あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



バリ島で自費出版(その5;あとがき)

自費出版「尊崇」のもうひとつの売り(笑)は、

ところどころに手書きの地図を載せていることです。

バリ島の地図を手元におき、本書を読むと、

それが何処の話かということがすぐに解るようになっています。

本書を読み終わるころは、バリ島の隅々がわかるように....

であったらいいな(笑)と思っております。

バリ島で自費出版(その5;あとがき)_d0083068_11101087.jpg

んで、あとがき....


私はプロの物書きではない。

「まえがき」「あとがき」の本当の意味を知らない。

で、勝手に決めつけている。

「まえがき」は、書き始めるにあたっての「心づもり」であろう。

そういうつもりで「まえがき」を書き、続いて本文を書き始めた。

で、「あとがき」であるが、

書き終わった後の「心の締めくくり」であろうと思っている。

そういうつもりで「あとがき」を書きたい。

私は書き始める前から、

何に重きをおいて、何を書こうと決めていた訳ではない。

が、書き終わって、何を書いて来たかは、はっきりしている。

書き始める前の漠然とした気持ちではなく、

書き終わったのだから、ファクト(事実)として、

数量的に計算、分析できるのだから、当然である。

私は、何を書いてきたか。

結果として、次の三つを書いて来た。

一、バリ人・バリ兵

一、日本人・日本兵

一、これら二つのコラボレーション

あくまでも私流と断って上で、

これら三つをあらためて、あからさまにしたい。

まずは、簡単なものから、書く。

三番目の「二つのコラボレーション」である。

この結論は、三八八頁に既に述べてきた。

曰く、

ングラライは思った。


日本兵との思い出は、過去は「憎しみ」だった。

が、今は「感謝」に変わっている。


当時のングラライの心を忖度すると、これ以外の言葉が見つからない。

ただ、注釈が入る。

広く日本人にではなく、一緒に戦ってくれた日本兵に、

対してのングラライの想いである。

が、そうであっても構わない。

残留日本兵のおかげで、

ングラライが日本人の違う一面を知ることになった。

私は、その恩恵を受けて、

現在バリ島でバリ人に護られ暮らしている。

私が残留日本兵を尊崇して当然だ。


二つ目の「日本人・日本兵」に移りたい。

これについては、言いたいことがいっぱいある。

戦後教育、マスコミに対してだ。

事実を公表せず、隠していることが多すぎる。

大東亜戦争を終わる際の「玉音放送」だが、余りにも一方的過ぎる。

世間に流されるのは、

いつも「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」だけである。

そこは終わりの方のほんの一部だ。

その前段に大事なところがいっぱいあるのに、全く語られない。

天皇陛下は、玉音放送の中で英米の国際法違反を訴えている。

米英と戦うことは本意ではないと前置きし、

米英が意図的に経済断行をしてきたための自存と自衛の戦争であること、

目的は東アジアの永遠の平和を確立するため、と訴え、

戦争を止める理由の一つに、

「残虐な爆弾(原子爆弾)」の存在を訴えている。

前者の「自衛戦争」は、国際法上認められた権利である。

また後者の民間人の無差別殺戮は国際法上禁止されている。

この二つの交際法違反を戦勝国の米英が黙殺するのは解る。

が、日本人がそれを言わなくなっている。

日本人に正義はなくなったのだろうか。

まだ、全く語ってこなかったことがある。

戦争を終わる「玉音放送」があれば、

戦争開始の「開戦の詔書」がある。

実は、私も「開戦の詔書」の存在を知らなかった。

私がそれを知ったのは、

ルバング島で戦い続けた小野田少尉の言葉である。

小野田少尉は、日本に帰還し、

何故に日本人は「開戦の詔書」をないがしろにするのかと憤慨した。 

小野田少尉は、その言葉を諳んじていた。

彼は、その場で「開戦の詔書」を一句一言間違わずに言った。 

それがルバング島で三十年間戦い続けた理由なので当然であったろう。

その小野田少尉のその時のことが昔も今も全く報じられていない。 

また、小野田少尉がそらんじた、

「開戦の詔書」の存在すら全く報じられていない。

なので代わりに、ここで書こう。

「開戦の詔書」と「玉音放送」は一対のものである。

どちらも、東アジアの平和を訴えている。

ここまで、書くと、あれは「本音と建て前があって」という人がいる。

私も本書で、そう書いているところがある。

それはそれで、いろいろあって由としよう。

が、絶対に由とできない対象が居る。

東アジアの平和を願って、命を落とした残留日本兵にである。

彼らの一人ひとりが、

天皇のお言葉があったが故の行動をとったかどうか、私は解らない。

が、解ることがある。

欧米諸国にいじめられるアジア人としての憤慨だ。

「開戦の詔書」と「玉音放送」を聞くに、

天皇も多分そう思われたものと想像する。

戦地で戦う兵士も同じ思いであった。

前線の兵士は、東アジアの現地人と戦ったのではない。

植民地を支配する欧米人と戦ったのだ。

欧米人にいじめられるアジア人として反発したのだ。

日本人の反発もインドネシアの独立も同一線上のものだったろう。

インドネシアの独立のために命を捨てた残留日本兵の行為は、

彼らが日本人として国体を背負っている気構えがあったからこそ、

できた行為である。

ちっぽけな理屈で彼らを評するのは不遜である。

尊崇の心で敬うのみである。


さて、最後の「バリ人・バリ兵」である。

これに関して、私が理解に苦しんだところがある。

バリ島の独立戦争を調べてゆくと、

バリ人とオランダ人の戦いだけではなく、

バリ人と「山のオランダ人(親蘭派バリ人)」との戦いの呈もある。

言ってみれば、バリ人同士の戦いなのだ。

少ない量ではない。

本文を読んでいただいたら解るが、

マタマタ(スパイ)が横行する複雑な人間模様があった。

独立戦争を戦ったメラプティ派の兵士にとっては、

バリ人の八割が敵方だったと評する人もいるほどだ。

さて、それから、七十年過ぎた。

私は、歴史を調べ始めた。

昔ではない、ほんの最近の歴史である。

なのに、バリ人同士が争った痕跡が何も見つからない。

バリ人は、昔をみんな忘れてしまっている。

というか、昔をみな許し合っている。

インドネシアは、オランダに三百五十年の永きに亘って蹂躙された。

そのオランダと五年間にわたって独立戦争をした。

独立戦争を終わるに際し、

オランダがインドネシアに債務負担を請求した。

国を荒らされたインドネシアが請求したのではない、

荒らした方のオランダがインドネシアに請求したのだ。 

「独立を認めよう、が、手切れ金を払え」

と言わんばかりの厚かましさである。

が結局、インドネシアは、債務負担(少し値切るが)を受け入れる。

まだある。

そんなことまでしておきながら、

オランダはインドネシアを真からは認めなかった。

オランダがインドネシアの独立を本当に認めたのは、二〇〇五年である。

インドネシア建国六十周年を記念して認めたのだ。

何を認めたかというと、

一九四五年八月十七日のスカルノの

「インドネシア独立宣言」を有効と認めたのです。

さて、こういうことは歴史を勉強すれば解ること。

私が言いたいのは、別のことです。

前置きが長くなりました。

最初に書いた、私が理解に苦しんだことです。

バリ人はオランダにここまでされても、彼らを憎むことはないのです。

七十年前のバリ人同士の殺し合いも忘れるし、

三百五十年にわたって、苦しめられ、お金までとられ、

その後も六十年間、

国際常識を無視してきたオランダを恨むこともしないのです。

なんと、あっけらかんとしているのでしょう。

その、「あっけらかん」は、どこから来るのでしょう。

私は、バリ人が信仰するバリヒンドゥー教にあると思うのです。

バリヒンドゥー教は、

インドネシアの憲法ともいえるパンチャシーラに合わせ、

一応「神はひとつ」としているが、本来は「多神教」です。

日本の神道と似ている。

木の神がいて、水の神がいて、悪魔の神までいる。

では、そんな沢山いる神に何を祈るかというと、

神に自分のことを祈ることはない。

何を祈るのですか、とバリ人に聞いても満足な答えが返ってこない。

愚問のようである。

どうも「神様、元気でいてくださいよ」とか、

「悪魔の神様暴れないでね」とか祈っているように思える。

多神教と違い一神教は「絶対の神」である。

そこには例外がない。

多神教はその逆になる。

「絶対」というものがなく例外も多い。

バリ人と付き合いだすと、特に感ずることである。

バリ人の間には、「絶対」と思うものがない。

だから許せる範囲が多くなる。

本誌から例を拾ってみる。

本文の156頁を見て頂きたい。

残留日本兵の工藤栄氏の慰霊塔を建て直すことになった。

バリヒンドゥーのお坊様に来てもらって祀りごとの全てを終えた。

お坊さんといっても、その所作は日本の神主さんと同じだった。

その神主さん(お坊さん)が言う。

「終わりましたから....」

「このあとはどんな宗教で祈っていただいても結構ですよ」

これが、バリヒンドゥーの垣根の無さである。

他の宗教をおしのけたりしない。

宗教だけではない。

バリ人の社会生活の中でも許し合うことが多い。

「済んだことは済んだこと」

「その時はその時」

「何かの事情があってそうなったのでしょう」

「いいじゃないですか」

バリ人は、こういう言葉を良く使う。

本書は70年前の歴史を書いている。

バリ人と話していると、

余りにも歴史に興味を持たないことに驚くことが多い。

が、正確に言えば、興味を持たないのではない。

歴史に執着しないのだ。

同様に恨むことにも執着しない。

ヒンドゥ―教一筋に千年の結果なのだろう。

バリ島に住んで十年、それが少し解ってきた。

ングラライが、いつも兵士に語っていた。

「オランダ側につく住民を恨んではいけません」

「彼らには、彼らの事情があるのです」

「その家には、その家の事情があるのです」

「その村には、その村の事情があるのです」

このングラライの言葉を

「バリ人・バリ兵」のまとめとし、

「あとがき」の締めくくりとする。


by yosaku60 | 2017-08-16 11:05 | 帰らなかった日本兵 | Comments(0)
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