隊長は、生き残った負傷者の手当てを託して、
この惨劇をインドネシアの代表者に検証させるため、
城戸部隊に軟禁中のオンソネゴロ省知事、
スカルジョ・プルサ病院長の両名を現場に連行して
各監房内の惨状を目撃させた。
正面から入って右側、
三番目の監房内の壁に書かれた
「インドネシアの独立を祈る、万歳」
血書の前で、
青木がオンソネゴロにこの文意を
インドネシア語で伝えると、
彼は顔面蒼白になり
「バハギャ キク ビナタン(我が民族は動物なり)」
と繰り返した。
以上が救出隊の分隊長であった、
青木氏の手記である。
........
あとひとつ手記があるので、これも語り継ぎたい。
松音友治氏(中部陸輸局員)が語る,
寺垣俊雄司政長官のその後である。
(松音友治氏手記)
私は、閣下の安否を尋ね大声で
「寺垣閣下、寺垣閣下」と叫び続けた処、
折よく憲兵隊長が来られて
「閣下は重傷だ、すぐ行け、そこの布団の上に寝ておられる」
と言うので駆けつけますと、
何とお気の毒に全身血まみれて既に顔面の血色もない、
「閣下、松音です。傷は浅い。大丈夫です」
「ウン、有り難う。俺は腹を遣られているから多分駄目だ。」
「手足はもう痺れている。皆に申し訳ない。」
「自分としてはできるだけのことはしたつもりだが、今となっては何にもならない。」
「みなによろしく伝えてくれ。」
「それにしてもお前が助かったことはせめてもの幸せだ。」
「俺のいた室の壁に遺書を書いてあるから後で見てくれ」
ただ涙のみで物は言わず、
すぐに病院へと思いましたが、戦闘中で如何ともできず、
幸いオランダ人医者が来て、カンフル注射三本をうちました。
閣下の傷は下腹部、臍の下を自動小銃で貫通していました。
閣下が言っておられた遺書のことが気になり、
他の同僚に閣下をお願いし、室に参りますと、
その中で二十数名折り重なって憤死し、
その惨状はとても言葉や筆は表現できるものではありません。