(証言)
攻撃発信予定地での、こうした下準備を終え、
日本人10名とインドネシア部隊一ヶ小隊を率いて基地を出発した。
一時間後にはジャンジャン部落に通ずる道路上に出た。
手回しの良い「ネコ」の一味が待っていてくれた。
「ネコ」に誘導され、兵舎として設営が終わっていた民家に入った。
インドネシア兵に民家を割り終えた後、
非常呼集をかける。
屋外に集合した一ヶ小隊を誘導して後方高地配置につける。
この訓練を3回繰り返した。
暗夜でも整然と配置につけるようになった。
さすが正規軍として正式な訓練を受けた精鋭である。
翌朝、BPRIの証明書をもったインドネシア青年が宿営地を訪れてきた。
「私はオランダ軍の情報収集のため、敵地に留まっている者です」
「この部落の娘と結婚して住んでいるので、部落民にも信用があります」
と言って自己紹介する。
一応は疑ってみるが、インドネシア部隊兵士の中で
彼を知っている者が相当おり、
プロボリンゴ出身だと言うから一先ず安心する。
その後、彼は毎日のように遊びに来て、雑談のあと帰って行く。
自称BPRIのこの男は、成程、この部落内で結婚しており、
毎日のようにポンチョクスモ方面に出かけて行くとのことである。
この男をうまく利用すれば、
ある程度的確なオランダ軍の情報を入手することも、
可能かも知れないと考えながら、
宿営地家屋への出入りは自由に任せて放置した。
此処に宿営してから、まだ一回も巡察が来ない。
不思議な気がするが、敵は察知している筈がないと思い直す。
夜間、例の男が居ないとき、非常配備の訓練を繰り返すとともに、
簡単な散兵壕を構築する。
(部落民にも秘密にしていた、この訓練が後になって功を奏した)
今日も巡察が来ない。
不思議に例の男も来ない。
一寸おかしいと思うが、インドネシア兵は心配無用という。
そうこうしているうちに、夕刻、
不意に顔を出した男は、
「ポンチョコス・オランダ軍情報収集のため、明朝出発します」
「相当詳しい情報をとって来ますのでご期待ください」
と言うから、「ありがとう」と、頭を下げると、帰って行く。
次の日も巡察は来ない。
平凡な一日が過ぎる。
夜の9時ごろに部落入り口で突然銃声がする。
オランダ軍の盲射撃である。
敵襲である。
非常呼集で全員を起こして、
消灯の後、後方高地の配置につける。
部屋の中には一物も残さず、身の回り品は全部携行させる。
別命するまで待機して絶対射撃しないように厳命する。
部落入り口では、まだ銃声がしている。
オランダ軍の常套手段、威嚇射撃である。
吾が方は沈黙を守っている。
10数分後には射撃が断片的になり、
部落内で人が動く気配がする。
オランダ軍が入って来たのだ。
銃声が止んだが、住民からの報告は何もない。
部落民にも秘密にして夜間訓練した、この高地配置である。
報告に来ないのが当然だと思い直す。
10時を過ぎると部落内が騒がしくなる。
耳を澄まして聞き耳をたてている「ネコ」も
部落民が何を話しているか分らないと言う。
オランダ軍は元来た道を引き返したものと判断する。
爾後の指揮は杉山に一任して、
「ネコ」を先頭にして広岡と共に部落に入り、
ハジ宅に乗り込む。
多数の部落民が集まっている。
近づいてみると二人の日本人が負傷して寝ている。
ハジの説明によると、
部落入り口の番小屋で夜警に服していた二人の青年は、
9時過ぎに部落に接近するオランダ兵を発見したため、
日本人部隊に急報すべく駆け出したところ射撃されて負傷したとのこと。
オランダ軍は部落入り口正面に散開して射撃し、
約20分ぐらい後、部落内に侵入してきたとのこと。
このオランダ軍を誘導してきたのがBPRIと称する例の男である。
尚、この男は日本人及びインドネシア部隊の宿営地を調査して、
全員逃走したことを確認の上、ハジ宅に来て部落民の指導者を集め......、
今後インドネシア部隊に対して、
情報提供、給与、その他の便宜供与を厳禁する。
これに違反した場合は、部落全体の責任として民家全部を焼却した上、
ハジ以下の有力者全員を逮捕する。
と、注意した上、
一発も応戦せずに逃走した日本人及びインドネシア部隊を非難したという。
我が方の非常配置の線まで引き返して、
上記の概要を日本人に説明する。
「ネコ」はインドネシア兵に説明している。
「ネコ」一味とインドネシア兵は、
あの男にだまされたことで激怒している。
必ずあの男を逮捕して、この仇を討つと意気込む。