スバルジョは、レンガスデンクロックの青年グループのところに着いた時、
スカルノ・ハッタと青年グループは、激論の真最中であった……….。
で、今、それがどんな風な「激論」だったかを書こうとしている。
が、筆が止まった。
前に進まないのだ。
実は、先のブログで、スカルノとハッタを誰が何処に拉致したかを….
スバルジョは簡単に探し出したように、はしょって書いたが、少々後悔している。
実際には、そう簡単ではなかった。
そのことをもう少し書き加えた方が、この先の展開が理解しやすい風に思うのだ。
登場する人々も、もうすこし掘り下げて書いた方が良さそうだ。
そうでないと、これから起こる複雑で微妙なかけひきの中で、
それぞれがどのような立場で、どのように発言したかの説明が難しくなる。
もうひとつある。
後日、この時のことを証言する、いろいろな記述が発表される。
が、それらの証言が微妙に食い違っているのだ。
それぞれの立場から、ある部分は省略し、
ある部分は大げさに脚色したりして語られたようだ。
それをどのように一本化して書きまとめたらいいのだろうか。
で、筆が止まり、話が進まないでいる。
で、思い直してみると、
これからのクライマックス(独立宣言)に登場する人物は、
みなが前田精海軍少将の私塾である「独立養成塾」に関係のあることに気づいた。
であれば、独立養成塾の周辺を書くことから筆を進めれば、とも思いついたのである。
それぞれの経歴ではなく、8月16日当日のそれぞれの心境を探れば良いのである。
私なりに分析して、次に書いてみたい。
まず、ご本人の前田精海軍少将(写真):
この説明は、後日ハッタが、その回想録の中で語っていることで代用したい。
インドネシア独立準備委員会の会合のために前田邸を借りることになった時、
スカルノがその行為に感謝すると述べると、
前田少将は即座に答えた。
「それはインドネシア・ムルデカ(独立)を愛する私の義務です」
次に、養成塾の塾長、スバルジョ:
日本にいたこともあり、弁護士でもあるスバルジョは、
前田にその調整力を請われて塾長を任されていたが、
インドネシアが火の海にならないこと、
16日当日、インドネシアの各地からはせ参じている代表者のこと、
を常に念頭におき、もめごとの落としどころを探っていた。
養成塾で政治史を教えた、スカルノ:
独立するためには、日本軍を徹底的に利用する。
利用されるふりをして利用する。
日本から少々の無理難題を吹っかけられても全て腹に収めて服従する。
独立を成し遂げる為には、それくらいの忍耐が必要である。
との考えで行動していた。
養成塾で経済学を教えた、ハッタ:
オランダ留学時の活動において、オランダ政府に逮捕されたことがあるが、
法廷闘争を通して無罪を勝ち取った話しに代表される、
経済学者らしく、理路整然、且つ現実主義を尊ぶ方であった。
スカルノの日本一辺倒の考え方とも一線を引いていた。
それがゆえに日本統治下の活動において、憲兵隊から要注意人物として睨まれた。
それが、東京に行き大東亜会議のあとで天皇から言葉を頂いてから、
そのことを知った憲兵隊からは、いっさい睨まれなくなった。
が、逆にその組織的整然さから、日本軍の怖さを認知していた。
で、日本軍を刺激せず、且つ熱情だけで進む無鉄砲さも嫌っていた。
養成塾でアジ史と社会主義を教えた、シャクリル:
彼の社会主義思想は、時にはスカルノと合わなかった。
ゆえに地下に潜っての行動が多くなったが、
それを暗黙に支えていたのが、ハッタであった。
過激な青年グループを理解する隠れたオピニンリーダーであった。
養成塾の塾頭(寮長)であった、ウィカナ:
スバルジョが連れてきて、塾頭として置いた。
但し、スバルジョの知らない間に、
青年グループに賛同して活動するようになっていた。
シャクリルの影響も受けていたのであろう。
養成塾の世話役であった、西嶋重忠:
前田少将の意を受けて、海軍武官府の嘱託として、
現場での実務遂行の役を担っていた。
戦後、オランダの取調べでは、
徹底的に前田を庇った証言をする(後日の本人弁)。
養成塾の世話をする中で、塾頭であるウィカナは、
青年グループに属していることなども、うすうす気づいていた。
スカルノ、ハッタの拉致についても、彼がウィカナを責めて、拉致の場所や、
その目的などを聞き出したのが真相のようである((スバルジョは、そう証言していない)。
独立宣言文の草案作りにに同席した日本人の中の調整役を担っていた。
あとひとつ、
いずれ登場する人物として、塾長スバルジョの知人達を書いておく。
スカルニ;
養成塾の塾頭のウィカナの友人で過激派のグループリーダーのひとり。
スブノ;
スバルジョの大学法科時代の同窓のシンギ弁護士の女婿で、
青年グループを牛耳る義勇軍の中団長。
三好俊吉郎:
スバルジョの甥のスジョノの友人で陸軍大佐(軍政監部司政官)。
自由主義的思想の人。
日本憲兵隊がハッタを事故死に見せかけて抹殺することを計画していたが、
その計画を阻止し、ハッタの命を守った。
独立宣言文草案の際の同席は、陸軍から指示があったのか、
前田が独自で依頼したのかは定かではなく、個人の責任で同席したことになっている。
さて、最初に戻る……
スバルジョは、レンガスデンクロックの青年グループのところに着いた時、
スカルノ・ハッタと青年グループは、激論の真最中であった。(以下次号)