バリの入れ歯屋さん
友人の友人が日本から来ました。
飛行機に遅れそうで、急いだため
入れ歯の装着を忘れてしまいました。
せっかくバリに来たのに
美味しい料理が食べれません。
みなさん、どうしたと思いますか。
入れ歯屋さんに行ったのです。
左の看板の店です。

行ったのが昨日、そして、なんと今日、入れ歯が出来上がったのですヨ。
こんなに早く、どんなんが、できたのでしょう?
好奇心の塊のオレ、これが行かずにおらりょうか。
ってんで、ご一緒させていただきました。
んで、出てきたのが、
右の写真の入れ歯です。
右が噛み合わせを確認するため、
作られた本人の上の歯の型。
左が注文した「入れ歯」です。
製法は、日本と全く同じです。
それにしても一日で出来るなんて!
それに、歯医者さんに行かなくとも、
ここだけでOKだなんて!
さらに、価格ですが、
通常は入れ歯一本が1250円。
今回はまけていただき一本千円。
写真は6本なので、6千円ってこと!
今日のブログ、びっくりマークが三ッつつきました。
で、その出来具合ですが、装着した、ご本人曰く、「まあまあかな」だそうです。
でも少々動くってんで、薬局でポリデント(なんでもあるんですね)を買い、塗りましたら、
硬いものも食べれたんです。
何よりも装着しても痛くないってのは、OKだということです。
あなたッ バリに来て「予備の入れ歯」をお作りになりませんか。
# by yosaku60 | 2012-02-01 08:44 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

インドネシア風の台湾料理店
前にも書いたが、ここでの食生活は、
3分の2が外食です。
贅沢だ!....って。
そうじゃないんです。
バリでは、台所のない家もあります。
そこの住人は100%外食ってこと。
だから、街は「食べ物屋」ばっかり。
でも、勿論インドネシア料理、
カミさんの胃袋が受け付けません。
オレ? オレはなんでもOK。
でも、人間が好きなオレ、店主や店員との交わりがなくっちゃ、困るんです。
食べるだけなんて、どうでもいいんです。
結局は二人そろうと、「味と人」の双方がOKでないと行きつけの店にならないんです。
そんな店は限られております。
その限られた店をぐるぐる回るんですが、それでも徐々に味に飽きてくるんですよね。
んで、いつもいつも新しい店を探すことになります。
前置きが冗長ですよね。 ごめんネ。
さて、最近探した新しい店(写真右上)です。 台湾料理店です。
店主が左下のトゥトゥ(tutuk)さん、若干、30歳のインドネシア美人。

台湾人の夫は、料理には無関心で、
メニューや味付けは、
全部彼女の創作だそうです。
関心するのが、彼女の接客態度。
「味がおかしかったら言ってください」
「勉強して、美味しい料理にしたいのです」
って言うんです。 
なかなかこういうこと言えません。
かわいいですよね~。
価格ですが、たとえば餃子、
誰が見ても丁寧に作っていると判る餃子、
それが12個で130円。
店がまあまあきれいで、味もまあまあ、
スタッフの接客態度が良くて、価格も安い。
トゥトゥさん!
近いうちに、また会いに行きますからね。
# by yosaku60 | 2012-01-29 10:28 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(2)

大雨
ここ三日、大雨が続く。
特に真夜中に雨が多い。
雨があがった今朝のタンブリンガン通り。
太い電線をまきこんで大枝が折れていた。

ここも大枝が折れている。
葉や枝が雨で重くなり、大枝がその重みに耐えれず折れる。

バリには、葉の生い茂る木々が多いってことでもある。

昨日は大雨に大風も吹いた。
5ヶ月前にできたばかりのマルタサリ海岸の新しい堤防。
波が進入して、その堤防を破壊した。
バリの工事は、自然を前にしてもろすぎる。
# by yosaku60 | 2012-01-28 11:24 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

景勝地(パンダワビーチ)
バリの南端はインド洋に向かって白い崖になっている。
最近、その白い崖の上にビラやホテルが建ち始めている。
海に向かってその崖を降りると、幅の狭い白砂のビーチがある。
喧騒さがなく、欧米人好みのビーチである。
パンダワビーチと呼ばれている。
確かにきれいなところである。
が、バリ人の生活が見えず、単にきれいなだけだ。
こういう無機質なところ、オレの好みではない。
が、これから開ける新しいリゾート地である。
一応知っておいきたい、と行ってみた。
まずは、崖に向かう道より海を撮る。

背景の崖が切り開かれているでしょう。
車で崖を降りれるのは、ここからだけ。

沖に珊瑚礁があり、ビーチは静穏だ。

はげ頭には、太陽が暑すぎる。
# by yosaku60 | 2012-01-27 07:00 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

三浦襄(その6)
松井、荒木の両氏は、
なぜにプナルンガン村に居たのだろうか。
両氏の戦死は、ングラライの、
いわゆるププタンでの戦死だったのだろうか。
この二つの疑問を考えてみたい。
写真はマルガに祭られる1372名の英霊。   
5万ルピア紙幣の肖像画に使われている、
インドネシア独立戦争の英雄、
ングラライもこの中にいる。
オランダとの独立戦争で彼が戦死したのは、
日本の敗戦から1年3ヵ月後のことである。
4年5ヶ月続いた独立戦争を思えば、比較的早い時期での戦死である。
なのに、なぜにこれほどまでにあがめられているのか。
彼の戦死は「ププタン」と呼ばれる勇敢な戦いであったからだ。
ププタンとは、バリ語で「終焉」を意味し、覚悟の自殺的戦死を意味する。
彼に率いられた96名の民兵は、全員マルガの地で玉砕しているのだ。
二つ目の疑問の答えになるが、
オレは、この96名の中に、松井、荒木の二人の日本兵がいたと思う。
なぜなら、ングラライの出身地は、マルガのあるバドゥン県であり、
率いた民兵は地元民(プナルンガン村も含まれる)である可能性が高いからだ。
さらに、マルガの英霊1372名の中に日本人12名の名があるが、
その中で出身の村の名前が記入されているのは、松井、荒木の二人だけである。

他の日本人10名は、単に jepang と国名が記入されているだけである。
次いで、一つ目の疑問、両氏はなぜにプナルンガン村に居たかということであるが、
隠し事をする必要がない理由で、堂々と村に住んでいたようだ、とだけは思う。
12名の日本兵の中で、出身地、生年月日の双方が判っているのは、
両氏を含めて3名だけだからだ。
ネット情報によれば、マルガに祭られる12名の日本人は、
日本の敗戦後、連合国にに捕らえられ捕虜となっていた収容所から脱走し、
ングラライの民兵としてオランダ軍と戦ったように書かれている。
が、オレは12名がみな同じ行動をとった者とは思わない。
もし、脱走してから村に来たのであれば、村にいた期間は約1年である。
後々まで村人に慕われる業績を残すには、期間として余りにも短かすぎる。
松井、荒木の二人は、日本の統治時代より村に住んでいたのではなかかろうか。
で、村人の生活に影響を与えれる立場にいたのではなかろうか。
三浦襄については多くのことが語り継がれている。
それなのに、松井、荒木の両氏について、語られるものは余りにも少ない。
日本人の誰もが、現地にこういう立派な銅像が建っていることを知らないのではなかろうか。
オレはもっと、知りたい。
近いうちに機会を作って、地元のお年寄りの話を聞いてみたい。
# by yosaku60 | 2012-01-25 11:09 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

三浦襄(その5)
松井久年、荒木武友の二人の日本兵について....
だいぶ前のことですが、その慰霊塔があるという村、
「ブルングンガン村ってどこにあるの?」。
マルガ辺の事情に詳しい近所の人にいろいろ聞いたことがあります。
誰もが知りませんでいた。 
で、長らくあきらめていました。
でも、このブログを書き始めて、思い直しました。
ブルングンガン村という名前がおかしいのではなかろうか。
末尾のガンという名は、小さなという意味もあるので、ブルングンではなかろうか。
で、マルタ付近の村で、ブルングンに似た名の村を探してみました。
と、ブルンバン(blumbang)という小さな村がありました。
好奇心の塊のオレ、これが行かずにおらりょうか(馬鹿だね~)。
ってんで、昨日、そのblumbang村に行って来たのですが、
面倒なので、結論から先に書きます。
産経新聞の記事が誤りでした。
ブルングンガン村でなくて、プナルンガン村(penarungan)でした。
それに慰霊塔ではなくて、銅像でした。
新聞に掲載された慰霊塔の写真を持って、いろいろな町や村で、聞き込みをしたのですが、
だーれも知りません。
で、「独立戦争を一緒に戦った日本人だけど」と言うと、
「慰霊塔はないが、そのような銅像なら知っている」と返事が返ってきたのです。
で、それが所在するプナルンガン村を訪ねて判ったのです。
まずは、全体の写真から、
大きいでしょう。
中学校の校庭のど真ん中に、ドーンと建っていました。

近寄ってみると、こんな表記がありました。
「プナルガン村の人々の闘争の記念碑」と訳するのだと思います。
2005年、11月5日建立って、6年前ってこと、つい最近なのですね。
二人の氏名、聞き取った呼び名をそのままつづったのでしょう。
mutswiso は 松井、 harraki は、 荒木なのでしょう。
間違いありません。 産経新聞掲載の二人です。

さて、その二人ですが、
どちらが松井か、荒木かは書いてありません。
帽子に巻いている鉢巻は、真新しい布です。
時々、新しく締めなおすのでしょうね。 
手入れが行き届いているように見受けます。


帰り道、独立戦争で戦死した全員を祭るマルガに寄ってみました。
写真は、そのマルガの入り口の広場です。
これを見て、あらためて判りました。
プナルガンの二人のモニュメントもマルガのモニュメントも同じ形、同じ色彩です。
プナルガン村の人々が、わが村にもマルガに眠る人がいる。
ってことを誇って、同じモニュメントにしたのではないでしょうか。
なぜにそう思うのかは、(その6)に書きましょう。
# by yosaku60 | 2012-01-24 12:13 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(2)

三浦襄(その4)
三浦襄と同じく、バリ人に尽くした男たちがいる。
松井久年と荒木武友の二人である。
日本の敗戦後、インドネシア各地で、
旧宋主国オランダとの独立戦争が勃発した。
二人は、この独立戦争に参加する村人に、
ゲリラ戦の戦い方などを指導したのだ。
二人の功績はそれだけではなかった。
日本式の水田つくり米つくりも指導している。
27歳の若さでバリで没した二人。
その二人は小さな祠で村人に祭られていた。
が10年前、その功績を忘れないでおこうと、
村人の募金で大きな慰霊塔が建てられた(写真)。
この村、ブルングンガン村と言う。
以前ブログに書いた11人の日本人が祭られる、
マルガ村の近くらしいが、所在地まだ探せないでいる。
近日中になんとか探して訪ねたい。
三浦襄と、この二人、
さらにインドネシアに味方しマルガに眠る11人の日本兵。
バリに功績をつんで来たたこれらの人々。
オレも含めて現在バリに住む日本人は、
これらの人々を辱めるものであってはならない。
# by yosaku60 | 2012-01-21 09:42 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(2)

三浦襄(その3)
オレは想う.....。
多くの日本人は、
アジア人に優越感を持っている。
この「多くの」という意味。
オレは「ある時代の」と、
形容詞を読み替えている。
この「ある時代」の範囲、
「日露戦争~バブル経済の崩壊」
と思っている。
第二次大戦中は、
その真っ只中だったってことだ。
日本は農耕民族であって、国境を隔離された島国だ。
その環境は、集団での行動に長ける気質を産み、
外国にとって異質であることに気づかない、という特殊性を産んだ。
集団での行動に長けるということは、
集団思想(建て前)が個人思想(本音)より尊重されるってことだ。
個人がいくら立派な人間であっても、集団になると非人間的な行動をとることもあるのだ。
赤信号、みんなで渡れば怖くない...ってことだ。
優越感を持つ民族がこのような無責任下で他国に侵攻したらどうなると想いますか?
私は船長時代、日本人が他国籍人を使用する組織の統括をしてきた経験がある。
その時、何が大変だったかというと、
「乗組員の仕事のやり方が日本人的でない」という日本人からの苦情に応えることであった。
で、その苦情は仕事の成就にそれほど影響のあるものではなく、
日本人がアジア人に尊大になるがゆえのものであることが多かった。
さて「ある時代」の考察に話を戻す。
このような他国に対する尊大さの感情だが、
オレは日露戦争の勝利で始まったように想うのだ。
ロシアから賠償金を取れないことに怒った民衆の抗議ストがそれを物語る。
その感情は、第二次大戦での敗北で消えるはずが、
朝鮮戦争での特需があり、その後の所得倍増政策、高度経済成長を経て再燃した。
そしてバブルがはじけた以降に就職した若者の時代で終わったように想うのだ。
随分と余談をした。
んで、三浦襄のことであるが、
インドネシア人の日本人に対する感情は、時々熾烈なものが交ざる。
上記のことがあり、それはあたりまえのことに想う。
が、ことバリ人に限ってみると、親日的な人が多い。
三浦襄の葬儀には、それを聞きつけたバリ人が一人二人と参集し、
最後には一万人が参列したと言う。
ほんに「バパ、バリ」として、バリ人から親しまれた証左であろう。
今、現在のオレは、親日的なバリ人に接しバリで安住できている。
悪をも許すバリヒンズーという宗教観のおかげもあろうが、
三浦襄のおかげもあると想っている。
写真は、三浦が養育したバリの貧しい子供たち。
内地の日本人と同じ格好をさせる、として服や運動靴まで気を配ったという。
この子供達、すでに70余才、三浦から怒られたことが一度もないと証言する。
# by yosaku60 | 2012-01-20 14:21 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

三浦襄(その2)
このほど、この三浦襄についての本が発刊された。
長洋弘の著による、右の本である。
副題として、「バリ島を訪れる日本人のための物語」とある。
読んで見たが、まさにそのとおりの本である。
この本の「あとがき」には、次のことが書かれている。
インドネシアの元副大統領、アダム、マリク曰く、
オランダの植民地支配は尊大で冷酷、であった。
が、日本軍のインドネシア支配は、戦慄すべき策略であった。
と、日本の本心をあばいている。
さらに、「あとがき」には、インドネシアの高校の教科書には、
日本はインドネシアを支配したことのある国でもっとも残酷だった。
と記されていることも述べている。
そうなのだ。
第二次世界大戦中、
インドネシアを含めアジア人にとった日本の行動は、
どんな風に非難されても言い訳のできるものではなかったものと想像するのだ。
そう想像する理由を 三浦襄(その3)に書きたい。
# by yosaku60 | 2012-01-19 05:03 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

三浦襄(その1)
私の手元にある、産経新聞の切り抜き....。
平成17年2月、9回のシリーズで掲載されたもの。
「バリ島の父」としての三浦襄(写真)の物語である。
三浦は、戦前からバリに住み、バリを愛し、
バリ人を愛した人である。
第二次世界大戦中,日本軍がバリに侵攻したとき、
彼はバリ人への慰撫役として軍に同行した。
当初彼は、軍の侵攻目的をインドネシアの独立のため、
と思い込んでいた、というか、思い込まされていた。
が、徐々に日本の本当の目的は、そうでないこと知る。
日本の目的はインドネシアの資源を自由にせんが為の
侵略であることを思い知らされるのである。
が、彼は、悩みながらもそうなってはならぬと、
バリ人側に立ちバリ人の味方になって行動をとる。
しかし大戦は日本の無条件降伏で幕を閉じる。
終戦後数ヶ月、彼は、戦時中の日本軍の横暴さを謝罪する為バリ全土を行脚する。
謝罪を終えた彼は、インドネシアの独立を願う、その心に偽りはない、
ということを証明するがために自決する。
日本人は、うそをつかない、ということを身をもって示したのだった。
# by yosaku60 | 2012-01-18 11:58 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

車両税
車両税の支払いだが、
日本では、銀行から振込みができる。
が、ここバリでは直接に、
サムサ(SAMSAT=税務署)に、
支払いに出向かなければならない。
支払日を過ぎると追徴金をとられる。
で、支払日をカレンダーに書きとめて、
忘れないようにしなければならない。
で、先日、その支払いに行って来た。
写真は、サムサ(税務署)の受付。
エステンカ(STNK=納税証明証)と、
べぺカべ(BPKB=車両取得証)を
をここに提出すると、手早く納税申請書を作ってくれる。
今年より受付が新しくなり、システムが簡易化され、手続きが楽になった。
楽になったのは、そればかりではない。
手続きに必要な言葉が少しづつ判るようになったこともある。
サムサ、エステンカ、ベペカベなどの、いわゆるシンカタン(SINGKATAN=省略語),
以前は、何度聞いても、こんなモジャモジャ語、理解できないでいた。
が、今はモシモシ語に聞こえ、普通に理解できるようになってきている。
オレのバリ定住生活も少しづつであるが、前にすすんでいるようだ。
# by yosaku60 | 2012-01-16 20:05 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(2)

ワヤンさんの結婚式(最終回)
ワヤンさんの結婚式に参加して、
あらためて思い知りました。
バリの若者の男女交際のことです。
ほんに、あっけらかんとしています。
秘密がないのです。
ワヤンさんの場合、
交際の開始は、高校一年生の頃から、
それから12年経っての、ゴールイン。
てなこと、前々から知っていました。
右の写真の女性達、
ワヤンさんの職場の同僚です。
他の二人とも未婚ですが、
彼氏がいて、将来への結婚について、
どの程度まで進展しているか、オレにみんな話してくれます。
真面目な交際だから秘密にする必要がないってことのようです。
ありがままです。
二人とも、給与の相当部分を親に仕送りしています。
結婚するまでは親の面倒をみることをあたりまえとしております。
そのために、結婚が遅れても、それはそれでしようがないこととして受け入れています。
この 「ありがまま」 と 「あたりまえ」 の行為、
二人とも、ほんの少しも自分の心を抑圧しておりません。
欲をもたず、その上で心の命ずるままに....、
ってことですかね~。  良いですね。 
# by yosaku60 | 2012-01-14 09:26 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(2)

ワヤンさんの結婚式(その5)
ワヤンさんは、日本流に言えば、しとやかな女性です。
おしゃべりが好きではありません。
笑う場合でも声を出さず、微笑むだけです。
写真は、そんなワヤンさんに笑うことを要請して何度か撮ったうちの一枚です。
「はい、もっと笑って!」とNGを出し続けたので、
その無理強いを聞いた後ろの男たちも笑っていますよね。
雰囲気がわかって、面白いでしょう。
右が新郎、ワヤンさんの幼馴染です。
さて、ワヤンさんの姉妹が全て、同じ名の「ワヤン」であるってことですが、
ワヤンさんの姉にあたる次女...次女ですので、マデという名前の子ですが、
この子が幼くして亡くなったのです。
で、次の子からは、生き延びるようにとの願いをこめて、
全てワヤン(長女の呼び名)にしたってことです。
こういう呼び名の変更は、カランガッサム地方では、よくあることだそうです。
# by yosaku60 | 2012-01-13 05:07 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

ワヤンさんの結婚式(その4)
写真の背景に小高い丘があるのをお気づきですか。
バリ人にとっての神の山、アグン山からの噴火岩が堆積した丘です。
その手前のこの場所は、前述の「女の場」より、さらに3段ほど上がった所、
で、ワヤンさんの敷地の中でもっとも高い所である。
いわゆる「家寺」が、ここにある。
バリヒンズーは高さにこだわる。
家寺は、敷地内でもっとも高い所にあらねばならない。
で、この場所にあるのだ。
しかも、家寺は敷地内から見て、アグン山の方向にあらねばならない。
写真の白い服を着ているのが、バリヒンズーのお坊さん。
一人で寂しい....ってことはないんだろうが、
「ここに来て写真を撮れ」と、何度もオレに勧めてくれた。
てなことは、ともかくとして、
このお坊さんは、家寺を拝むと同時に、その真後ろにあるアグン山をも拝んでいるってことだ。
そういう位置関係を知って、この写真を見て欲しい。

敷地へのアプローチから、一番の高所まで一気に斜面を登ってみたが、
その斜面の中央付近に戻りたい。
そこには、母屋、即ち、両親の住む家がある。
その家の前の少ない平地に、男女を交えた相当の人数が集まっていた。
ワヤン家に血統の近い親類縁者だけの集まりであるように見受けた。

写真は、その母屋の玄関。
奥に座るのが、バンジャール(村落共同体)の長。
村から抜けて男の元に行く花嫁さんに向けて、
バンジャールとして、それを了とする口上が語られている。
写真左に、神妙に口上を聞く、ワヤンさんがいる。
花嫁さんの地元で行われる手続きの中でもっとも重要な場面である。
# by yosaku60 | 2012-01-11 19:33 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

ワヤンさんの結婚式(その3)
今日は、1月10日、わが日本の故郷は、雪。
去年も雪が多かったらしいが、今年も同じだ。
ここ最近、毎年のように夏は極暑、冬は大雪だ。
昔から日本にある、緩やかな四季のうつろい。
その緩やかさが消え、だんだんに「酷なうつろい」になっているようだ。
いわゆる地球温暖化の影響なのだろうか。
ここバリ島には、四季のうつろいがない。
乾季と雨季の二つだけである。
もともと「酷なうつろい」ってことだ。
んん?何が言いたいのかって...
わかってるだろう...寒いんだよ!....今。
南半球のバリ島は、本当ならば今が夏。
であるが、雨季でもある。
もう、三日も雨が降り続いている。
大地が雨で冷やされ、早朝、6時の気温、24度....寒い。
アンタ!もしかしたら24度で寒いのかって、オレを馬鹿にしてないかい。
日本の冬は乾燥しているでしょ。
乾燥下の寒さと、ジメジメ下の寒さとでは、違うんだよな、特に年寄りには。
んで、今のオレ、半袖シャツを2枚重ねてパソコンに対している。
2枚だよ、2枚!.....バリに来て2枚の重ね着は初めてだ。
さて、ワヤンさんの結婚式の続き...だよ。
アプローチから、少し登る斜面に青テントの急ごしらえの台所。
結婚式に集まる村民への食事提供は、男衆の役と決まっている。
女は口出しできない、「男の場」なのだ。

それに対して「女の場」が、ここ。
「男の場」より2段ほど上の高台の平地である。
料理ではなく、お茶類の提供は、女衆の役だ。

このお茶のしつらえ場をぐるっと囲むように女衆が座る。
困ったことに、ここに厠があった。
私が用を足しに行くときであるが、知り合いの女性に先導されて、ここを通った。
男衆が単独で、立ち入れない雰囲気であった。
# by yosaku60 | 2012-01-10 07:29 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

ワヤンさんの結婚式(その2)
ワヤンさんの実家は、バリ島の最東端のアメッドにある。
アメッドと言っても海岸沿いではない。
海岸通りから車が一台通れる程度の山道に入る。
で、しばらく行くと、アグン山からの堆積噴火岩が衝立のようになっているところがある。
山道はそこで行きあたりになっている。
その行きあたり付近の斜面を開墾して、わずかな平地がある。
ワヤンさんの実家の場所だ。
サヌールを8時に出発、そこに着いたのが、10時半。
着いた頃には、もう結婚式が始まっていた。
その会場が面白い。
ワヤンさんの家の敷地全体を使って会場つくりがなされていた。
全体を通して緩やかな斜面にある敷地。
その斜面のところどころにある、少しばかりの平地。
その平地のそれぞれに、村の衆が分散して座る。
しかも、それぞれに役割が決まっているようなのだ。
そういうところを意識しながら、写真を見て欲しい。
まずは、山道から敷地へのアプローチ。
これは、敷地内から撮ったもの。
行列の奥の一段下がったところに山道がある。

上の写真の右奥にもささやかな平地がある。
そこで、椰子を粉々に砕いて、料理作りをしていた。
写真を撮る私の足元の後ろは崖である。
いいよねえ~、この自然な立地。
んが、撮られる方は、注意しろよ!とオレの足元を按じて迷惑顔。

アプローチを少し進んだ左の緩やかな斜面にある縁台。
常設の屋根があるということは、普段から集会場に使っているのであろう。
ここに座っているのは、男衆ばかり。
そのうちに手前にも人が座り、円陣になった。
で、お酒(名前を忘れた)を回し呑み、延々と歌を歌いだす。
多分、祝い歌なのであろう。
# by yosaku60 | 2012-01-09 12:26 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(0)

ワヤンさんの結婚式(その1)
写真はワヤンさん、
1月5日にご結婚されました。

もう3年前からですが、
「結婚するときは呼んでね」、
といつも言っておりました。
それが、うれしいことに、
本当に呼んでくれたんです。

バリでの結婚式参加は、
これで5度目になります。
バリの文化に接する上で、
結婚式は格好の場です。
参加するたびに、
感銘をうけるものがあります。

ところで、ワヤンさん姉妹、
みんな同じ名前の「ワヤン」です。
その理由も含めて、
結婚式の詳細につき、
次のブログで書くことにします。
# by yosaku60 | 2012-01-08 13:40 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(3)

2012年
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
去年の目標は、燻製つくりに挑戦することでした。
年末ぎりぎりに達成できました。
今年の目標はありません。
強いて言えば淡々と生きたいと思っております。
写真は、家から30分の、これこそバリ、
という光景のスカワティー市場です。
# by yosaku60 | 2012-01-01 19:52 | 01~04.2012 | Trackback | Comments(4)

誕生パーティー
この美しい女性、
誰だかわかりますか。
そうなんです。
最近のブログにちょくちょく出てくる、
ウィウィさんです。
彼女は、自分の誕生パーティーに、
私たち夫婦を招いてくれました。
当日は、彼女が主賓です。
普段はノーメークですが、
きばって、きちんとおめかしをしてきた結果、
こんな美女に変身したのです。
女性って、メークで変わるものですね。
さて、かぶっているのは、
私からのプレゼント。
古新聞で作った兜です。
お金をかけるな、
とのウィウィさんからの要請で、
考えた末に、こんな贈り物にしました。
安くついてヨカッタ(笑)。
集まったのは、
ウィウィさんのお友達ばかり。
当然に女性ばかりでした。
男性は、オレと、
わざわざジャワから参加した、
ウィウィさんの弟(中学2年生)、
の二人だけ。
若い娘さんばっかりで、
十分に目の保養になりました。
こんなパーティーだったら、
毎日あってもOKですよ。
ね~ ウィウィさん。
# by yosaku60 | 2011-12-30 11:09 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

パソコン教室終了
一日2時間を計4回、
時間にして、合計8時間。
で、自分用の家計簿を作り、
その年間自動集計表も作成する。
そんな超特急のパソコン教室。
どうしても、その日来れない人は、
後日、家で個人授業をするなどして、
なんとか終えました。
新しい年からの家計簿記入が、
間に合ったことになります。
6名の受講者の内、一名脱落。
まあまあ成功でしょうかね。
# by yosaku60 | 2011-12-29 19:02 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(3)

ご近所さん(kkn)
焼き魚で有名なKKN.
その支店が近所に来て一年。
だんだんと評判が出て、行列ができるほどに客が多い。

一食150円ほど、安くて、美味しくて、店内もきれいである。
流行ってあたりまえ。
オレも時々、並んで食べている。
# by yosaku60 | 2011-12-29 13:34 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

燻製

燻製には、熱燻、温燻、冷燻、
の三つがあるらしい。
その三つ、
熱燻は温度80度以上で一時間以内、
温燻は温度30~60度で、数時間、
冷燻は温度15~30度で、数日間、
燻す....と、いう感じであるらしい。
で、オレのんは、
温度60~70度で、6~8時間燻す。
で、「手の込んだ温燻」かな。
そんな燻製つくり...、
もう3度体験している。
3度とも、まあまあうまく造れている。
かと言って、オレがうまいのでない。

燻製造りって、どうも失敗しないものらしい。
そんなオレ流の燻製造りを紹介します。
上の写真の左は、ベーコン用の豚肉、
右は、普通の豚肉(部位名は知らない)。
双方とも400円ほどで購入。
まず、こんなふうに切って塩をすりこんで揉みます。
揉んだあとそのまま放置して、血抜きをします。
血抜きは、一日必要らしいのですが、
オレは気が早いので、半日だけにしてます。
血抜きのあとは、水洗い。
回を重ねて判ったのですが、
この水洗いの程度がどうも重要らしいのです。
その程度によって、塩分濃度が決まるようです。
要するに美味しさが決まるんです。
で、今準備中の燻製は、
水を流しっぱなしにして、4時間洗ってみました。
さて、どうなるやら....は、ともかく。
洗ったあと、表面の水分をティッシュでふき取ります。
そのあと、味付けをします。
いろいろあるのでしょうが、オレは面倒なので、
料理酒、生姜、黒コショウ、砂糖だけ塗りこんでます。
そして、冷蔵庫に、
今のところ、冷蔵庫に5日間、置くようにしています。
でも、もっと短くてもいいのかも知れません。
今後の検討課題です。
で、5日後、冷蔵庫から出して、
また、水洗いします。
この水洗い、
丁寧なほど良いようです。
ただ、余り丁寧にすると、
味が抜けるようで、
この洗浄程度も、今後の課題です。
んで、洗浄したあと、
できるだけ表面の水をふき取ります。
さらに、扇風機に当てて、
水分をできるだけ飛ばします。
そうした、できるだけ乾燥したものを
燻製場につるします。
んで、写真のように蓋をして、
燻製を始める訳ですが、
その燻製時間は温度によって、
違うので、同じく写真のように、
温度計を入れて、それを測りながら、
時間を割り出します。
とはいいながら、
目で見ながらの確認も大事です。
右は燻製を始めて、
4時間を経過した時のもの。
まあこんなもの(色)で、OK、
だろうかと思います。
このあと、焼き色を見ながら、
温度と時間を調整しますが、
この写真の場合、8時間の燻製時間になりました。
んで、できたのが下の写真ですが、満足のゆくできばえでした。
さて、こんな風に書くと、とってもややこしいようですが、実際には、全てがいい加減です。
それで、失敗がありません。
「料理」とか言うものでもありません。
コツはいかに水分を飛ばすか、いかに塩加減をつけるか、この二つだけの「男の遊び」です。
この遊び、今はちょっとだけ一生懸命ですが、元来食べるものは何でもOKの、卑しいオレ。
美味しいとか美味しくないとかの、感覚が極端に鈍いんです。

んで、んで、燻製場を造り、
燻製を一回成功させる、
で、いわゆる、
「燻製」を語れるようになれば....、
それで、目的達成、
でもあるんです。
てな、言い訳をしながら、
いずれ飽きることの、予感アリ。
ぶっちゃけ!
オレ、料理.....って、
好きじゃないんだろうな~、
きっと。
# by yosaku60 | 2011-12-28 09:52 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

ご近所さん(コマンの店)
バリでは男女に関係なく、
3番目を「コマン」と呼ぶ。
笑い顔がひとなっつこい写真の彼、
ママ(左)の3番子、コマンである。
雑貨屋を営んでいる。
ジュースやビールも置いてある。
夕方には村の男衆が集まる。
で、村の情報が欲しいとき、
オレは、ここに来て、だべる。
そんな時、カミさんには、
「コマンの店に行って来る」
と言って、でかける。

カミさんは、村の衆との付き合いだからと機嫌よく、
「行ってらっしゃい」と、のたまう。
と、まあ、今までは、こんな按配だったのですが、
それが困ったことに、
もう一軒「コマンの店」が現れたんです。
右の女性、彼女もコマンなのですが、
このコマン、12月になって、
近所でマッサージ店を開いたのです。
で、やはり「コマンの店」なんですよね。
双方のコマンとも、4年来の付き合い。
親密さはほぼ同じ。
だから、なおに困るんです。
で、少々迷った末、
今後は男の「コマンの店」を、
「兄ちゃんの店」と、
呼ぶことに決めました。
いずれにしても、ご近所さん、
にぎやかなのは、良いことです。
# by yosaku60 | 2011-12-26 14:47 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(2)

アメッドで一泊
来年、友人がバリに来る。
その案内のための下調べとして、アメッドに行って来た。
アメッドは、ダイビングのポイントとして有名なところである。
浜辺から10メートルも行くと珊瑚礁があって魚がいっぱい見れる。
同行したのは、美人の娘さん二人と、普通のおばさん一人。
一応、女性三人ということになる。
写真で紹介する。
まずは、浜辺.....こんな感じのところ。

子供達は、海や浜を自分ちの庭のように自由に遊ぶ。
うらやましい環境である。

泳ぎ疲れたのか、老夫婦。
その手前は、3人の現地のおばさん、何をしてるのだろう。
もうひとつ手前がマッサージ中のお二人。
こういうまぜこぜの光景、これがアメッドです。

この4人のメンバーでの一泊小旅行でした。

期待にそぐわず、いっぱいの魚をみることができました。
丘の上に登る道で、普通のおばさんといっしょに....
一応幸せそうに見えるようにポーズしております。

丘に登って、崖の上、
ポーズをとろうとしたら、オットット.....これ演技?

泳ぎ疲れてぐっすり寝た翌朝、みんなリラックスできたようです。
清清しい朝を迎えることができました。

同行したクトッは、ざっくりした男気性。
が、時々、女性になります。
そうした際の美人に撮れたクトゥの写真を最後にアメッドの紹介を終えます。
# by yosaku60 | 2011-12-25 20:07 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(2)

停電
昨晩は少々飲みすぎ。
で、夜中に目が覚める。
再度寝ようとする。
が、少々頭が重い。
暑さのせいだろうか。
んん? 冷房は.....
消えている。
停電だ!!!
オレの家だけだろうか。
玄関を出てみる。
ビラ全体が真っ暗だ。
オレのビラだけだろうか。
ビラの外に出てみる。
外も真っ暗だ。
どこまでが停電なのだろうか。
大通りまで出てみる。
大通りも真っ暗だ。
時おり、車が走っている。
車のライトに照らされて、歩いている人を見る。
その人を目で追った先のバンジャールの集会場。
に、何人かの人が集まっている。
雨季の夜中は蒸し暑い。
家の中より外が過ごしやすい。
集会場の人と話して夜明けを待つことにしよう。
と、集会場の階段を上る。
数人いる。
が、暗くて誰だかわからない。
太った大男であることだけはわかる。
「今、何時?」
大男に声をかけてみた。
「2時だ」
ええ、まだ2時なのかよ。
夜明けまでたっぷりありすぎだ。
それにしても暗闇の大男、オレは誰だかわかっているようだ。
「何時から停電なの?」
「夕べの11時半からだ」
「暑いね~、風も吹かないし、雨もないね~」
「全くだ、が、まあそういわずに、ここで寝たら」
バンジャール集会場の床は、総タイル張り。
しかも、20メートル四方はありそうで、だだっぴろい。
(写真は、昼のバンジャール集会場)
大男に促されて、そのだだっぴろいタイルの上に寝転んだ。
ひんやりとして気持ちが良い。
んん、それに微風がある。
おかしい。
起き上がってみた。
風がない。
蒸し暑さだけがある。
再び、タイルの上に、今度はそーと寝転んだ。
五感を砥ぎすまさせてみた。
やはり、微風がある。
もしかして、タイルと外気の温度差を理由に空気の対流があって、
それで、微風が吹いてるのではなかろうか。
そういえば、
微風は時々あるのではなく、一定して吹いているようだ。
座りなおすと微風を感じないということは、
床からほんに数センチの層での微風であるようだ。
オレは、何度も半身をおこしたり、
床にはいつくばってみたりして、その層の厚みを計ってみた。
なにしろ、周囲は真っ暗闇。
こんなことをしているオレ....
多分、見えていないだろう。
が、注意をするにこしたことがない。
キチガイに思われてはかなわない。
んで、数分おいてそうした行為をそーととった。
で、ついに、
床から10cmのところに微風、
しかも常風であることを突き止めたのだ。
大砂漠の中に湧き出る泉を発見するがごとく、
雨季の夜中の蒸し暑さの真っ只中に、タイル床の底辺に吹く「さわやか微風」の発見。
停電の夜を逆手にとって、新しいものを探すオレ。
って、すごいと思いませんか(笑)。
さて、くだんの大男、すーごい鼾なんです。
それが気になりだすと、5メートル先の黒い塊からも違う音色の鼾。
他人の鼾で寝れない、なんてやわなオレじゃない。
と、抵抗するも、今度は、耳もとにブーンと、蚊の飛ぶ音。
ああ ヤーメタ!
で、オレ家に帰ったんです。
んが、これで終わりじゃないんです。
オレの探究心。
家からバイクを転がし出でて、次の探究心の旅に。
停電の範囲がどこまでか、それを知るために、
サヌールの町の東西南北を走ったんですよ。
夜中の3時にバイクを飛ばす。
これが65歳の男のすることかって、あきれてものも言えません。
まあ、それはともかく、
南の方は、電気が来ているところと停電のところの境界線がわかったものの、
それ以外の方角は、境が入りこみ過ぎて、判りませんでした。
あ~、ばかなオレ。
電気は朝の5時半に来ました。
安心して、6時までの30分、熟睡しましたとさ。
オワリ
# by yosaku60 | 2011-12-23 15:21 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(5)

本格的に雨季です
今、バリは、雨季の真っ只中。
朝晩、必ずと言っていいほど、
雨が降ります。
それも激しい雨です。
でも、木々にとっては、喜雨です。
写真は我が家の入り口。
生垣が伸びて上でつながりました。
アーチ型が、かっこよさそうですが、
喜雨により成長が早く、
高くなりすぎて困ってます。
見た目ばっかりで、面倒です。
週に一回は刈り込んでおります。



# by yosaku60 | 2011-12-22 19:06 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

mie88
写真はクタにある「mie88」のレジ。
mie とは、「麺」のこと。
で、mie88は麺料理の専門店。
オレは麺が好物。
が、クタの街は嫌いだ。
人が多すぎ、車が運転しずらく、
駐車場もないからだ。
が、ここmie88は、
クタといっても、北のはずれ、
まあまあ、喧騒の外にあり、
お隣の電気店の女将が顔見知り、
で、店の前に駐車できる。
ってことから、毎月2回ほどは来ている。
麺料理の種類が多く、味も良い。
このmie88、うれしいことに、今、サヌールへの出店を準備している。
夫婦がそろって口に合う店が、ご近所に来るってことで、うれしい。
# by yosaku60 | 2011-12-18 05:04 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

クリスマスセール
ヒンズー教のバリ島で、
クリスマスを祝うなんて、
おかしな話...、
てなことは、ありません。
なぜなら、ここバリは、
なんでもあり....の、
なんでも許される、
ゆるーい規制の島です。
とは、言っても、
こんなの許されますかアッ。
右の広告のことです。
ところは、衣料品スーパー、
「ラーマヤーナ」。

んで、そのクリスマスセール。
なんと、50+20、
ということは、70%引きの大安売り....、
では、ありません。
ではどうなのって?
これがわからなくっちゃ.....、
は、ともかく、もう一枚の左も見てください。
これ、50+30=80 に思うでしょう。
ではないんです。
50+(50X0.3)=65%引きなんです。
ですから、上の写真の
50+20 の意味は、
60%引きってことなんです。
こういう書き方が許される。
....なんて、
これぞ、バリ島なんです。
# by yosaku60 | 2011-12-17 16:46 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)

パソコン教室
バリに住んだら、個人的なボランティア活動として、バリ人にパソコンを教えようと決めていた。
が、問題がいろいろあって、なかなか実現できないでいた。
まず、教える言葉のインドネシア語に自信がなかった。
次に、英語表示のパソコンで教えることに自信が持てなかった。
さらに、オレの教えるのは「エクセル」が主であるが、
エクセルの2006以前と2007以降の表示にトータルチェンジがあった中、
生徒がどんなパソコンを持ってきても、それに合わせて教えなければならないことも問題であった。
要するに、1、どんなパソコンであっても、2、どんな言葉でも、
教えることができるように、自分で勉強しておく必要があったのだ。
んが、ええい、やってみろ!で、パソコン教室を開いてみた。
まずは、5名にとはじめたが、応募が6名あった。
全4回で、エクセルを簡単にこなせるほどに教えたいと思っている。
一回が2時間、今日が2回目の授業。
自前で準備した英語とインドネシア語で書かれた教材の中ほどまで進んだ。
さて、最終はどうなるだろうか。
今のところ、教えるオレも答えが見えていない。
# by yosaku60 | 2011-12-14 18:52 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(4)

オレの宗教感
昨日のこと、
我が家に遊びに来たクトゥが聞く、
「パパの宗教は何か?」に、
「オレッ 無宗教だよ」
と、返事すると、
「じゃぁ、葬式はどうなるの」
「なくてもいいと、思ってる」に、
「んん?」と、理解できないクトゥ。
そうなんです。
オレは、自分の葬式がなくてもいいと、
本当に思っているんです。
現世で全てを消耗しきるので、
未練というものは何もないからです。
死んだ後に墓や位牌などの
「地球のゴミ」になるかも知れないものを残したくないとも思っている。
といっても、個人よがりの特殊な考え方であることはわかっている。
こんな考え方をカミさんに押し付ける訳にはいかない。
で、オレの葬式だが、
カミさんより先にオレが死んだ場合、
してもしなくてもカミさんの自由でいいよ。
ということになっている。
クトゥとの話は、この後もしばらく続いた。
が、オレの死生観を宗教感抜きで彼女に説明するには、
彼女は宗教に敬虔過ぎるし、
オレのインドネシア語は拙し過ぎて、
しどろもどろで話をつなげることとなった。
んであるが、バリ人との話で、
こうした人の生き方を話題にできたことがうれしい、
と思ったのだ。
オレが、バリの生活に浸透してきた証であろう、
とも思うのだ。
写真は、今朝のマルタサリでのバリ人のお祈り。
バリ人は、バリヒンズーの教えに敬虔である。
# by yosaku60 | 2011-12-13 12:55 | 09~12.2011 | Trackback | Comments(0)
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酒量減少中

by yosaku60
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