マルガラナの戦いをププタン・マルガラナと呼ばれる。
何故にププタンと呼ばれるのか。
これからマルガラナを勉強する沙季さんには、
まず、この「ププタン」の意味を知って欲しいと訪れたのが、
3、Bajra Santhi Monument
オランダとバリの王国との間に起こった、バリ戦争。
その最後は、王家の集団自決(ププタン)で終わる。
バドゥン王国のププタンの写真の前で説明するエヴィとそれを聞く沙季さん。
エヴィにとっては、先祖の話......さすがにオレ以上に詳しい。
4、Puputan Square Badung
まずは、現地調査......
実際にププタンがあった場所を見てもらう。
5、Bali Museum(バリ博物館)
大学からは、博物館があれば、できるだけ見て来るように....
との指示が出ているのこと。
独立戦争やププタンとは、直接に関係ないが「バリ博物館」に立ち寄る。
6、クルンクンのゴア・ジパン
日本の統治時代、日本軍が掘った防空壕に案内する。
7、タナアロン
ングラライ軍がオランダ軍に大勝利したタナアロンの戦い。
勝利した理由は、ングラライ軍がタナアロンの地形を熟知していたからだ。
その地形を肌で感じ取ってもらうために、タナアロンに案内する。
但し、当地に着いたのが、午後3時。
モニュメント敷地の門が閉められ、鍵がかかって入れない。
管理人が鍵をかけて帰ったばかりらしい。
あれやこれやで、村人に訊き回り、
管理人の住所を知っている者を探し出し、
その者を介し、管理人を呼び戻し、扉を開けさせた。
で、ようやく入れたモニュメント敷地.....
バリのモニュメントは、全てそうであるが、
過去の思い出があったその場所に設けられる。
ここの敷地もそうである。
敷地の北側はングラライ軍の狙撃兵が待ち伏せていた場所であり、
敷地の南側は、それとは知らずオランダ軍が一時の休息をとっていた場所である。
狙撃兵に襲われたオランダ軍は、逃げ場を失い次々と崖から墜落した。
結果、オランダ軍死者82名、ングラライ軍死者ゼロ、となった。
モニュメントの敷地内に佇むと、その時の光景が浮かんである。
それが沙季さんに味わって欲しかった現地体験である。
そんな敷地に立つ、エヴィと沙季さん。
地下の展示場。
パネルを前に説明を聞く、沙季さん。
左の男性が、ようやく探し得た管理人さん。
この日の入場者はわれわれを含めて2組。
タナアロンは、やはり遠い。
ここまで来るモノズキは少ない(笑)。