あけっぴろげてあらいざらいのあるがまま



その後の囲碁

7段になったことで、辞めていた囲碁....
12月になって、再開した。
なんやかやと、まだまだ、調子が良い。
7段にほぼ、定着している。
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# by yosaku60 | 2016-12-06 14:03 | 日本=趣味・旅・お遊び | Trackback | Comments(0)

変わりゆくサヌールビーチ

足首の火傷の跡が塞がった。
化膿する心配がなくなった。
で、朝のジョギングを再開、
久しぶりに北の方の浜を走ってみた。
驚いた。
6か月でこんなにも様変わりしていた。
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大木を利用した展望台ができていた。
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次は、登ってみたい。
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この場所に、
昔はこんなのがなかった...新しい店だ。
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昔、ブログに書いた個人の家....もうできあがっていた。
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サヌールビーチ、だんだんときれいになってきている。
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# by yosaku60 | 2016-12-06 13:58 | バリ島=地方・景勝地 | Trackback | Comments(0)

故郷の恩人がお亡くなりになった。

2015年10月2日の私のブログ.....
わが故郷「白尾」についてを再掲載する。

..........

石川県かほく市の「白尾」.....
石川県七尾港の水先人(パイロット)の職、
についたのをきっかけに住居を探し、選んだのが、この「白尾」
を、終の棲家として「定住」を決めて住み始めたのが、
22年前、私が48歳の時。
古いしきたりを守る住民にとっては、私は新参者。
そんな新参者を暖かく迎えてくれた人が、
当時、区長の地位にあった、岩佐健一氏。
その岩佐さんから「美川」という、屋号を頂いた。
私が白山市美川の地の生まれだからだ。

屋号....

ここ白尾では、お互いを呼び合うのに、姓を言わない。
江戸時代から続く、屋号(例えば、「権兵衛」とか)で呼ぶ。
屋号を持つということは、住民に迎えられたということである。

残念ながら、私の屋号「美川」は、それほど普及(笑)していない。
私が、バリに住み始めたからだ。
が、バリ島は仮の住まい、故郷は「白尾」である。
いずれ、白尾に帰ってくる。
その時は、是非に「美川」....
という屋号で呼んでいただきたいものである。

そんな屋号をいただいた岩佐健一さん、
昨晩は、ご夫妻が夕食に招いてくれた。
昔、お世話いただき、今まだお世話いただいている。
ありがたい。
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..........

と、去年の10月2日に結んでいる。
そんな恩人の岩佐健一さんがお亡くなりになった。
上の写真を撮った日から、14ヶ月しか経っていない。
享年、85歳。

友人からのメールによれば、
お亡くなりになったのは、11月2日だったとのこと。
悲しい。
バリ島にいるため、ご葬儀に出れない。
不義理極まりない。
お許しください。
ご恩は忘れません。
# by yosaku60 | 2016-12-05 18:59 | 日本=その日のできごと | Trackback | Comments(0)

日曜日の朝のサヌールビーチ

昨日は、道路が川になるほどの大雨だった。
で、丸一日かけて空気が洗われ....
神々しく浮かび出たアグン山稜線....
を借景に、サヌールビーチの今朝の光景。
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# by yosaku60 | 2016-12-04 09:55 | バリ島=その日のできごと | Trackback | Comments(0)

ムングイの山路の銅像....誰だろうか

独立戦争のモニュメントを探し回っているオレのことを知っていて、
ムングイの山路に、それらしきものがあることを教えてくれる人がいた。
行ってみた.....これだ!
が、軍服を着ていない。
政治家のようだ。
誰だろうか。
どなたか、この人のこと、知りませんか。
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# by yosaku60 | 2016-11-29 09:55 | バリ島=人物往来 | Trackback | Comments(0)

明日のシンガラジャ行き(出発予告)

明日、一泊泊まりでシンガラジャに行って来ます。
以前、事前にブログに書いた結果が良かったので、
今回もゲンを担いでの.....出発予告です。
稲川さんと一緒に行きます。

稲川さんは、日本の統治時代、シンガラジャに居られました。
18歳~20歳の3年間だったそうです。
シンガラジャ行きは、そんな稲川さんから、
戦中の日本軍を教えてもらうのが主目的です。

もうひとつ、目的があります。
残留日本兵、ブンアリの隠遁地の調査です。

ブンアリは、「ウガヤマ」に籠ったと平良定三氏が書いております。
ウガヤマ.....ってどこだろうか?
と探していたところ、ウガヤマではなく、
プガヤマン(pegayaman)だろうと思ったのです。
何故に、プガヤマンと思ったったのか....
プガヤマンの村民は、全員がイスラムなんだそうです。
ブン・アリの、ブンと言う名は、バリ名ではなくジャワ名です。
プガヤマンに住んだから、「ブン・アリ」と名乗ったと思うのです。

そんな、プガヤマン(図の真下の村)に行ってみたいのです。
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もうひとつ探しものがあります。
Padang Bulia と Nagasepaha と Sari Makar....
の三角地帯の真ん中辺に、なにやらモニュメントがあるらしいのです。
もしかしたら...
ングラライ軍の解散の地ではなかろうか?
であれば、解散を嘆き、松井が涙を流した処です。

   (註) 本によれば、閑散の地は、sukasada となっている。
       が、sukasada とは、スカサダ郡のこと、
       シンガラジャ市の少し山手~ブドグルの全域がスカサダ郡だ。
       その範囲が広すぎて、特定することが難しい。

確かめに行ってまいります。
# by yosaku60 | 2016-11-28 09:59 | バリ島での独立戦争 | Trackback | Comments(0)

朝食代金

火傷も治り出し(あと少し)、浜を歩けるようになった。
で、日曜日の今朝の浜での朝食光景(写真奥は、カミさん)。
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二人分の朝メシ、そして、コーヒー3杯(オレ、おかわりした)....
の料金、全部で150円、安いでしょう!!
こういう処で食べると、びっくりするほど安い。
が、外国人が行くレストランに行くと、
日本と変わらない料金がとられるんですよ。
# by yosaku60 | 2016-11-27 09:39 | バリ島=物価・修理費 | Trackback | Comments(0)

クリーニング代金

d0083068_855450.jpg日本とインドネシアの物価を比べて、
ここインドネシアが特に安いもの...
って、なんだろうか。

まず、思いつくのは、
クリーニング代だ。

右は、背広、ズボン、カラーシャツ...
この3点で、なんと60円。

安いでしょう!!
# by yosaku60 | 2016-11-27 08:06 | バリ島=物価・修理費 | Trackback | Comments(0)

「サヨナラ」は、もはやインドネシア語だ。

次の日、ジャワ島のソロに戻るという清水さんをタナアロンにご案内した。

タナアロン; 独立戦争における有名な激戦地。
        1946年7月7日、
        アグン山の麓のタナアロンの地に陣を敷いたングラライ軍....
        をオランダの大軍が 四方から攻めて来た。
        残留日本兵、松井の12.7㎜重機が火を吹いた。
        で、迎え撃つングラライ軍は、ひとりの戦死者出さず、
        攻めるオランダ軍に82名の戦死者が出た。   
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ングラライ軍の軍勢...
明確な資料がないが、500名ほどだったと思われる。
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管理人不在であったが、受付窓にこんな張り紙があった。
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近寄って見ると、 ングラライの命日に行われる...
セレモニーの予定表であった。
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と、それを読んでいた、清水さんが見つけた。
最後の行に、「さよなら」 がある。
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Bongkar tenda dan sayonara.....
テントを片付け、解散.....の意であろう。
要するに、お別れの意味の、Sayonara である。

この Sayonara は....
敗戦した日本軍がインドネシアを去る時に....
感謝を込めてインドネシアが使った日本軍への別れの言葉....
「サヨナラ、サヨナラ またあいましょう」の一節から来ている。
こういう処にも使われていたなんて!..........嬉しい。
# by yosaku60 | 2016-11-26 09:11 | バリ島での独立戦争 | Trackback | Comments(0)

ハナちゃんの結婚式

バリ人なのに、どうして、ハナちゃんなのか....

8年前になろうか、
浜で働いている彼女に出逢った。
10代の溌溂とした娘さんであった。

朝の挨拶を告げると、彼女から、
「私、ハナちゃん」と、名乗ってきた。
何故に、ハナちゃんというのか、
その時も今も聞いていない。

それからのハナちゃん、いろいろとあった。
そういうのみんな乗り越え、めでたく結婚にこぎつけた。
ハナちゃん、おめでとう。
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彼が、花婿....
好感の持てる風貌をしている。
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驚いた!
いつも挨拶を交わす、浜のおばさん達...
みんなハナちゃんちの親類だったとは知らなかった。
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ハナちゃんの妹のコマンも大人っぽくなった。
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ハナちゃんの姉のワヤンは、いつも明るい。
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先日、クトッが結婚した。
それから、2週間、今度は、ハナちゃんが結婚した。
バリ島に来た頃の私の昔.....
その一時代が、終わったような気がする。
# by yosaku60 | 2016-11-25 09:47 | バリ島=人物往来 | Trackback | Comments(0)

悲しく思うのは、私だけだろうか?

プナルンガンにある、ワヤンスクラとマデスクリの慰霊塔を見て来た。

ワヤンスクラ; 日本名、松井久年(福岡県)
マデスクリ;  日本名、荒木武友(長崎県)

二人は、残留日本兵である。
バリ人と共に、インドネシア独立戦争を戦った。
当然に死を覚悟しての参戦であった。
二人は、戦死したら、バリ人として葬って欲しいと....
村人に願い出ていた。

二人は、勇敢に戦った。
デンパサールのオランダ軍攻撃のあと、
松井と荒木がいる限り、バリ軍は負けない...
と神がかった噂が流れるほどであった。

1946年11月20日...
二人は、マルガラナで玉砕、戦死した。
村民は二人を神と崇め、このような慰霊塔を建立した。
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さて、こんな経緯の慰霊塔であるが、
中に入ってびっくりした。
何度も慰霊塔の中を見ているが、今回は異様であった。

荒木の写真の前が、日本式というか、仏式に飾られているのだ。
日本式なら、なんということはない。
が、仏式の法名が、飾られているのだ。
昨年までは、こんなのはなかった。
飾られて、まだ新しい。
なぜ、今になって、こんなのが置かれたのだろうか。
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法名は、仏の道に入ったことを意味する。
仏教とバリヒンドゥーは別の宗教である。
荒木は、今、バリヒンドゥ様式で神と崇められている。
そんな荒木に法名を与え、
「神」から「仏」に引きずり戻していいのだろうか。

荒木を想っての悲しみだけではない。
バリ人を想っても、悲しくなった。

バリ人は、慰霊塔を建て、二人を大事にしてくれている。
そんなバリ人への感謝を考えると申し訳なく思うのだ。

二人は、バリ人に任せるだけの方が良い。
日本人は、ここまでしてくれるバリ人に感謝すべきだ。
前に出ないで後方で、そーと祈れば良いのだ。
日本人がしゃしゃり出てはいけないと思うのだ。

松井、荒木の両氏もそう思っているのではなかろうか。
そんな風に思うオレ、間違っているだろうか???

(註) 

インドネシアには、パンチャシーラ(国是)がある。
それには、全国民が宗教を持つことを義務付けている。
無神論を唱えるものは、それだけで罪になる。
また、許されている宗教は、
イスラム教、プロテスタント、カトリック、ヒンドゥー教、仏教...
の5つのみである(最近はそれに儒教が加わり6っつになった)。
それ以外の宗教は禁じられている。

インドネシアは、それほどの宗教国家なのだ。

パンチャシーラには、唱えられていないが、
一家で二つの宗教を持つことを常識として、半ば禁じている。
ひとりが「神」と「仏」の両方を信ずることのできる日本...
を、インドネシア人は、理解しがたいのである。
# by yosaku60 | 2016-11-24 19:48 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

マルガラナ大祭に参加して想うこと

ングラライ部隊96名の鎮魂のためのマグラナ大祭....
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に参加して、いつも感銘を受けることがある。
今年も感銘をあらたにした。

それは....

バリ人が心をひとつにしてお詣りする様(さま)である。
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翻って、今の日本...
には、そうしたことがない。
国を憂い、国を想うことに、必ず横やりが入る。
何でだ!!

私は、全体主義は嫌いだ。
社会の常に甘えて、本物を見失いがちだからだ。
といって、私は、個人主義も嫌いだ。
人権という言葉を拡大解釈して甘えるからだ。

どちらも責任感不在の甘えがある。

翻って、そんな私....
考えてみれば、あれにもこれにも、甘えている。
思索と実行動が一致しない。
最近、そんな自分を持てあますことが多い。
# by yosaku60 | 2016-11-23 08:39 | バリ島での独立戦争 | Trackback | Comments(0)

Puputan margarana Tahun 1946

11月20日は、ングラライの命日....
マルガラナで96名が玉砕した日です。
今年は、70年という節目の大祭でした。
例年より、盛大だったように思えます。
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お歴々.....
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圧巻....
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クバヤ盛装...
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私....
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青いクバヤの方は、ウイスヌ少佐(ングラライ軍NO.2)のお子さん。
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残留日本兵遺児のマデ、スラジャさん。
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# by yosaku60 | 2016-11-22 15:34 | バリ島での独立戦争 | Trackback | Comments(0)

スラジャさんの家の神棚が完成する

インドネシア独立戦争をバリ人と共に戦った残留日本兵・・・・
その中の一人である、曽我さん・・・・・
の遺児である、マデ.スラジャさんの家の神棚が完成した。
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神棚は亡き父を祀るためスラジャさん(左から二人目)が作製。
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が、日本風の奉り方が分からず、空のまま放置されていた。
その神棚を作法どおりにお飾りしてくれたのが、自らが神道の清水さん。
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全ての神事が終わった。
スラジャさんがほっとした安堵の顔を見せる。

現在、73歳のスラジャさん。
幼かったため父を覚えていない。
が、この神事を通じ、「日本人の父」を感じたのではなかろうか。
そして.....
自分にも日本人の血が流れていることを感じ取ったのではなかろうか。

残念ながら、亡き父が日本の何処の誰かということはわかっていない。
スラジャさんにとっては、日本人として失われた70余年だった。
せめて、私だけでも・・・
バリにいる間は、同じ日本人として深い友人でありたい。
# by yosaku60 | 2016-11-21 08:13 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

残留日本兵の調査、先人のお二人バリに来る(その2)

一日遅れて、清水教博さんがバリに来られた。
現在75歳になられる人生の先輩....
同時に、インドネシア全体の残留日本兵にお詳しい、先人。

稲川さん、清水さんから、いろいろ学ばせてもらえる。
ここしばらく嬉しい日々が続くことになる。
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# by yosaku60 | 2016-11-19 08:38 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

残留日本兵の調査、先人のお二人バリに来る(その1)

私の残留日本兵の調査・・・・
それを導いてくださるのが、稲川義郎さん、90歳。
戦中、バリにあって、日本海軍の民生部に勤務していた。
私が調べている人の多くと遭っている、いわば生き字引.....
その稲川さんがバリに来られた。
72年前のバリ....
71年前の日本軍......
70年前の残留日本兵.....
のいろいろなことを実体験として知っている。

稲川さんを高木米治氏の遺児、アリアニさん宅にお連れした。
中央がアリアニさん、右が稲川さん。

(注) 高木米治; 日本海軍兵曹長。
    日本敗戦後、バリの女性と結婚し、バリにとどまり、
    残留日本兵として、インドネシア独立戦争を戦う。
    チュウアナラ隊、96名の一員として....
     ングラライと共にマルガナラで玉砕する。

アリアニさんのお子さん(左)から、大変興味のある話を聞かされた。
灯台下暗し、青天の霹靂.....な話であった(後日にお知らせする)。
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# by yosaku60 | 2016-11-19 08:16 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

誰か教えて!この果物の名前

シンガラジャのコミンの村に一本しかない木の実....
割った中身の見た目は、ランブータン.....
食べてみた味は、ドリアン......
の、この果物。

持ってきてくれた、コミンは名前を忘れたといい。
エヴィもお手伝いさんのカデも初めて見たという。
どなたか名前を知りませんか?
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にしても、バリは果物だらけの島だ。
# by yosaku60 | 2016-11-17 08:11 | バリ島=社会・生活 | Trackback | Comments(2)

あと10日、今度はハナちゃん

今、バリ島は、結婚式ラッシュだ。
11月24日は、ハナちゃん(右)の結婚式。
花婿は、ブレレンのpenuktukan....
遠いので、とても行けないと思っていたら、
サヌールでも、結婚式をするとのこと。
ハナちゃん、行くからね。
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# by yosaku60 | 2016-11-14 11:03 | バリ島=人物往来 | Trackback | Comments(0)

クトッ、新しい人生が始まる。

クトッを知ったのは、2010年、もう6年前になる。
彼女の田舎は、写真のとおり、ブドゥグルの谷を降りた処....
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そういう彼女との思い出を辿ってみたい。
まずは、2011年、一緒にアメッドで遊んだ。
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一緒に海に潜った。
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2012年、日本からの友人を一緒に迎えた。
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彼女は、トルコに出稼ぎに出た。
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一旦、帰国した彼女とロンボック島で遊んだ。
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リンジャニー山の山麓で遊んだ。
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カニヤ一家とも一緒に遊んだ。
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トルコで稼いだお金でお母さんの家に台所を建てた。
そして、次の出稼ぎ地マレーシアに旅たった。
マレーシアから一旦帰国したクトッと遊んだ。
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一緒に食事したり.....
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ボウリングしたりで、遊んだ。
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クトゥと一家と植物公園で遊んだこともあった。
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そんな彼女、40万円の資金を自前で貯め、念願のポトンギギ儀式を終えた。
そのためのマレーシア行きであった。
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そして、この度(11月9日)、結婚した。
睡眠時間5時間、あとの残りは、働き続けた。
甥に奨学金を与えたり、
売られた土地を買い戻したり、
一族に尽くし続けた末の結婚であった。
ご苦労様、クトッ!!
今後の時間は自分だけのために使ってください。
お相手は、インド系マレーシア人、結婚後はマレーシアに住む。
幸せな人生になることを祈っております。
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# by yosaku60 | 2016-11-13 09:59 | バリ島=人物往来 | Trackback | Comments(0)

ブンアリの潜伏地を探せませんでした。

バリ島でインドネシア独立戦争を戦った残留日本兵....
その中でも、勇敢さについて語り継がれる、梶原某...
バリ名、ブンアリ。

1946年1月から3月まで、彼が隠れたと伝わる村、ウガヤマ....
それが何処なのか、どうしても探したいオレ...

先日、ここではないかと目星をつけた地に行ってみました。
シンガラジャに一泊しての捜索でしたが、結果として探せませんでした。
が、まだ諦めていません。
いつの日か再挑戦する意味で、調査の経緯を報告いたします。


まずは、ウガヤマと言う名の土地、あるいは村....
現在のバリ島には、そうした名は存在しません。
これは、「サムライ、バリに殉ず」の本に出ていた名です。
ということは、平良定三氏が、ブンアリ本人から聞き、
それを坂野徳隆氏(本の著者)に告げたものと思われます。

平良定三氏によって書かれた文字ではなく、
彼から耳で聞きとった名だということです。
耳から聞いたということは、聞き間違いがあります。


ウガヤマという名に似通った地名、村....
その場所がブレレン西部である....

で、探してみると、スリリットより8キロ山に入った処...
にあるウンガハン村...
此処に違いないと確信した。
で、行ってみた。
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ブンアリは、戦うための大量の武器を隠し持っていた。
山奥過ぎると運搬が大変だ。
かといって、町に近いとオランダ軍に見つかる。
ある程度の隠れ里でならねばならなかった。
ウンガハン村は、曲がりくねった山路の上の僻地にある。
ブンアリが潜んだ処として適地と思われた。

ウンガハン村に入ると、突然に大雨が降って来た。
運転するにも、道路を歩くにも不便を感ずるほどの雨であった。

尋ね尋ねて、ひとりのベテラン(旧兵士)を紹介してもらった。
が、日本軍が占領中の話ばかりをして、独立戦争の話をしない。
ングラライを知らない、ましてや、ブンアリを知らない。
(写真右の彼....左は、バリ語でインタニューするコミン)
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まあ、取材は、いつもこんな具合で始まる。
バリ人は、過去を余り語り継がない。
その当時者に会えない限り、真相を探せないのだ。
....が、当日は、雨がひどすぎた。
インタビューは、彼だけにして、ウンガハン村を後にした。
真相探索は次の機会とする。
# by yosaku60 | 2016-11-12 11:08 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

バリ風、権威の示し方...

写真は、契約者が5000万人を超える、
インドネシアの大手通信会社のバリ支店です。
大通りの一等地の広い敷地にあります。
右は受付スタッフである、一名....
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サービスカウンターのスタッフは1名....
計2名で、この広いスペースを使っています。
ごみごみした機械室は、裏の部屋にあります。
スタッフは、時々、裏の機械室に行かねばなりません。
その時は、相当の距離を歩かねばなりません。
非効率です。
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こうした配置、そして、広さに応じたスタッフ数....
会社の権威を示すための、つまらない虚栄心にしか見えません。
こうした権威主義が、未だ通用するインドネシア....
第二の祖国と考えている私にとって、残念です。
# by yosaku60 | 2016-11-07 10:31 | バリ島=社会・生活 | Trackback | Comments(0)

お祈りする時、バリ人の心得として...

バリ人は、お祈りの前に、必ずマンディーをする。
身を清めてからお祈りするのだ。
毎日のように見ているので、その敬虔さを知っている。
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が、お祈りする前だけではない。
お祈りするという行為そのものに意義がある。
昨日エヴィから、その意義を教えてもらった。
それを聞いたオレ、
「そんなバリに住んでいるんだ!」と、感銘を受けた。
その感銘を少々長く語りたい。

昔、このブログにも少々書いたことがある。
私は、人間とは何か、オレは誰か、を考え続けた時期がある。
その際、人間にとって宗教が大事であるということを学んだ。
が、そうした宗教を尊ぶ人間の方が未熟なため成熟しない人間社会も悟った。

で、現在、私は仏教徒であるが、
それは建前であって、心の中は無宗教である。
葬式宗教になりさがった仏教に共感できないのだ。

で、現在のオレ...

みせかけの宗教心なんて心が貧しい。
オレは、オレを考えると、反省だらけ、まだまだ心が貧しい。
で、ホンモノの宗教心を持つには、未熟だ。
神仏の前に立ってお祈りできるまでには成れていない。

で、現在の日本....

さしたる宗教心もないのに、習慣としてお寺参りしたり....
その意味たるを深く考えずに、宗教行事に並ぶ輩....
最たるは、すぐに....というか、
しごく簡単に神仏にお願いをする現代の日本人...
に、内心、すごく反発している。
世間体がよくなく外に出せない反発であるが、
私としては相当に強い反発である。
まあ、心が狭い、駄々っ子でもある。

私は、神仏にお願いをしたことは、70年の生涯、一度しかない。
この一度は、いずれ書くことになろうが、今はまだ伏せて置く。
神仏は、感謝するものであって、
お願いをするものではないと思っているのだ。
いや、思う...という程度ではない。
かたくなに、そうと確信している。

んで、昨日....

そんな、こりかたまったオレの心に、
エヴィが教えてくれた、バリ人の祈りの心得がドスンと入ってきた!
のだ。
次の写真、右がエヴィ、左はカミさん。
d0083068_910572.jpg

エヴィは、自分がお祈りする時は、こうである。
と、次を語ってくれた。
d0083068_9151332.jpg

両親とトラブって腹が立ってる時にはお祈りをしない。
腹を立てたままで神様の前に立つことは神様に失礼だからです。

神さまにお願いをすることはない。
お父様、お母様もそうしている。
また、お願いしてはならないことをお父様から強く言われている。
(エヴィのお父様は、バドゥンの王様の弟君です)

神様の前で涙を流してはいけません。
ですから、悲しくて涙が出そうな時は、お祈りしません。

神様の前でお祈りできるのは、嬉しい時だけです。
ですから、いつも嬉しく思うように自分を仕向けて生きて行くのです。

みなさん、どう思いますか。
昨日のオレ、エヴィの話を聞いて、
これぞ神に接する心構えだ、と感銘を受けたのです。

エヴィ!!! ありがとうね。
# by yosaku60 | 2016-11-06 09:17 | バリ島=慣習・伝統 | Trackback | Comments(0)

バリ風、火傷の手当て

プスケスマスに通うが、なかなか火傷が治らない。

昨日、庭の手入れに友人のワヤンが来てくれた。
d0083068_10139.jpgそのワヤン、
足首に包帯を巻いているオレを見て、
「どうしたんですか」と聞く、その後の会話...

火傷をしたんだ。
「マドゥを塗ったか」
マドゥってなんだ。
「添加なしの自然のマドゥが一番だ」

とかなんとか、話がかみ合わない。
傍にお手伝いのカデが居たので聞いてみた。

マドゥって何だ。
「食べ物です」

なに、食べるものを患部に塗るってどういうことだ。
話がかみ合わない。

ワヤン、いずれにしても、マドゥとやらを買ってきてくれ。
てんで、ワヤンに頼んで買ってきてもらったのが写真の瓶。

瓶のラベルに蜂の写真がある。
なんだ、蜂蜜か!
まあ、いい、試しに塗ってみよう。

で、オレは昨日一日、包帯を外して蜂蜜だけを塗って過ごした。
その結果、一週間、患部が渇かなかったのが、少し乾いて来た。

まあまあ、効果があるようだ。
でも、プスケスマスの治療以外を取り入れるなんて、
可愛い看護婦さん達に悪い気がして....
今朝ほど、プスケスマスに行き正直に話した。


あのー ノナ (娘さんという意味)...
実は、余り長いあいだ治らないので、
昨日は、包帯を外して、マドゥを塗って過ごしてみました。
勝手なことして、スミマセン。

と、看護婦さん....
可愛く笑って、「いいんですよ、それで」と、言う。
で、いつもどおり、丁寧に患部を処置してくれた。

んが、家に帰ったオレ....
その包帯をすぐに外して、マドゥを塗りたくったとさ。
今はスケベ心よりも、治りたい心が勝っておりますようで....
スミマセン、今朝の可愛い看護婦さん!
# by yosaku60 | 2016-11-05 11:21 | バリ島=慣習・伝統 | Trackback | Comments(0)

ナンカの実を取るのは大変です

英語では、ジャックフルーツ....
インドネシア語では、ナンカ.....

甘すぎず、噛み応えがあり、
バリ島の果物の中では、私が最も好きな果物です。
d0083068_12385096.jpg

エヴィの家には、ナンカの木があります。
で、いつも、エヴィから食べれるようになったものを頂きます。
が、先日は、コミンがナンカそのものを持ってきてくれました。
実を取りだすのが少々大変です。
d0083068_12431527.jpg

これは、コミンとカミさんの手...
二人そろっても数分かかりました。
d0083068_1245064.jpg

おまけに包丁が粘っこくなって、すぐに切れなくなります。
なんでも自分でやらなくちゃわかりません。
# by yosaku60 | 2016-11-04 18:57 | バリ島=ちょっとびっくり | Trackback | Comments(0)

私は病気になると「村の診療所」に行きます。

日本人がバリ島に永住するスタイルは、いろいろです。
私は、できるだけ現地に溶け込むことにしています。

その証が医療です。
バリ島に住む日本人の多くは、病気になると病院に行きます。

が、私は、違います。
治療の質には、それほどのこだわりがありません。
そもそも質と言っても、素人にはわかりません。
で、地元の「村の診療所」に行きます。
プスケスマスと言います。

バリ人でも、少しお金がある人は、プスケスマスに行きません。
お金に余裕のない人たちが行くところです。

でも、内科、外科、歯科、小児科、
全部、そろっていて便利です。

私は、現在、火傷の治療に通っておりますが、
毎回、250円で済みます。
薬が出ても同じ料金です。
安価です。

それに、特に言いたいこと....
一般の病院に行くと、医者や看護婦が威張ります。
でも、プスケスマスの医者や看護婦は、みんな親切です。

そして、必ず女医さんです。
で、私は、プスケスマスに、いそいそと通うのです。
d0083068_8525914.jpg

# by yosaku60 | 2016-11-03 08:53 | バリ島=社会・生活 | Trackback | Comments(0)

お手伝いさんには、直立不動で接しています。

d0083068_8555238.jpg私は、自慢じゃないが、
花....どんな花も一緒に見える。
魚....どんな魚も一緒に見える。
で、花と魚の名は、全く知らない。
いい加減な男だ。

そんな私だから、
次のような馬鹿な会話、解って欲しい。

で、

家の庭に花が咲いていた....
この花、何という花?

お手伝いさんのカデに聞いてみた。
(右は気付かれないように隠し撮りしたカデ)

「ジュプン・ジパンです」
あまり自信ないけど、と注釈をつけ教えてくれた。

じゃ、これは何?
ヤジローベーのように横に拡がったのを指さした。
d0083068_8244770.jpg

「それは、実です」

ええ、花に実があるのか....
食べれるの?

「食べれません!!!!」

冗談と思ったのだろうか、私を睨みながら強く言うカデ....
カデには冗談が通じません。

私の家に来て2年になりますが、昔も今も同じです。
仕事は、真面目、スキがありません。
だから、直立不動で話しかけるようにしています(ホントです)。
# by yosaku60 | 2016-11-02 08:28 | バリ島=人物往来 | Trackback | Comments(0)

ご懐妊、おめでとうございます。

プロのカメラマンに撮られる妊婦さん....
砂浜では夫がそれを見守っている.....
今朝のムルタサリビーチ。

その夫に、
スラマハンビル! と声をかけた。
「ご懐妊、おめでとう」 と言ったつもりだ。

通じたようだ。
「ありがとう」の答えが返ってきた。

写真とってもいいですか?
「どうぞ、どうぞ」と、嬉しそうに答えてくれた。

日本では、赤の他人のこんな写真は撮れない...
が、ここはバリ島だ!
d0083068_11185786.jpg

# by yosaku60 | 2016-11-01 08:12 | バリ島=その日のできごと | Trackback | Comments(0)

バリ島残留日本兵の兵士名について(補足)

一昨日のブログ、
日本敗戦後にバリ島で命を落とした日本兵46名....
について、書きました。

ご遺族の方など、
将来、私の記述を調べ直す方がおられると思います。
そういう方のため、言い足りなかったことを追記します。

Canggu Buns / Kt Sunia の標記に関して

d0083068_742311.jpg

( Buns について)

Buns と書いてありますが、
これは、Bung の間違いです。
なぜなら、慰霊碑には、次のとおり、Bung と書かれております。
Bung の意味ですが、日本語で言えば、
「さん」 とか 「氏」 に代わる敬称です。

(後日訂正)
Bung と書いてありましたね。
老眼鏡をかけずに読んだので、Buns にみえてしまいました。
あわてものです。
d0083068_7575999.jpg


( Jianggu について )

これは、Canggu と同じです。
バリでは、昔はこのように書くこともありました。
例えば、現在、日本は、 Jepang と書かれますが、
昔は、Djepang と、書かれたものもあります。

( kt について )

これは、Ketut の意味です。
即ち、第4子か第8子ということです。
大舘のバリ名は、Nyoman Sunia です。
Nyoman とは、第3子か第7子と言うことです。
バリ人にとっては、Nyoman であるか、 Ketut であるかは、
大きな違いです。
もし間違えれば、致命的ミスになります。
こういうミスは、しないものと思われます。
Kt Sunia が大舘ではない、と私が判定した根拠でもあります。

( Sunia について )

実は、ketut Sunia によく似た名前で、
ketut Senio (クトット・スニョー)と呼ばれた残留日本兵がいます。
戦後も生き残った平良定三氏が、書き留めているのです。
平良定三氏は、戦後まもなくは大舘の名を知らなかった形跡があります。
かと言って、クトット・スニョーが大舘、ということは考えられません。
平良氏は、バリ語に精通しており(奥様がそう語る....)
Ketut と Nyoman を間違うということが考えられないからです。
いずれにしても、
大舘のバリ名である、ニョーマンスニアと、
クトットスニア や クトットスニョー は、別人と思われます。




高木米治の戦死場所について

高木米治さんには、遺児がおられます。
写真の右がお孫さん、その次が遺児のアリニさんです。
d0083068_858243.jpg

アリニさんの家には、高木米治のことを書いたもの(日本語)がありました。
日本のご親戚の方がお調べになったものとのことです。
その調書には、高木米治の戦死場所が、ワナサリとなっていました。
ワナサリで戦死した日本兵は、ブンアリとブンマデです。
そのブンマデが高木米治である、としていたのです。
高木米治のバリ名は、マデ・プトラです。
が、マデとだけ呼ばれるのもバリではよくあることだからです。

私のブログも一時期、ワナサリで戦死したと書いたことがあります。
が、後日、高木米治は、マルガで戦死したことに修正しました。
そのように語る方が多かったからです。

でも、それを確証する証拠がなかなか見つからず困っていました。
マルガラナで戦死した5名の日本兵の中に 「マデ」 がいました。
が、マデというのは、第2子という意味、だから沢山いるのです。
高木米治と特定できないのです。
で、困っていたのですが.....、

ところが、それが見つかったのです。
大舘の調査をしている過程で見つけたのです。
これです。
マルガラナの資料館の中のこの表示です。
d0083068_9133242.jpg

この表は、チュウアナラ(Ciung Wanara)兵士を挙げたものです。
チュウアナラとは、ングラライと共にマルガで玉砕した部隊名です。
全部で96名います。
81~85の5人が、日本兵です。
85番に、はっきりと、マデ・プトラと書かれております。
高木米治です。

マルガラナで玉砕したことは、バリ人としては名誉です。
近日中に、アリニさん宅に調査結果を知らせに行きます。
きっと、喜んでいただけると思っています。
# by yosaku60 | 2016-10-31 07:46 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

日本敗戦後にバリ島で命を落とした日本兵46名

日本の敗戦時....
バリ島には、何人の日本兵がいたのだろうか?

簡単に、2000人以上と書かれた資料もある一方、
バリ島の有力新聞「Bali Post」によれば、
陸軍が1990人、海軍が1146人の
合計3136人の日本兵がいたとも報道されている。
が、この兵数、いつの時点のものか定かではない。
いずれにしても相当の日本兵が居たことは事実である。

さて、そんな中で、
敗戦後、何人の日本兵がバリ島の地で命をおとしたのだろうか。

     (註) ここに言うのは、敗戦後、即ち1945年8月15日以降である。
     戦中であれば、バリ沖海戦で一挙64名の死傷者が出るなど、
     戦死者が多くなる。

私が知る限りでは、46名になる。

そのうち、マルガラナに祀られている14名は、既に述べた。
念のため、再掲載する。
d0083068_833621.jpg

で、残り、32名について以下にまとめてみる。

まずは、
バリ人に殺された日本兵10名である。
殺された理由は、戦時中の日本兵の行為への反発と、
オランダ軍の再植民地化への抵抗のため、武器を奪うこと....
いわゆる、私が言う「1945年12月13日のバリの同時テロ」....
の犠牲者だ。
d0083068_8333664.jpg

次に、日本兵に殺された日本兵7名だ。
終戦直後、兵士の落胆は激しかった。
日本をあきらめ、インドネシアの独立戦争を戦いたいと思う者がいた。
戦うには武器がいる。
その武器を奪うため、日本兵が日本兵を殺したのである。
この事件は、1946年1月2日、シンガラジャの地で起こった。
形態は変わるが、インドネシアの独立戦争が故に、
殺されたことには、変わりがない。
d0083068_8342029.jpg

次いで、
バリの独立義勇軍に入り、
バリ人と一緒に独立戦争を戦い戦死した15名の日本兵である。
14名は、マルガラナに祀られている(既に記述)。
が、この15名は、どのように戦死したかは不詳である。
不詳がゆえに語られることがない。
また、人物が重なっているかも知れない。
で、員数に関しては、不確かである。
が、いずれにしても、マルガラナの1372番に祀られるべき人達だ。

   (註) 東京の稲川義郎さんから送って頂いた「バリ日本会会報;Bali」
      の47号に、次表の8番の満留四齢氏の写真が掲載されていた。
      ここにも掲げ、ご冥福を祈りたい。
      満留四齢氏は、Baturitiの地で、オランダ軍に射殺された。
      写真を見た通り、少し幼さが残るほどに若い。
      考えさせられる写真である。
d0083068_8345337.jpg

d0083068_835275.jpg

ということで、32名を述べた。
が、これら、14+32=46名は、戦死した者達ばかりである。

生き残った兵士もいる。
次の6名だ.....少ない!
バリ島での独立戦争の激しさが解る。
d0083068_8363011.jpg

# by yosaku60 | 2016-10-30 10:34 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(0)

バリ島残留日本兵・大舘の謎に迫る(その11; マルガラナの大舘)

慰霊碑は、その人その人の祈祷塔であって、
二人一緒になることはない.....
との、当所を20年管理するイブメイさんの言葉は重い。

であれば、
クトット・スニアの標記は、バリ的な単純ミスであり、
339番は、ブン・チャングーひとりのものと考えるべきであろう。

が、慰霊碑にも例外がある。
1372番の慰霊碑である。

独立戦争を戦い戦死した全員の分を建立するのは難しい。
情報に漏れがあるかも知れない。
そういう戦死者のために、1372番の大きな慰霊碑がある。
要するに、「その他の者の共同慰霊碑」である。

今まで、工藤栄氏と曽我氏の二人が、
この1372番の慰霊碑に祀られていると語られてきた。
私は、ここに大舘も入れたいと思う。

で、マルガラナ慰霊碑の
日本人だけをまとめると次の表の14人になる。
d0083068_9585226.jpg

が、独立戦争で戦死した日本人は、
この14名だけではない、まだいる。
マルガラナの1372番に祀られるべき日本兵が、他にまだ15名いる。

15名は、独立義勇軍として、オランダと戦った、
そして、オランダ軍に殺された(と思われる)日本兵である。

他に....
独立戦争を理由にバリ人に殺された日本兵が10名いる。
他に....
独立戦争を理由に日本人に殺された日本兵が7名いる。

これら犠牲者全員をまとめると、46名になる。
この46名のうち、
マルガラナの14名の日本兵を除くと32名になる。
明日は、この32名をまとめてみたい。

  (註) 独立戦争を戦い、生き残ったのは、6名に過ぎない。
      勿論、6名は、46名のうちにはカウントしていない。
# by yosaku60 | 2016-10-28 10:08 | 帰らなかった日本兵 | Trackback | Comments(2)


常時ほろ酔い候
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