長女夫婦と富山新港の初代の海王丸が係留している
「海王丸パーク」に行って来た。
海王丸そして日本丸は、日本が所有する世界有数の
本格的な大型帆船で「4本柱バーク型帆船」と言う。
オレは日本丸に6ヶ月の乗船経験がある。 その証拠
写真が右。 ハワイの「ヒロ市」着岸中の日本丸と若か
りし頃のオレである。
海王丸と日本丸は姉妹船なので、大きさ構造、全く同じ。
遠目にわかるように、船尾のラダーケーシングの塗装
を変えているだけ。 日本丸は白色、海王丸は橙色で
ある。 が、これは昔の話、今の日本丸・海王丸は二代
目であり、どういう塗装がなされているか知らない。
さて、長女一家と私達は一人400円(高いよ)払って、
海王丸の船内を見学した。 中に入ると一気に昔を思い
出した。
東京オリンピックのバレーの決勝戦の日がハワイに向けての東京出港日であった。
東京湾を南下しながら、東洋の魔女が優勝する瞬間を映像の途切れるテレビにかじりつきながら、座っていた椅子も見つけた。
学生室に入ると懐かしさが更に鮮明になった。
6畳ほどの細長い部屋である。 そこに8人分(上下4人づつ)のベッドがあった。
オレの寝ていた場所のベッドを見つけた。
そうだ、ここで、みんなに見つからないようにカーテンを引いて、腹ばいになり、鉛筆をなめなめ、ハワイで知り合った娘さんにラブレターを書いたことがあったっけ。
でも、そんな思い出は、カミサンには勿論言わない。
「狭いだろう、ここで寝てたんだよ」と教えただけ・・。
上甲板を歩いた。 船尾甲板にはこれも懐かしい大きな
舵輪がある。左の写真の後姿、正真正銘の当時のオレ。
このように、帆が風をはらんでいる状態と目の前のコン
パスとの両方を確認しながら、重い舵輪を廻していた。
その同じ場所に長女の旦那と孫を立たせて撮ったのが
右の写真。 40年以上も経て、同じ場所に孫がいること
の不思議。 何かしら幸せでもあるが、そんなことは恥
ずかしいので娘達には言わない。
「いいか、見たら行くよ。 メシだメシ」と、お茶を濁した。
で、昼食は娘婿とビールを煽る。
一緒に飲んでくれる人がいることもありがたい!