あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



ジャワ島からの応援「Merkadi大尉隊(その2)」

Merkadi大尉は、何故にバリ島に来たのか。
駆け足で、その経緯を書きたい。

1945年12月13日、ングラライは、
数千人(pindha証言)の兵を率いて、
Kesiman の日本軍連成隊を襲撃した。
目的は、日本軍から武器を奪うことであった。
が、その襲撃計画は、スパイを通して日本軍側に知らされており、
何の成果も得られず、逆に全軍が散り散りに敗走する羽目となった。
ングラライは、ジュンブラナを経て、ジャワ島まで敗走した。

ジャワ島に渡ったングラライは、
ジャワ島からバリ全土の仲間に指令を出した。

もう日本軍が相手ではない、
これから来るであろうオランダに対して、
決然として戦えるよう準備するように….
との指令である。

バリ全土で、この指令に呼応するものが現れた。

例えば、Sugeriwaは、黒熊部隊を立ち上げ、
Badung南部において、オランダ軍パトロール隊を襲撃した。
同じく、Badung南部において、
Suwetia  と Tiaga  がオランダ軍パトロール隊に攻撃をしかけ、
オランダ兵10名を殺害した。
Tabanan では、数挺のカービン銃と竹槍だけで、
数名のオランダ兵を殺害した。
  
この時期、ジュンブラナ地区は、まだ空白状態であった。
ジャワ島からの武器の輸送や支援戦闘部隊の上陸が容易であった。
このことも加勢しての各地区の呼応であった。

ングラライは、ジャワ島に居る間に、
ジャワ島から援軍が送られるべく約束を取り付けていた。
あとで、知ることになるが、この援軍の約束は、全て実行された。
が、途中でオランダ軍に阻まれ、
援軍としてングラライ軍に加われたのは、
唯一、「Merkadi隊」だけであった。
上陸の時期が比較的早かったからである。

ングラライがジャワからバリに戻ったのは、1946年4月4日であった。
この時点、まだ、ジュンブラナ地区は、安全であった。
上陸地点は、ジュンブラナのYeh Kuningであった。 
オランダ軍に阻まれることなく、無事に上陸できた。

が、ングラライが戻ったことを知った、オランダ軍は、
ジャワ島とバリ島の往来を切断すべく、取り締まりを強化した。
その強化の直前に「Merkadi隊」は、バリ島に上陸した。
滑り込みセーフであったのだ。

とはいうものの、無傷ではなかった。
各地で、オランダ軍と戦いながら、駆けつけて来たのだ。

さて、この辺から、Pindhaの証言に頼ることにする。


(Pindha証言)

Munduk Malan にて、
民族闘争会議の方針を確認している時期であった。
ギリマヌク付近に上陸する手はずになっている「Merkadi隊」の
到着を誰もが待ち望んでいた。

Merkadi隊は、インドネシア海軍の陸戦隊であった。
各自が武器を携行する正規の軍隊であった。
闘争会議司令部の要請でバリ島に応援に来てくれるMerkadi隊。
そのMerkadi隊に失礼があっては、続く援軍が来てくれなくなる。

ングラライは、Merkadi隊を迎えるため、
Tjokorda Ngurahをギリマヌクに向けさせた。

彼は、10日間、探し続け、Yeh Embang村で、
Merkadi大尉に会うことができた。

その頃、Munduku Malanの指令本部がオランダ軍に攻撃された。
我々は、さらに北のBengkel Anyarに本部を移動した。

Tjokorda Ngurahに案内されたMerkadi隊が
ングラライ軍に合流できたのは、そのBengkel Anyar の地であった。

Merkadi隊の隊員は、全員が黒の野戦服を着て現れた。
軽機、自動小銃で完全武装している。
只、隊員全員が15~17歳からの者だった。
大人は、Merhadi大尉を含め、ほんの数人、
もっとも齢をとっていたのは、日本人のSelamatさん(曹長)であった。
このMerkadi隊には、ヌガラ地区の若者も同行していた。

私は、この海軍部隊の子供たちの勇敢さと精神力に、
心から尊敬の念を感じた。
何故なら、彼らは、ここまで辿り着くのに、
いくつもの困難を克服してきていたからだ。

バリ海峡を渡るときも、
敵に見つかり襲われたそうである。
その戦い….
最初に敵の自動火器の攻撃を受けた。
こちらからは、反撃をしなかった。
敵は全員死亡したものと思い、船に近づいて来た。
十分に近づいたところで、至近距離から手榴弾を投げ込み、
敵船を撃破したという。

ただ、この戦いで、味方の船も沈んでおり、
何十人の仲間が海の中に飲み込まれたという。

指揮官のMerkadi大尉について、彼らはこうも言っていた。
Merkadi大尉は、敵がどんなに撃ってこようと、
他の者達と違って、立ったままで指揮をとった由である。

何発かの弾が彼の身体や頭をかすめたようだが、
皮膚にタバコの火を押し付けたような傷跡が残っているだけであった。

更に、続けて、彼らはこうも言っていた。
Merkadi大尉は、神秘的な学問を修行していて、
それを実践している由で、
確かにその後のジャングル活動においても、
一切、コメや肉の食べ物はとらず、球根類のみしか食べなかった。

また、つぎのような経験談も話してくれた。
Pulukanのゴム農園事務所を攻撃した時であった。
オランダ軍は、前庭に配し、頑強に反撃してきた。
四角い前庭の四隅には、サーチライトと機関銃が取り付けられていた。
その四隅からの反撃であった。
この猛烈な射撃の最中に、Merkadi大尉は、
なんら普通と変わらぬ態度で歩き出し、
敵が守っている垣根へと近づいて行った。
ただ、この時、すでに日が昇り朝になっていたので、
海軍部隊は、退却せざるを得なかった。

このように、海軍部隊の隊員全員が
Merkadi大尉が彼らの指揮官であることに誇りを持っていた。

………

さて、こんなMerkadi大尉隊….
ジュンブラナの盆地にあるモニュメントに、
オランダ軍と二日にわたり戦う……と記録が残っている。

どのような戦いであったかは、記述がない。
が、私が思うに、

ジュンブラナ地区の兵員は、武器を持たず竹槍だけであった。
そこに現れた海軍部隊は、完全武装の軍隊であった。
そして、実際にオランダ軍と戦ってみせた。
強かった。
ジュンブラナ地区の者には、それが誇りとなり語り継がれた。
ということでのモニュメントのパネル記載ではなかろうか。

即ち、

1、ヌガラを経由して、ングラライ軍に合流したMerkadi隊、
  それにくっついて、ヌガラの若者がングラライ軍に入った。

2、そのヌガラの若い兵士の服は最後まで黒装束であった。
  Merakadi隊員も黒の野戦服であった。

これらが、Merkadi大尉が、
ヌガラ地区の人に敬愛されている証拠であり、
モニュメントのパネル掲載に結び付いていると思うのだ。


余談だが、
merkadi大尉の年齢をPindhaは、22歳と書いている。
(マルガラナの小冊子には、30歳としているが....)
これが本当なら、肝の座り方が、並はずれている。
by yosaku60 | 2015-08-31 16:51 | バリ島での独立戦争 | Comments(0)
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