「なんだか曼荼羅」
私だけのイメージ造語だ。
英語のアトランダム、
バリのアパ(なんだか)、
そして、
ヒンズーに関係ありそうな曼荼羅、
を一緒くたにした言葉のつもりだ。
バリを理解する、私だけの暗号である。
右は遠目で見ずらいが、
今朝6時の浜の人出模様である。
日曜なので、もう人がいっぱいいる。
砂浜に寝転ぶ人、
座って瞑想する人、お祈りする人、
歩いている人、走っている人、自転車に乗る人、
体操している人、
・・・・などがいるのだ。
みんな自由である。
みんな勝手に行動している。
そのバラバラさの中でなんだか知らない統制が見えるのだ。
これがバリ・・・私のイメージの「なんだか曼荼羅」なのだ。
説明しづらい話で申し訳ないが、私のtidak apa apa のイメージの一環なので書いてみた。
さて、左の写真。
焼き肉店で修行中のヌルと言う名の女の子。
オレが店に行くと、つきっきりで焼いてくれる、
という約束になっている。
彼女は、17歳。
そして、彼女の母親は30歳。
ええ?
そうなのだ、12歳で結婚したのだそうな。
そして、それを聞いて驚くオレを、
「何故?」
と驚くのだから、またまた驚いてしまう。
現在、両親はどこにいるか解らないという。
が、ニュピ(最大のお祀り)にだけ帰ってくるという。
だから、tidak apa apa だそうな。
ほんにどこにでも tidak apa apa がある。
さて、今日の本題に移りたい。
日本のみなさんがきっと気にしている「蚊」の話。
蚊のことで、信じられないような事実がある。
私もカミさんも足首が何かに食われて、いつも傷だらけである。
蚊か蟻かそれとも他の虫かよく解らない。
多分、小さな蚊なのであろう。
が、バリ人は傷ひとつない、きれいな足をしているのである。
「蚊に刺されないの?」に、誰もが「刺されない」と言う。
「蚊がいても大丈夫?」に、誰もが「tidak apa apa]と言う。
蚊に刺されても免疫ができているので、気づかないのだろうか。
それとも蚊に刺されないのだろうか。
であれば、バリの蚊は、
バリ人と外人の見分けがつくのだろうか。
理解の及ばない、tidak apa apa である。
写真は、家にある蚊に関する常備薬。
右からミニャカユプティで、蚊に刺された時に
次がアウタンで、蚊に刺されないために
次がチャラディンで、刺されて痒い時に
左がボカシで、
掻いて傷ができた時に塗布する。
こうして並べてみると、あらためて、
オレは日本人、と思うのだ。