Face Bookに バリ島の歴史....
ってことで、マルガラナの戦いの跡の写真が載っていた。
バリ島の独立戦争を調べている、私にとっては、衝撃の写真だ。
だが、よく見ると、なんだかしっくりしない。
もしかしたら、映画あたりで撮られたシーンではなかろうか。
と思ってきたのだ。
マルガラナの戦闘で語り継がれていることを抜粋してみる。
①、戦闘は、1946年11月20日の朝から夕方まで続けられた。
②、死体の収容は、バリ側もオランダ側も翌日行われた。
③、ングラライ軍の戦死者は96名であった。
④、戦死理由の多くは、飛行機による機銃掃射であった。
④、オランダ側の戦死者は、おおよそ300名であった。
⑤、ングラライ軍の96名の内、56名は、殆ど急ごしらえの民兵であった。
その56名は、全員がマルガから7キロ以内の近隣の民である。
(3キロ以内と絞っても41名いる)
すなわち、兵士の多くが「近所の若者」だったのだ。
⑥、ングラライ軍の残りの兵の死体の多くは、検死のため他の場所に移動された。
⑦、その場所は、12キロ先のムグイの「日本人集結所」であった。
こういう状況の中で撮られたのが、この写真だとすると.....
次のような疑問があるのだ。
①、竹槍を持つのは、わざとらしい。
②、戦って死んでいるのに死体がきれいすぎる。
③、埋葬光景が史実と一致しない(例えば、場所、それに雰囲気)
いずれにしても、戦死者(その骨)は、その後、タバナン英雄墓地に移されている。
タバナン英雄墓地にいる埋葬者で、マルガラナで戦って戦死したバリ兵を数えてみた。
と、全部で(日本人を含まない)62体あった。
タバナン出身の民兵がほとんど入っていることになる。
(ングラライやウィスヌやスギアニャールは、タバナン英雄墓地には入っていない)
タバナン出身の民兵....
写真は、まさにそんな感じであるが、
戦死した次の日のこと、
近所なのだから、家族が受け取りに来るのではなかろうか。
写真には、そういう雰囲気が感ぜられない。
私にとっては、貴重な写真だが....
この写真、ほんものかどうか、疑わしく思っている。