プラガのワジャの墓....
長い間、日本に帰っていたので訪れていません。
で、昨日、行って来ました。
思った通り、相当に汚れていました。
掃除をしていると、通りかかったバリ人が手伝ってくれました。
その人の名....
Dewa Gede Kelaci (写真)と言います。
そのクラチさん、
「時々、掃除する」と、約束してくれました。
地元のバンジャールに、お墓のお護りをお願いしています。
が、残念ながら行き届いているように思えません。
今回、お墓のお護りしてくれる人が具体的に見つかりました。
これからは大丈夫です。
ワジャも寂しくないことでしょう、うれしいことです。
私がワジャのお墓を気にする理由ですが....
日本人だと、明確にわかっているのに、
1、日本名が解らず、
2、ご遺族も探せず、
3、日本人の誰もがお詣りしないから、
が一連の理由ですが、私の個人的な想いもあります。
それは、ワジャの性格です。
バリ人の戦友曰く、彼は”馬鹿正直的に純粋であった”由です。
戦死した経緯を知ると、それが良くわかるのです。
私も世間知らず的馬鹿(笑)なので、共感を覚えるのです。
なんとか日本名を知りたいものです。
その手がかりですが、
ワジャと一緒に戦死したバリ人、その名前がわかったのです。
キンタマニー出身のSang Putu Tilem (カミさんがお詣りするお墓の主)です。
ワジャと一緒に戦死したというだけの関係ですが、
Sang Putu Tilem の家族は、今もキンタマニーに住んでいます。
もしかしたら、そのお家族のルートから、ワジャの日本名が解るかもしれない、
と淡い望みを抱いております。