ジュンブラナ県は、
バリ島の最西部にあって東西に細く長い県である。
県の北側は山脈が連なり、南側の全域が海岸である。
北側の山脈は標高1000~1200m級の山々が連なる。
その山頂を境にし、北がブレレン県、南がジュンブラナ県である。
山脈に降り注いだ雨は、幾筋もの川になって南に流れる。
その川筋の全てが谷になる。
山頂から海岸までは10~15キロと幅が狭い。
で、全ての谷が海岸線の近くまで続く。
海岸から2キロほど北に進むと、もう平坦な土地はない。
谷や丘や渓谷や湿地や盆地が乱立する複雑な地形が拡がる。
盆地…..
とにかく、これを書きたくて、
ここまで地形を説明してきた(笑)。
今回、ヌガラにお住いのFujitaさんから、
ご紹介いただいた、ジョンさん(右)
に案内され、そうした盆地のひとつに行ってきた。
ヌガラから6キロほど、
Pulungan Batu という地にある盆地である。
急坂を登り、急坂を降り、
それを何度も繰り返して盆地に入った。
しかし、最後の坂は、自動車が入れる道がない。
車を降り、林の中を歩くことになった。
徒歩の途中に、数軒の家があった。
それらの家の庭を通らせてもらいながら、
着いたのが、このモニュメント…..
ここに、ジュンブラナ地区の、
ングラライ軍支援部隊本部があったのだ。
ここに、どれくらいの兵士がいたのか?
ジョンさんは、1000人ほど、というがよくわかっていない。
なにも記録が残っていない。
が、あながちおかしな数字ではない。
当時、バリ中のどこの支部でも1000人程度の兵士がいた。
ここにも1000人ほどは、いたのだろう。
この本部、これもいつごろかは、解っていないが、
兵士が集まっていることがばれて、
オランダ軍の飛行機から機銃掃射されたとのこと。
すり鉢の底のような処だから、上には逃げることができない。
飛行機には竹槍も届かない(と、ジョンさんが言う)。
で、相当の数の兵士が死んだとのこと。
このモニュメントには、その慰霊の意味もあるそうだ。
が、もうひとつ、意味がある。
その意味、私にとって驚く発見であった。
それは、明日のブログに書く。