インドネシア独立戦争時の残留日本兵を調べていると、
相手がオランダだけでなく、インドネシア国内での権力闘争にぶつかる。
残留日本兵の一部は、その争いに巻き込まれている。
が、それは国内戦争だとして、
絶対に足を踏み入れない残留日本兵もいた。
いろいろであった。
その権力争いの代表的なものに、
インドネシア国内にはびこる共産党との戦いがあった。
インドネシアに共産党が台頭した歴史は古い。
大東亜戦争以前からあった。
独立戦争時の共産党は、オランダとの闘争を強く叫んだ。
であれば、独立義勇軍と共闘.....
ということになるが、そうでもない。
戦闘への主張が強すぎて、
スカルノらの独立現実路線とはかみ合わなかった。
スカルノは、そういう国内の問題を抱えながら独立を果たした訳だが、
その政権末期には、彼自身が共産党にかぶれかけた時代があった。
ブリタルのスカルノ邸には、
ゲバラやカストロの大きな絵画が掲げられていた。
自分も偉大な革命家のひとりと考えていたふしがある。
が、私が思うに、スカルノは共産党にかぶれたのではなく、
共産党を自分の権力の維持に利用しようとしたのではないだろうか。
いずれにしても、
私は、インドネシアのこうした内戦の歴史には、それほど詳しくない。
独立戦争と重なる部分のみ、少々勉強したに過ぎない。
で、よく知らないのに、なぜにこんな話を書いたかと言うと........
次の写真を見ていただきたい。
この洞穴......
昨日書いた、サンゲの滝の道路を挟んだ向かい側にあるのです。
案内してくれた村の青年が言うには、
スカルノ政権と戦ったバリ人共産党員が掘った洞窟とのこと。
幅の狭い洞穴であるが、全長30mと長い。
途中に、1.5mほどの階段があって、
降りて来る者を殺せるように、階段直下の左手に隠れ部屋もある。
自然採光と風通しのため、洞窟の奥は....
次の写真のように、外に貫いているが、
ジャングルの中の断崖絶壁にあり外からは見えない。
さて、この洞窟......、
村の青年は、スカルノに抵抗して戦った共産党員が隠れた、
というが、どうも違うのではなかろうか。
1960年代のスハルトの政権当初のことではなかろうか。
スカルノとスハルト、進む方向が全く違うのに、
インドネシア人は、時々混同することがあるからだ(笑)。
スハルトの時代、国中をあげて、共産党員狩りがあった。
バリでも多くのひとが捕まったと聞いている。
その時代のゴア(洞窟)ではなかろうか。