落とした日本人を書くことにある。

時々、目的を確認しないと、話が逸れ続ける。

年寄りの悪い癖だ。

さて、終戦後バリ島で命を落とした四十六名。

ここで、その内訳を確認しておきたい。

マルガラナ英雄墓地に祀られているのは、次の十四名だ。

ブンアリ、高木米治、松井久年、荒木武友、ブンスラマット、ブンチャングー、グデ、クトット、美馬芳夫、ブンマデ、ワジャ、工藤栄、曽我、大舘、

次は、ジェンブラナの地でバリ人に殺された十名だ。

前田久一、後藤和、永井精作、迫貞雄、川畑松義、窪田昌平、宮永清、村野穣、前田英司、池田初雄

次は悲惨である。

シンガラジャの地で日本人に殺された七名だ。

軽部一郎、他六名(名前不詳)

その他に戦死したことが解っているのが次の十二名だ。

長野兵曹、原田、渡辺、田中軍曹、シンタロー伍長、大久保宗臣、満留四齢、福士由蔵、竹崎清、白石勉、中野、島村中尉、

これらを合わせると、四十三名になる。

本書の目的は、これら四十三名の全員について語ることにある。

彼らとバリ人の関わり合いを語りたい。

戦時中、日本人はバリ人にいっぱい迷惑をかけた。

遺恨に思われてもしようがないほどの迷惑だ。

が。彼らのお蔭でその遺恨が随分と緩和されている。

私は今その恩恵を受けてバリ島に住んでいる。

私にとっては、まさに尊崇な存在である。


by yosaku60 | 2017-08-15 09:39 | Comments(0)


常時ほろ酔い候
カテゴリ
画像一覧
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月