リンディキットの戦い....
手短に語るということを既に書いた。
では、どのあたりから語ったら良いのか。
その線引きが難しい。
が、まあ、どうでも良い。
思いつくままに、書き進めたい。
まず、
何故にジャワの海軍部隊が、ここまで来たのか?
であるが、
当時、ングラライがジャワのバニュアンギに居た。
そのングラライが、ジャワ軍に援軍を要請したからだ。
では、
何故にバリ島にいるはずのングラライがバニュアンギ居たのか?
であるが、
バリ島での「同時テロ」の失敗で、バニュアンギに逃げ込んだのだ。
同時テロ....
私が勝手にそう呼んでいるだけ(笑)
公の歴史的呼称ではないので、おゆるしを。
あらためまして、同時テロ....
日本終戦後の1945年12月13日、
バリ島民が、日本軍を襲ったテロ事件のことだ。
ヌガラ、シンガラジャ、ムングイ、デンパサール....
のバリ島内の4ヶ所で同時に起こった。
秘密裏に打ち合わせ、同じ日に日本軍を襲った。
権力に立ち向かう....即ち、テロである。
で、「同時テロ」と、私が勝手に呼んでいる。
何故に「同時テロ」が起きたのか?
過去の私は、
バリ人が独立戦争を戦うための武器を得るためであった、
と、決めつけていた。
が、調べを重ねてゆくと、それだけではないことが解ってきた。
というより原因としての、この理由は、3番目だ。
原因を重い方から順に箇条書きにしてみる。
1、日本の統治時代の悪政の反発。
2、終戦後すぐに連合軍側にねがえった日本軍の変わり身の早さへの反発。
3、独立戦争に向け武器を保有せんがための日本軍舎襲撃。
日本人として、いやですよね、これ!
ただ、こうして書いてみると簡単ですが、
ここまで結論付ける道のりは結構に長かったんですよ。
なぜなら、
統治時代の悪政といっても、良かった部分の実例も多くあったし、
連合軍にねがえったというが、そうではなく、バリ人に味方した実例も多くあったし、
武器をバリ人に奪ってもらうように仕向けて、渡した実例も多くあったんです。
で、日本人として、
こうした順序を決めるのに、抵抗があったけど(笑)。
いろいろな情報を集約してゆくと、
当時のバリ島民の総意を正確に表す順序として、
この1~3にせざるを得なかった.....んです。
ということで、今日のブログは、ここまで...
明日は、ングラライの要請に動いたジャワ軍の経緯と、
何故に海軍隊が、バリ島北岸の地に来たのか、の二つを書きます。