毎朝の点検後の体操をした後に駆け足もした。
一キロから二キロ、二キロから四キロと距離を伸ばした。
初めは、生徒どうしや教官に抱えられ、引張られて帰って来る者がいた。
が、一か月後には、全員元気で余裕を持って走れるようになった。
こうした火を吹くような訓練は、
適切で十分な給食と相まって、発育盛りの彼らの体位を急速に上昇させた。
四週間後には、全員の体重が増えた。
一方、精神面だが、独立精神を鍛えること終始した。
柳川は、彼らを次のように叱咤した。
独立は自らの力で取るものである。
与えられるものではない。
与えられたものは、すぐに奪われる。
自らの力が備われば、独立は自然にできる。
自らの力が備わるまで黙って勉強せよ。
黙々と自力を養うことだ。
そのためには、私たちは全霊全魂を捧げる。
私たちに負けるな。
私たちに負けるような力では独立はできない。
独立は諸君が私たちに如何にして勝つかにある。
一日も早く我々に優る能力を作るために全精力を体力、気力の養成に打ち込め。
柳川は、そう言って徹底的に精神力を鍛えた。
青年たちは、学科は熱心に聞いていた。
青年はたちは狭いジャワ観から一遍に世界観にまで視野を広げた。
柳川が書いている。
学科の勉強から受けた彼らの開眼は、目を見張るものがあった。
私が中野学校で受けたものの数十倍にもましての驚きであった。
当時の青年道場の合言葉は、
「死ぬまでやる(サンペ・マティ)」であった。
この合言葉が、端的に当時の教育の熾烈な状況を表している。
その「死ぬまでやる」を実践した訓練があった。